燃え尽きた果てに残るもの
このところ高校野球の球数制限が話題になっています。いろんな意見がありますが、まあどの言い分も理解できます。たまに現役球児の意見として「僕は投げきって燃え尽きたい」というものを見ます。これ、今回はこの話をさせてください。
(ちなみに私は野球未経験者であることを大前提とし、この話題に必ず登場する「”そんなに先発として投げられる投手を何人も揃えられないよ”というチーム事情」は抜きにして進めます)
そもそも「人生で最大限に燃え尽きた経験がある人」って、どのくらいいるんでしょうか。燃え尽き加減は人それぞれだと思うんですけど、マジで真っ白な灰になったと思える経験ってしたことあります? 意外とないんじゃないでしょうか。
自慢じゃないけど私はあります、二回ほど(話が長くなるので割愛)野球じゃなくてマーチングでなんですが。
二回燃え尽きた経験があるものとして言うと、燃え尽きた瞬間と直後はいいんですよ。問題はその後。いわゆる「燃え尽き症候群」問題です。大きすぎる目標を達成してしまって、次に登る山が見つからない。どの山に登っても、やれ標高が低いとかこないだの方が山頂の景色が綺麗とか言っちゃう始末。もう戻れないのに過去の栄光を忘れられなくなって、過去の自分と今の自分が乖離していく姿に耐えられなくなる、など。ちなみにアメリカにマーチングしにいった子は、比較的高確率でメンヘラになります(特に女、自分調べ)
私、もしかしたら高校球児もこうなっちゃうんじゃないかなと思うんですよね。投げきって燃え尽きたとして、それでそのあと君はどうするの? という話をしてあげる大人が少なすぎるのではないでしょうか。よくやったな、で終わらすのは無責任な気がします。燃え尽きた果てにどうなるのかなんて、想像もつかないでしょう。次の目標を見つけて、新たな一歩を踏み出すのは結構大変なんです。そしてその道を歩み続けることもまた大変なのです。
もし球数制限の話で「僕は燃え尽きたいんだ」という意見を肯定するなら、したいなら、燃え尽きた先までしっかり考えてあげて欲しいですね。どデカい花火を打ち上げても、きれいだったね~で終わっちゃうんです。そして、灰は灰でしかありませんから。