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どう生きたいか?
最後まで絶対こうなるんだって言い切れないところが良くて、意図的につくっているけどコントロールできない。全部コントロールできるものって面白みないじゃないですか。
日本を代表する左官職人の久住さんが、壁を塗りながら語っていた言葉。
「職人」と呼ばれる人たちに共通していること。
何事も「楽しむ」ということだなと感じた。
「上手くいく」や「上手くいかない」で考えていない。今、目の前にあること、そのものを楽しんでいる。
このような職人の生き方をテレビで見て、「私は、どのように生きたいか?」を改めて、考えてみた。
「楽しむ」
「生きる」を考える前に「死ぬときに、どのようなことを考えて死にたいか?」を考えてみた。
そのような視点からの問いを考えるきっかけになったのは、この本を読んだからである。
人生を終える日、どんな気持ちになっていたら最高ですか?
私は、「楽しかった」と思える人生にしたい。
では、私の「楽しい」とは何かを考えた時に、
分からなかったことが、分かるようになる。
気づけなかったことが、気づけるようになる。
こういったことが、最近すごく楽しいと感じるようになった。
・子どものこと。
・家族の事。
・同僚の事。
・自分自信の事。
「上手くいかない」って、本当の怖い。苦しい。できれば、上手くいかなかった自分の気持ちにフタをして避けたい。
でも、結局避けた先に幸福はない。
上手くいかないを乗りこえた先に、幸福(楽しい)が待っていると思う。
そう考えると、「上手くいかない経験」も楽しく感じれるようになってくると思う。
以上が、「私がどのように生きたいか?」である。
私は、今年の自分自信のテーマを「深」にしている。
・子どもとは?
・この教材の面白さって?
・なぜ、この教材を学習させるのか?
・自分は、教師として何を大切にしたいのか?
・どんな子どもを育てたいのか?
・自分の付加価値って?
結局、こういったことを深く考えられることが、教育の面白さではないかなと最近思う。
自分自信の「楽しむ」という人生を送るためには、「深」く物事を考えることが必要である。
深く考えることは、時には楽しいが時には苦しいこともある。
でも、その先には幸せが待っていると考えて、愚直に進んでいきたいと思う。