田尻のケツ割れ日記 2023年2月3日~28日
2月3日「休むときも全力!」
2月4日「オレ流!」
某グルメ漫画を読んでいて、独特なテンポの良さを感じていたのだが、理由がわかった。登場人物がモノを食べてる最中に喋りまくっているのである。普通、人間は口に食べ物を入れた状態では喋れないので、ほかの漫画もその法則に従い、口に頬張ってるシーンがあって→感想を述べるコマに切り替わるのだが、その漫画の主人公は口に入れた瞬間に「うん…美味しい!」と、毎回ではないが結構な頻度で喋るのである。
そしてその作品は、ほぼ主人公のOLと飼い猫しか登場せず、ほとんどの回で部屋から一歩も出ないのだが、セリフのないコマがなく、主人公の女がずーっと、ひとりでいつまでもずっと喋り続けている。ほかのポイントとしては、シンプルな絵柄でページ数も少ないのだが、主人公の女は作品内で同じ表情がまったくなく、百面相のようにコロコロと顔色を変化させ続け、毎度、イリュージョンの世界に誘われるのであった。
2月5日「過激な不法投棄」
2月6日「コンマリを宿らせる動機」
久々に部屋を掃除しようと思い立った。去年の夏ごろに一大決心をしてかなり大がかりな片づけを行ったのだが、きっかけは部屋に人が来ることだった。そして来客自体が15年振りくらいだった事実に愕然とした。
もう一点、掃除をせざるを得ない状況に追い込まれる事柄としては、室内での紛失物が挙げられる。今回は確定申告に当たり、某社の支払調書が見つからず、迷宮入り気味だったのである。
絨毯作戦のように部屋の隅から整理を開始し、とっくに中身がない大量の給料袋やたばこと塩の博物館から届いた未開封のDМなどを捨てまくったところ、映画『突撃!隣のUFO』のチラシが挟まったクリアファイルの中にひっそりと紛れていたことが判明。
2月7日「みつまJAPAN’先輩」
『スラムダンク寄席』という松尾アトム前派出所さんが主催する謎の寄席シリーズ(二番セカンド寄席とかブラッド・ピッド寄席とか無理やり感が凄かった)に呼んでいただいたのだが、楽屋でみつまJAPAN’さんがエスパー伊東さんがいかにスゴイエスパーだったか教えてくださった。
私にとっては小さいカバンに入ったり、女子プロレスラーにボコられたり、肉体系奇人芸人の印象しかなかったエスパーさんだが、昔は本当にエスパーで水槽の中の金魚を念力で自在に動かしたり、硬い針金をハンドパワーでグニャグニャに曲げたり、青森でUFOを呼び寄せたり(みつまさんも同席)、大槻教授も「ホンモノかも…?」と感嘆するほどの存在だったらしい。私のスタンスはほぼ信じてないのだが、知らなかった視点の話にはものすごく惹きつけられ、そして老人ホーム入居前のエスパーさんからはあまりハッピーではない内容の電話がかかってきてたそうだ。
「やっぱり人を恨んだら駄目だよね…」
と語る普段と違ったトーンのみつまJAPAN’さんは、なかなかシブい。
さらに驚いたのは劇場の仕様で、近所から苦情が来るのでマイクの使用禁止。そしてなるべくなら笑いも少なめが理想だそうだ。
大爆笑禁止…そしてそれを見越して呼び集められたメンバー。
2月8日「素敵なライブでした」
島村秀男さんのバンド、アムリタスが出演するライブに招待していただいた。そんなに広くないライブハウスにおけるポジショニングが私にはよくわからず、メッチャ声を出して盛り上がってる人がいるにも関わらず、そういう人は決して前のほうには行かない。結果的に押し出される形で特にテンションの上がってない私がステージスレスレの最前まで移動することとなり、そのとき演奏していたヤノケンタローさんは、筋肉長者番付という曲で観客にも自身と同じ振り付けを要求し、目の前だった私は、やらないと確実にヤノケンタローさんにバレる。
結局、計七~八回の振り付けを強いられたのだが、あの場にはかぶりつきで振り付けをするのに相応しい人間が私以外にたくさんいたはずである。
2月9日「アオモリライブ」
佐野うさぎ様主催、アオモリライブ。この日は二~三年振りくらいで企画コーナーが復活していた。
前日にグループラインで佐野さんから「死体選手権をやります」と連絡が来ていたが、当日に「鬼選手権に変更になりました」と全員に通達された。内容がまるでわからない点では同じなのでどちらでもよかったし、集合時間が三十分遅くなるという肝心な連絡が不達だったので、出演者全員が劇場の前でしばらくウロウロしていた。死体より鬼のほうが縁起は良いけど。
2月10日「雪」
雪だ。記録的な大雪というフレーズは毎年のことだが、果たしてどうなるのだろうか。昔、出演したライブで当日が雪。
会場に着いて香盤表(出演者が載ってる、その日はホワイトボード)を見たら、下のほうに※印で注意書きがあり、
※本日出演予定でしたゆきおとこは風邪のため欠席です
ゆきおとことして失格だと思った。
2月11日「am/pmのヤバイクルー」
昔のバイト先、S宿区にあった、今は亡きam/pm(ファミマに統合)。
自転車泥棒にシンナー中毒など、激ヤバクルーが多数在籍していたコンビニエンスだったが、中でも群を抜いたプロフィールの男はTさんであったろう。その時代の夜勤は基本ワンオペだが、新人のTさん(40代の笑顔が眩しいイカツイオヤジ)の指導のため、私は同じシフトで勤務した。
「昼間、何かやってるんですか?」
と何気なく聞いてみると、その答えは、「自分、●し屋やってます!!」
私も昼間、●し屋ほどではないが、事務所作業にライブ、ネタ練習などでボロボロに疲れ果て、軽く頭がおかしかったのだろう。
「マジっすか!? 初めて見ました!! どうやってなるんですか…どっかで募集してるんですか!?」と自称●し屋さんを質問攻めしてしまい、Tさんの答えは「家業」だった。
実家が●し屋…。
Tさんいわく、親の跡を継ぎ、先代は百件以上の仕事をこなしていたそうだが、Tさん自身は、「いやいや…自分はまだ全然、大したことないっすよ」と返答を濁されてしまった。
●し屋がなぜam/pmの夜勤に…?という問いには「近ごろ依頼が減って、家族を養うため」。
そしてこの自称●し屋だが、本業の現場だったら致命傷と思われるくらい、まったく仕事ができない。
確か経験者と言ってた割りには、宅配便の受付も収納代行もメチャクチャなやり方をし、仕方なしに私がカバーすると、Tさんにはとても感謝されたのだが、「今日は本当にありがとう!! 君にとってどうしても許せない相手が現れたら…いつでもお安くしておくよッ…!!」とありがた迷惑なお礼をを受け取ってしまった。
そんなデフレ●し屋、逆に怖すぎッ…!!
2月12日「食べなログ1.0」
朗読会を開きたいほど素晴らしいレビュー。
2月13日「お笑い界の共産圏大川興業トークライブ」
最高の成仏。
日中、会場の方が不在だったので、株式会社うんこの野畑社長が贈ってくださったお祝いのバルーン&フラワーが受け取れず、そのまま配達トラックがどこかのルートに向かってしまい、うんこをお流れさせてしまったのが誠に申し訳なかった。
2月14日「尻滅の刃」
2月15日「阿佐ヶ谷無間地獄」
南阿佐ヶ谷トーキングボックスさんでのライブが終わり、キャッチをし損ねていた株式会社うんこ様からのお祝いのお花もありがたく頂戴し、これにて終了かと思いきや、会場の山崎様から「PCの電源コードを忘れてます」という連絡が入った。ので、近日中に再び伺うことになった。
初歩的なミスで何度も家と阿佐ヶ谷間を往復し、そのたびに今どきにしては自由度の高そうなブックオフに立ち寄り、碁のルールがまったくわからないのにヒカルの碁のコミックスを集めている。
たまにジャンルを問わず、デビュー当時は破竹の勢いだったのに、急激に成績が下降する人を見ると、佐為(主人公ヒカル=碁の素人に憑りついた棋士の怨霊)が乗り移ってる人なのかと思ってしまう。
もし私にある日、チャップリンかエノケンか何か…偉大なコメディアンの霊が降臨したら、ヒカルのように自我を出さず、全部言いなりになってる気がする。
2月16日「Dang Dang 気になる」
アマプラで美味しんぼを端から視聴してるのだが、今までのところ全部、見た記憶がある。自分がそんなに取りこぼしなく、美味しんぼのアニメ(120話くらいある)を見てた人間だったとは、完全に自覚がなかった。
『とんかつ慕情』の回に出てくる老人ホームの名前がそのまんま過ぎ。
2月17日「食べなログ1.0 PART.2」
マジで詩として朗読したい。
2月18日「地下室」
母がバスのステップで躓いて転倒し、腰にケガを負った。
手の届きにくい箇所なので、シップ貼りを頼まれるのだが、それしきのことで毎回、2千円小遣いをくれる。三田佳子の次男になったような気分だ。
2月19日「ジョーと山岡」
引き続き、アニメ美味しんぼを見てるのだが、本当に記憶にない回がない。リアルタイムの小学生のころ、私はこんなにも究極対至高の食通マウント合戦を欠かさずにチェックしていたとは。あるいはチャンネル権を支配していた親の好みだったのだろうか。
そして記憶に残ってる回を見ても、美味しんぼは抜群に面白い。
話というよりもアニメとしての編集や画の完成度、音楽なども含めて臨場感が素晴らしく、同じく本当に好きなあしたのジョー2に匹敵する。
OPだけでテンション上がるあの感じ。
矢吹丈も山岡も孤独である。あしたのジョー2最終回に町田義人の『戦士の休息』を乗っけた、ニコ動のМAD動画が珠玉だと思うのだが、至高のメニューと闘った後の山岡に乗せてみたら、まったく合わなかった。
山岡にバイオレンスとキザの要素がないからだろうか。
直接的に生物の命を頂くという料理が、もっとも暴力性と遠いところにあるというのも、実にパラドックス。eスポーツやSASUKEを世界的スポーツの祭典の競技候補にするなら、美食対決も充分に資格は満たしてると思うけど、別に入れてほしくはない。
2月20日「眼鏡とサランラップ」
度数が合わないのか、過度な目の疲れで瞼が痙攣を起こし、そしてデザインも一新したかったので眼鏡作りのために眼科で視力検査をした。
マスクの着用で今してる眼鏡が容易に曇り、看護師さんが月の家圓鏡のように「眼鏡、曇っちゃったーッ…!!」と何度もクリーナーで拭いてくれる。
検査は終え、処方箋を貰ったところで所持金が尽きたので、また次の機会に作ることにした。
その後、ストレスで顔に発疹があるので皮膚科へ。
コロナ対策で顔にはサランラップをグルグルに巻かれた。
一方、帰り道の電車では鼻マスクでも顎マスクでもない、片耳マスクの花粉症おじさんがクシャミをコンボしていた。過度期ですね。
2月21日「良い試合だーッ…!!」
映画『THE FIRST SLAМDANK』を見た。
真面目に取り組んでいる木暮がスタメンを追われ、元不良が活躍する様がなんとなく嫌な作品だと感じていたが、とにかく良い作品というより、良い試合だった。もっと木暮には活躍してほしかったが、それを帳消しにするくらい素晴らしいゲーム展開。特にゴリが幻覚に襲われ、昔の嫌な先輩が小人になってワチャワチャと働きかけるシーンには戦慄した。
試合と幻覚のシーンだけで充分に成立するので、別に喧嘩とかはしなくていいような気がした。
2月22日「今日から俺は…」
映画『イニシェリン島の精霊』。
絶縁を言い渡した男(主人公)が何度も話しかけてくるので、バイオリン弾きの男がある日、「おまえが一回、話してくるたび、おれは指を一本ずつ切り落として、おまえにくれてやる」。
そして数日後、本当に指が届けられる。他人の言葉を軽く見てはいけない。社内で本当に納得がいかず、絶ッッッッッ…対にやりたくない仕事を断った際、若手が使者として遣わされ、「首領様が呼んでますけど…」みたいな地獄のやり取りが過去にあった。指でも…送っときゃよかったな。
2月23日「今日から俺は…断食」
『イニシェリン島の精霊』に出てくるバイオリン弾きのように、人は何か突然、決意表明をすることがある。
それが私にとって小三のころに思い立った給食の断食だった。
当時の小学校は冷房などなく、夏場の私は食べ物自体を受け付けず、そして残した食物を逐一、記録する先生が何か嫌。というよりしきりに北朝鮮を礼賛する当時の日教組丸出しなコノ男性担任自体が私は苦手だった。
「アフリカの飢えた子どもたちに謝れ…!!」という常套句で説教を受け(アフリカで一くくりにするのも失礼だし不適切。もっとゴールドラッシュなアフリカ人もいるだろう)、「ならば僕は給食を食べないので、先生が僕の分をアフリカに寄付してきてください」と泣き芝居をしながら訴えると、「せっかく給食を作った、給食のおばさんたちに失礼だ」と矛先を変えてきた。それに対しては、単純に…「口に合わなかった」。
すると私は担任の柔道技で宙を舞った。
担任は怒りのあまり「おまえにはもう食わせんッ!!」と私の要求を呑み、給食無し小学生ライフが始まった。〜つづく〜
2月24日「今日から俺は…断食2」
担任への抗議活動とし、給食の断食を決意。翌日から私の机には給食が置かれず、すると担任の中年男性教師は、「ウッちゃん、今日はウッちゃんの好きなプリンがあるぞ~」とわかりやすく、普段は使ってないウッちゃん(当時の私のあだ名)の呼称を用いてでも私を懐柔しにかかった。別にプリン好きではなかったし、もともと給食自体が好みではなく、昼は小食だったので不食を貫けるのはむしろ好都合、私にとっては楽園的な時間であった。しかし、「ウッちゃん、コレ食べなよ、イイから…!!」と、隣の席の級友に気を遣わせてしまい、私は申し訳ないので給食時間には、屋上に登ってひとりで腕立て伏せとかをするようになっていた。
数日後、これが問題になった。
そりゃそうだ。生徒にとって義務であるように、学校としても給食を食べさせることは職務なのだから、そんな過激な抗議活動家みたいなマネをされては困るのだ。
教職員数名と私を含めた会議が開かれ、何度も説得を受けたが、
「アフリカの子どもたちにぃぃ…申し訳がないのでぇぇ…!!」という泣き演技を続けた結果、面倒くさい小学生に学校側が提示した条件は、“お弁当可”であった。すぐに母親に連絡がいき、複雑な事情で給食を拒んでしまった秀人君に弁当を作ってあげてくださいという、願い出をしたのだが、母の返答は、「イヤですッ!! どうして私の仕事が増えるんですか!? そっちでちゃんとやってください!!」。
確かに…母も正しい。すると学校側はさらに態度を軟化させ(そもそも嫌いなモノを残させりゃ済む話なのだが…)、なんと昼どきにはいったん帰宅し、昼食を家で食べていいという…中抜け可の超法規的ルールを提示してきたのだ。
「ウッちゃんだけズリーよー!!」という自分では何も行動できないにも関わらず、エネルギーを使い+リスクを背負って反対運動するものの成果をやっかみ、自らも恩恵に預かろうとするとする愚か者生徒も多数見られたが、学校の中抜けが許される自由に比べれば瑣末なこと。
私は大喜びで一時帰宅すると、呉服屋の仕事がなくて家にいる父、光男に大層、嫌な顔をされ、学校に戻ると下駄箱の靴が隠されていた。
なんだかんだで面倒事が多いので、私は抗議活動を休止し、給食に復帰した。
問.この騒動で一番悪かった人物は次のうち、誰でしょう?
A.ウッちゃん B.担任教師 C.給食のおばさん D.母(秀子) E.父(光男)F.靴を隠した生徒
2月25日「立ち位置が不変」
ナポリサミットで「オリーブオイルの料理は日本人に合わん」と言って吐き、一部のマスコミからは死んだと思われてたらしい。
2月26日「字の上手さと文章力は比例しない」
バイト先の某出版社での日常。
今日は投稿漫画コーナーに寄せられた読者の体験談を整理し、没になった封書手紙をシュレッダーにかける仕事だった。
そもそも載せられる枠が超狭き門なので、大量のお手紙が粉々に砕かれる。粉砕前に数件の体験談を読んでみたのだが、統合失調症に罹っているという50代女性の文章が一番読みやすく心に残った。超達筆な筆文字で完全にヤリに行ってる70代女性の投稿にも目が止まったが、「あれは枯葉の舞い散る秋のことだった…」みたいな小説家プレイをやりたい欲求が強すぎ、肝心の…誰が→どこで→何を→どのように?…という基本線から逸脱し、結局、何を訴えたい文章なのかがよくわからなかった。
丁寧に小石を拾うように内容を積み重ね、相手にとって読みやすい文章。
それが心のこもった言葉だと思う。統合失調症の方の投稿は、「読んでくださってありがとう」という感謝の言葉で締められ、読後感もとてもよかった。それに病気になる過程も同情を禁じ得ない壮絶さだったし。
2月27日「ノー眼鏡ノーライフ」
今、使ってる眼鏡はメガネドラッグで買った。巣鴨の昔からある店を初めて利用し、三つ揃えのスーツを来た初老の男性店員が「そもそも、眼鏡というモノはですね…」と、眼鏡の構造自体についての座学を展開し、さらには年表を見せられ、眼鏡の歴史についてまで学ばせてくれた。今まで使ってたZOFFや眼鏡市場のビジネス優先な接客とは一線を画し、“ドラッグ”というフレーズが何か相性的に“中毒”を連想させ、眼鏡に憑りつかれた人生の方ではないかと深い印象を残した。
金がないので今回はドラッグを諦め、眼鏡市場でスゲー安いのを購入。
一番、スラムダンクの木暮に近いデザインを選んだ。
2月28日「大川興業の特徴」
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