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うつ病になるまで。其の三

思い切って実家に帰る事に。

 1988年ごろに、だいたい自分はどういう人間なのか考えるようになる。
もう今さら、他人のあの人がこうだった、ああだったと書こうとは思わない。
あの頃自分がどうだったかを考えることに絞っていく。

 出入りしていたサプライ商品の営業マン(以下Aとする)とお付き合いするようになった。そのことが、実家にSOSを出すきっかけにはなった。
職場の人間関係も、何もかも上手くいっていなかった。
彼には私が重荷だったに違いない。必要以上にすがることもあった。
実家に縛られるのが嫌で出ていったはずなのに、母にSOSを出した。
ワンルームマンションに移り住んで2年目のことだった。
就職してから5年経っていた。
結局は抑うつ状態に陥り、外に出ることに恐れを感じるようになっていた。
私が抜けても職場は困らない。アルバイトでも十分カバー出来るくらいのことしかしていなかったし、出来なくなっていた。

 再び、家族と暮らすためにワンルームを引き払った。
それから、もうこの仕事は辞めよう、本来就きたかったデスクワークに絞って再就職を目指すことにした。3か月は自宅でゆっくり過ごした。
もう少しゆっくりしたかったけれど父が許さなかった。
私は父との折り合いが悪く、父のことがどうしても好きになれなかった。
客観的に見ても、父は私を深く傷つけた人物。
弟は、「なぜこんな家に帰る気になったのか」と聞いてくるほど。
疲れ果ててもうどうにもならなかったから、もう一度子どもの立場に戻りたかったんだ。しかしそれも許されず。
とりあえず、抑うつ状態から抜けられた。
仕事を探してみようと頑張ってみた。良い条件で採用してくれそうな会社もあったけれど、どうしても神戸・三宮に未練があって、三宮に営業所を新設する、とある企業に再就職が決まった。

 引っ越しを4回、そして転職となり、かなり環境を変えられたことで、悩みの元を絶って来れたことが深いうつ状態に陥らずに済んだのではないかと思う。

 心機一転、頑張ろうと思っていた職場は少人数で、人間関係は複雑にはならなかった。女子社員2人と私、営業マン3人と、所長の合計7名。
仲良くやっていけそうだったし、念願のデスクワークで嬉しかった。
楽しかったのだけれど、一年が過ぎたある日、一変した。
同性は怖いものだ。一度拗れたらもう立て直せない。
それほど信頼関係も築けていなかったし、理由は数々ある。それは私に責任はないことも含まれるけれど、嫌われたら嫌われたで、それでもう良いやと投げやりにもなった。

 少人数で狭い営業所は針のむしろだった。ついに修復不可能なほど嫌われた。
お酒の席での私の態度が原因。(これは推測)
飲酒後、気がついたら営業マンと手を繋いで歩いていたり、社員旅行でも、夜の宴会で、別の営業所の営業マンと意気投合して騒いだりと、やらかしていた。
おまけに、パイプベッドじゃない、良いベッドでさっさと眠りこけていた。
それは本当に申し訳なかったと思う。ごめんね、Yさん、Jさん。

 特に営業マンHと手を繋いで歩いたというのが、彼女たちにとって、それはあるまじき愚行だったみたい。本当のことはどうだかわからないけれど。
あの時、あれ?この手、大きくて優しいこの手、繋いでいるととっても安心する、心地よいなぁ、はぁ癒やされるぅと思ったところでハッと気がついた。
えっ?いつの間に?と自分でもびっくりしていた。多分、私から繋いだんだと思う。よく覚えてないけど。営業マンHさんはしょうがないなぁと思って、酔っ払いの私の手を振り解かなかっただけだと思う。
でも、とにかくYさん、Jさんには嫌われてしまった。
このことがショックで以降、どんなにお酒を飲んでも絶対に正体不明にならなくなった。まっすぐ歩けるし、ひとりで歩ける。記憶も失くさない。年々お酒は強くなっていった。お酒を飲んでも記憶を失くさずにいるのは気合いだ。気合いだ!気合いだ!

 私が転職出来て、家族と暮らすようになったので、Aは別れ話を切り出して来た。そう来るだろうとは覚悟していた。付き合って3年。ひとり暮らしの私を振るのは気が引けたのかな。いつかこの人と結婚するんだ、Aもそんな話をしていたこともあったが、いつの間にかそういう話はなくなっていった。最終的に私が頼ったのはAではなく家族だった。私自身、変わらなければどうしようもないという思いから、前から読みたかった聖書を購入した。

 本当はこの時、家族と暮らすようになっても、Aと付き合っていても、自分の居場所なんてどこにもなかったと思っていた。別れ話には抵抗を試みたし、ストーカーになりかけたものの、あまりにも惨め過ぎる自分をこれ以上、自分自身の手で穴に突き落とすことはしたくないと思った。Aと歩いた道、Aの車が置いてある駐車場、Aの会社の前、待ち合わせたいつもの駅の改札前、思い出をなぞる様に歩いて歩いて、諦めた。

 そこで弱りきった私はAの友だちFと接近した。Aのことを相談したくて。どうやって連絡を取ったのかは覚えていない。多分もらっていた名刺から勤務先の電話番号がわかって、電話したのかもしれない。
Fは、こう言って来た。
「前から好きだったんだよ、今の彼女とは別れて、それで仲間たちから縁を切られても、僕はあなたのそばにいる」いや、いようかなぁ?という感じ。
おそらく私ことは、思っていたより良い女ではなかったから早々に別れを切り出して...Fとのことはもはやどうでもいい。思い出したくない。
Fの母親に、私のことをこう言われたと。
「どこの馬の骨ともわからん女」
この言葉を使う人間は絶対信用出来ない。自分の母親の言葉をそのまま私に言うようなF。結局私は自分から穴に堕ちた。
「実は前から好きだった」なんて言葉はうっかり信じてはいけないね。
前にもそう言ったヤツいた。

 もういい。もう誰とも関わり合いになりたくない。
この時、初めて死にたいと思うようになった。

続く。

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