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どう生きたいか?

最後まで絶対こうなるんだって言い切れないところが良くて、意図的につくっているけどコントロールできない。全部コントロールできるものって面白みないじゃないですか。
久住有生:プロフェッショナル仕事の流儀(2018年7月9日放映録画)

日本を代表する左官職人の久住さんが、壁を塗りながら語っていた言葉。

「職人」と呼ばれる人たちに共通していること。
何事も「楽しむ」ということだなと感じた。
「上手くいく」や「上手くいかない」で考えていない。今、目の前にあること、そのものを楽しんでいる。

このような職人の生き方をテレビで見て、「私は、どのように生きたいか?」を改めて、考えてみた。

「楽しむ」

「生きる」を考える前に「死ぬときに、どのようなことを考えて死にたいか?」を考えてみた。
そのような視点からの問いを考えるきっかけになったのは、この本を読んだからである。

人生を終える日、どんな気持ちになっていたら最高ですか?
ひすいこたろう(2012)「あしたスぬかもよ?人生最後の日に笑って死ねる27の質問」ディスカヴァー・トゥエンティワン

私は、「楽しかった」と思える人生にしたい。
では、私の「楽しい」とは何かを考えた時に、

分からなかったことが、分かるようになる。
気づけなかったことが、気づけるようになる。

こういったことが、最近すごく楽しいと感じるようになった。

・子どものこと。
・家族の事。
・同僚の事。
・自分自信の事。

「上手くいかない」って、本当の怖い。苦しい。できれば、上手くいかなかった自分の気持ちにフタをして避けたい。
でも、結局避けた先に幸福はない。

上手くいかないを乗りこえた先に、幸福(楽しい)が待っていると思う。
そう考えると、「上手くいかない経験」も楽しく感じれるようになってくると思う。


以上が、「私がどのように生きたいか?」である。
私は、今年の自分自信のテーマを「深」にしている。

・子どもとは?
・この教材の面白さって?
・なぜ、この教材を学習させるのか?
・自分は、教師として何を大切にしたいのか?
・どんな子どもを育てたいのか?
・自分の付加価値って?

結局、こういったことを深く考えられることが、教育の面白さではないかなと最近思う。

自分自信の「楽しむ」という人生を送るためには、「深」く物事を考えることが必要である。
深く考えることは、時には楽しいが時には苦しいこともある。

でも、その先には幸せが待っていると考えて、愚直に進んでいきたいと思う。

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