はじめまして&Xをやめました
はじめまして。
徘徊と申します。お仕事は現在清掃業界の現場管理の立場で働いています。
ここ最近災難が続いて、おまけに友人の結婚式に参加してから「どうしてこれほどの人生のステージの差が生まれたのだろう」と思うようになりました。学生時代にある程度達観したつもりだったんですけど、やっぱり無理でした(笑)
さて、今日ですが、急にふとXをやめようかな、と思い、Xをやめました。厳密に言うとアカウントを消してはいません(やめるとフォロワーからLINEが来たり面倒くさいので)。
なぜやめたのかというと、まぁ理由は単純です。それはバカ臭いからです。今回の記事においては、私の専門性のかけらもないX(本文より下はしばらくTwitterと呼びます)の思い出とともにどのようにしてバカ臭く思うようになったのかについて振り返ってみたいと思います。
ブログに代わり台頭したSNS「Twitter」
Xといえば、昔の名前をTwitterと呼び、最大140字の独り言をひたすら投稿することのできるタイムライン型のSNSです。当然SNSである以上、他社の独り言(つぶやき)は他人にも見ることができ、反対に投稿者である自身も他人のつぶやきを見ることができます。Xが日本に浸透する以前は個人が書くブログが主要な独り言(?)ツールでした。ブログは毎日書くブログとしての側面が強く、日々の記憶力が問われるうえに、なによりも「日記」という位置づけを意識しやすく、三日坊主になる人や作業的になってしまう人が続出しており、ある意味で継続力の問われるツールでした。
一方でTwitterはどうでしょう。先述した通り、いついかなる時においても思いついたことを書き込むことができるため、情報としての新鮮さがブログとは段違い。鮮度の高い他人の情報は読み物として面白く、興味をそそられます。さらに言うと、衝動性をつぶやくことで、ストレス解消や、その場の感情をありのままにつぶやけるこのSNSは、世界中でTwitterは大流行しました。
ブームが去り、取り残された私
私もこの大流行の波に乗り、学生時代にTwitterに登録。はじめは最先端のっ流行ツールであったことから、様々なリアルの友人のつぶやきを見たり、はたまた自身も日常をなかば報告的ではありますが、つぶやいたりなどしました。
はじめは楽しかったです。やはり先述した通り新鮮さのある情報は読んでいて楽しく、さらに言うと、近くにリアルの友人がいたときに待ち合わせたりするきっかけにもなっていました。しかし、ブームとは残酷なもの。インスタグラムの台頭と共にTwitterは一つのツールとして変化をしてゆきました。また、私もリアルのアカウントの動きがあまりにもないことから、アカウントをインターネットの人間だけのいわゆる「ネト垢」を作成します。今思うと、この時点で私は立派な「ツイ廃」への一歩をたどっていたのだと思います。
新たな世界の広がるネト垢、しかし
ネト垢の作成後、広がる世界に私は胸を躍らせました。全く知らない人間との交流、さらには彼らの生活や趣味の話・・・。加えて、彼らとオフ会をしてみたり、はたまた恋愛にも発展したり・・・。まさにTwitterはカオスでありながら、様々な体験をさせてくれる夢のような場所でした。
しかしながら、このことは同時に「私が今まで常識だと思っていたものが真っ向から否定されたりする」「今まですごいと感じていたものはちっぽけなものだった」「華やかな生活」など、これらの多種多様な情報が、フォロワーを介してとんでもないスピードでぶつけられてしまう私のような軟弱者にとっては、とてもではないですが疲れるSNSとしての側面を持ち合わせていました。
Twitterで疲労を覚え始めた私は、結局一度か二度アカウントを消したりなどを繰り返しつつもズルズルと続けてしまい、気づけば2023年。
ここでTwitterには大きな転換点が訪れます。
「おすすめ」の台頭、情報の雨はさらに激しく
2023年2月、Twitterには新たな機能が追加されました。
それが「おすすめ」。
これは、日ごろ自分が見るツイート内容やリツイートを行う内容、閲覧する内容からその傾向をTwitter側が自動で分析し、いわばグーグル広告のように個々ユーザーが求めているであろう情報を自動で選定、「おすすめ」という形で表示するものでした。
つまり、この機能は一度特定の思想を持った人間のツイート内容をリツイートした場合似たようなジャンルのツイートを自動表示したり、少しでも動きを見せると何度もネガティブな内容だろうが、度し難い考え方の人間だろうが否応なしに表示してしまうものでした。これにより、私のSNS疲れはさらに加速します。それでも、わたしはそこからイーロンマスクがTwitterをXに変え、アプリの色地が元気のない黒に代わって、そこから一年、そして今日にいたるまで疲れを感じつつも現在の名称である「X」を使い続けてしまったのです。
はたしてXの情報は本当に私の人生において糧になるのか
Xを見て、理不尽なクレーマーや煽り運転を見て怒り、キラキラした生活を見て嫉妬心を抱き自らの冴えない生活を顧みて悲しみ落ち込み、時には明るいなにかを見て感動を覚え、はたまた炎上で人を見下す・・・。私の感情は大きく揺れ動き、感情をつかさどる大脳辺縁系は常にフル稼働していました。
そんな私を尻目に、道端には鳩がその辺をほっつきあるいて、道行く人間はくしゃみや痰を吐き散らしながら、それぞれの日々を過ごしています。目の前にある現実は間違いなく平和(世界を見ればそうではないかもしれないが)なのです。至極平和、超ニュートラルな現実なのです。
そこにはXの中で私は常に思うようになりました。見出しにもある通り、「はたしてこの情報は人生において糧になるのだろうか」と。この感情は前々から「否」、こちらへと徐々に傾いていきましたが、今日ついにプリップリの新鮮な気持ちの中でこれは「否である」、これに結論付けられました。そして今日、アプリを消しました。
つぶやきとその特性 そのばかばかしさ
SNSというツールは様々な情報が目まぐるしい勢いで飛び交います。これらの多くはある程度有益なものがあるでしょうが、そのほとんどは信ぴょう性が一切ないです。まず第一にSNSというもので映る世界というのは、個々人その場の中を切り取ったうちの一つでしかありません。いわばそれに至るまでの経緯や背景は全くもって存在せず、ただそこにある結果だけが当事者の一人の主観の中でのみ存在します。そしてさらには、これらが炎上した場合、他者はその主観のうらにある真意を無駄に深読みし、勝手に怒っていたりするのです。
代表的なものはSNSのドラレコの事故映像でしょう。少なくともドラレコの映像は、片方の運転者による主観の映像があり、切り抜かれ私たちの目に入ります。ドラレコの映像を取る人間はその場の怒りに従ってその映像を投稿するわけですが、これに対してその怒りに共感し一緒に怒る人もいれば、その経緯を想像して文句を言う人間だっています。これが炎上というものです。しかしこの炎上を扇動している人間には共感する人も、文句を言う人も重大な見落しがあります。それは誰もドラレコ以外の映像やそれに至るまでの経緯を直接見ていないのです。こんなばかばかしい話はありません。これは炎上に限った話ではなく、私が今まで感じていた喜怒哀楽も、すべてがこれに当てはまります。
さて、つぶやきというのは新鮮さのある情報ではありますが、これらはすべて主観的なものでしかなく、ナチュラルな情報ではありません。しいて言うなら、真にナチュラルな個々人のつぶやきと言えばこうでしょう。「事故した」「仕事が終わった」もっと言うと、「女の子に誘われて、デートに行った」とか、そんなレベルのものです。こんな情報見ても面白くありません。
でも、SNSで投稿される情報のすべてはは発信者の主観によって脚色されたものの集合体であり、だからこそ面白いし、だからこそ感情が揺さぶられてしまうのです。特にXはその瞬間的な思いを、短い文章に乗せて伝えるからこそ、発信者にはその情報を文章のまとまりがあまりありません。リアルタイムな感情をその場で伝えるからこそ、個々人の考えが隠しっこなしで、すっとんでいきます。この強烈さがより私たちに伝わるが故、面白いのです。だからこそいまだ一定の人気があるのでしょう。
もっというと、ツイッターはそればかりではなく、主観をさも大きな社会的通念かの如く語りだし共感を得る人(いわゆるインフルエンサーとされる人)が居て、彼らが大きな影響力を持っていること、それに影響されて考えを話し始める人が多くいて、そしてこれはリアルを変えてしまったりもします。またその真逆もあったり。まさにカオスな空間と言えるでしょう。
Xはそんな「主観」が大量に、そして超ハイスピードに飛び交うせいで、自分を見失いそうになります。自分の人生や感性が猛スピードでフルスイングでぶん殴られ続けるような感覚です。左からなぐられ右を向けば直後に右から殴られ、顔を左へ。四方八方から、無限のジャブ。その繰り返し。正直、もう疲れ果てました。ばかばかしすぎます。なので辞めます。
私と同様に、Xを見ながら喜怒哀楽、嫉妬心、様々な感情が行き来してしまうような方は本当にXをやめることを強くおすすめします。向いてません。
そんなことより、目の前にある現実にいっぱい浸って、心を癒した方がいいです。せっかく仕事、学校、家庭でいろんな人間に殴られ続けているのに、一人の時間をスマホ見ながら、Xに費やして、そこでも経済力の違いにぶん殴られ、考えの違いに殴られ、容姿の違いに殴られ・・・もったいないじゃないですか。もうちょっと心いたわった方がいいです。まぁ、Xやめてまだ0日の自分が偉そうに言えることではないんですけど。
でもこの記事も主観だし、ソースもない価値のない情報じゃん
ここまで読んでくださりありがとうござます。
見出しの通りのことを思いながら、大変読みにくい文章を読んでくださった方、ありがとうございます。そしてお疲れさまでした。全くもってその通りです。
ここまで読んでくださってわかったとは思いますが、この記事はただ私の主観を書きなぐっただけです。そのため論理破綻も当然起こしてますし、そんな文章であなたの貴重な時間奪ってしまったことを深くお詫び申し上げます。さらに、この文章が読んだ方の心を傷つけたなら本当に申し訳ありません。ただ、主観なのでそっと閉じるか、コメントでクソ記事ですね、とでも書いていただければと思います。共感いただけたならハートのボタン押していただければ嬉しいです。
ただし、冒頭でも申し上げました通り私のnoteは備忘録的な意味で、自分の黒歴史ノートとして書くことに決めましたので、消すつもりもありません。