田尻のケツ割れ日記 2023年1月6日~31日
1月6日「ねこホーダイより安い…タダッ!!」
12月31日の晩に大川興業大忘年会ライブが終わった。ゲストの方は帰りがけ、何やらポチ袋で出演料を受け取っていたようだが、大川興業所属者は基本的にサブスク(定額も支払われているかは定かではないが)なので、ロビーから帰るときも誰からも呼び止められず、あいさつして退出。
粘り強い者はロビーを何度も往復したり、個別に時間をかけていろいろな人にあいさつを繰り返して、己の存在をアピールしたりしていたが、結局は支払いに関するやり取りは行われず、出入り口をスルー。
以前は必ずポチ袋の手渡しが儀式的に執り行われていたのだが、その時代は舞台の仕込みと撤収まで作業していたので、あれは出演料ではなく、日雇い労働者への日給だったのだろう。特に不満はない。
すると私の帰りしな、事務所スタッフが「待ってくださいー!!」と追いかけてきたので、己が勘違いしていて今年は支払いがあるのかなーと思ったら、アートスティックオフィス小池さんという会社の人が事務所に送ってくれていた、1月9日に開催されて私も出演する『なもなき天才No1』というイベントのチケット(10枚)だった。
なもなき天才にくにたちでやるイベントのチケットを10枚売れというミッションは、酷ッ…!!
1月7日「フェイスブック失敗」
単独ライブを数日前に控えていた先月のある時期、かつて新体道(スピリチュアル系空手)を教わっていたベアトリス・ボワヴィノ先生(フランス人女性、現在はイギリス在住の環境活動家)からビデオメッセージをいただこうと、何度かフェイスブックなどでコンタクトを試みたが、不調に終わった。
そもそも私がほとんどフェイスブックに触れたことがなく、友達も姉とコンビニバイト時代の店長であるパンクロッカーとエロ本編集部時代の盟友の3名しかいないため、ただの不審ユーザーだと認識されてる可能性が非常に高い。
時差を見計らってビデオ通話に何度か招待してたが反応はなく、先生の日記を読むと、「私のコンピューターが溶けて壊れそう」みたいなことが書いてあったので、その時点で終戦。
1月8日「地獄」
ツイッターのあるフォロワーの方(会ったことない彫刻師)からDMが届いていた。
インスタっぽいアルファベットのURLだけが貼りつけられており、何やら不躾な送り方だなとは思ったのだが、別に10万円差し上げますや、オフパコ姉ちゃんみたいな犯罪系とは違うと思ったので、つい踏んでしまった。
何やら謎の英語が出て、普段ならこの辺で引き返すのだが、やはり人間にとってヒマという時間は諸刃の剣。正月で久々に超ヒマだったのでちょっとだけ内容を探ってみると、気がつけば謎のアプリとの連携認証を踏まされ、会ったことない彫刻師と同じく、私も謎のURLをフォロワーさま全員に送りつけてしまった。
会ったことない彫刻師自体にも恐らく悪意はなく、ゾンビウイルスに犯された人間だったのだろう。可能な限りで謝罪と注意喚起を行ったが、ゾンビURLがさらに蔓延したら責任の一端は私にもあるだろう。
1月9日「レレレのおじさん」
先月は金曜ロードショーで『天使にラブソングを』が放映され、「来週はパート2にご期待」という予告を見た直後、体感数秒後にまたウーピーが画面に映ったくらい、一週間がとても早かった。
身近な話。近所をいつも掃き掃除しているという人がいて、そのこと自体は非常にありがたいのだが、その人が使用後の某施設内は、細かなところに塵が積もっていてメチャクチャ汚い。多分、掃除用具を出し、近所を掃くという目的を達成した当人は満足なのだろうが、外から見えないところに関してはまったく興味がないご様子である。
近所を掃除すれば非常にやってる感が発揮され、近隣住民からも感謝されたとその人は述べていたが、別に誉められない箇所は無視。
やっぱレレレのあいつがこの世で一番エライ。
1月10日「ビンゴの醍醐味を知る」
先月、クリスマスくらいにいつの間にか復活していた先輩芸人のまつばっちさんに主催ライブへ呼んでいただいた。
お客さんは2名だったが、最後のビンゴ大会がヤケクソ気味に盛り上がっていた。こういうのもアリだと思った。
1月11日「エヴァの商品化、全部良い」
1月12日「冷静な男」
朝、家を出ようとしたら所定の場所に鍵が見つからない。それすなわち、出発に際して家を施錠できないという、かなり死な状況なワケだが、皆さまはそういった経験はおありなのだろうか? 私はものすごくある。
ただでさえ目が悪く、そして荒廃した室内で物探しをするのは、かなりのトレジャーハンター的素養を試されるのだが、今回の私は心技体ともに整い、相当に冷静だったのだ。
まず帰宅時には確実に鍵が存在し、その後、家から出ようとしたのは夜間の一度切り。目的はコンビニにタバコを買いにいくことだったのだが、出発間際で試供品のメビウスがJTが届いてたことに気づき、出発を取りやめた。
そして少し大げさにパッケージングされたタバコの外箱を破き、投げ捨てたゴミ箱の中を漁ると…佐川急便のストラップが付いた家の鍵を発見した。
事前の行動範囲を探った見事な推理。私はゴミにまみれながら杉下右京のように勝利宣言をした。
1月13日「am/pmの逸材」
忘れじの同僚クルー。
コンビニのバイトをしていた二十代前半のころ、昼勤の同僚でT君という大学生がいた。
短髪のさわやか系、人当たりの良いT君は週六日でシフトを入れており、あまり人と打ち解けないタイプの私もよく会話を交わしていたと思う。
ある日の勤務中、彼を訪ねてくる者がいた。
彼が店の付近に停めていた自転車の防犯登録を確認した、お巡りさんだった。 すると彼は店のバックルームに引っ込み、モップを洗ったり吐いたりしてもいいとされる流し台が設置してある、小部屋みたいなところに身を隠した。
「Tさんという方がこちらのお店で働いていらっしゃいますよね? 本日は出勤されてますか?」
「いやぁ…どうですかねぇ?」。
味方をしていいのか悪いのか判断がつかない、ふんわりした立ち位置であった私は、警察官の口ぶりからどうやらT君がお尋ね者であることは察していた。 結局、バックルーム内に3人くらいの警官が踏み込み、御用となったT君だが、住んでいる中野から勤務地の新宿まで毎日、自転車を盗んで出勤し、必ずや新宿で乗り捨て、新宿で新たに調達した盗難自転車で中野に帰り、再び乗り捨てるという、文字通りサイクルを約三年ほど、休日以外は毎日繰り返している人だった。
まず週六日も勤務していて自転車くらい買えなかったのか?
さわやかキャラに隠された彼の闇について、様々な疑問が去来していた。
つづく。
1月14日「am/pmの逸材2」
「おれはあんたのことを買っているんだよ。おれが面倒を見てやるからもう一度、人生をやり直してみないか?」
「オーナー…!!」。
前回のつづき。コンビニバイトの同僚、T君は中野⇔新宿間の通勤距離を毎日、自転車を盗んでは捨て、盗んでは捨てを約三年。のべ数百件の自転車泥棒を繰り返している、反社会的シェアサイクルユーザーだった。
初犯、というか捕まったのが初めての上に実際に訴え出た被害者が少なかったためだったか、古い記憶で曖昧だが確か実刑にはならなかったと思う。
そもそも週六もコンビニで九時~五時働いていて、自転車を買えなかった理由は、(ちなみに店から交通費は、移動電車賃分支払われてたと思う)ギャンブルにハマってしまい、借金が二百万以上あるとのこと。
そこで立ち上がったのがその店のオーナー(当時六十代男性、元銀行員。人を見る目には自信あり)であった。
前々からあいさつが素晴らしいという理由でT君を買っていたオーナーは、以前から自分なき後の後継者として、店を任せたいと考えてたそうだ。
“悪いことをした人間は、その分、良いことができる”
みたいなビートたけし理論を信奉していたオーナーは、二百万の借金を全部肩代わりしてあげ、しかも、クロスバイクみたいな十万くらいする結構な自転車をプレゼント。
人生やり直しのため、破格の散財で彼をサポートしたのだ。
これにはT君も土下座しながら号泣し、たしか翌日には丸坊主になって、真人間になることを周囲に約束していた。
それから五日ぐらいのち。
「警察です。こちらにTさんという…」。
T君はまた裏の小部屋にこもり、今度は警官が五人ほど、令状みたいな紙を持って怒涛のようにやってきた。小部屋の扉を開いた彼は、観念するどころかダッシュで店から逃走しようとする。
「ちょっと…お借りします!!」。
お巡りさんのひとりがレジの裏に回り、防犯用のカラーボールを彼目がけて投げた。コンビニ強盗ではなく、コンビニ店員でカラーボールを投げつけられたは、彼くらいではなかろうか。医者の不養生。
am/pmの青い制服が鮮やかな蛍光オレンジに染まり、T君はほどなく逮捕された。
罪状はまたしても自転車泥棒だった。買ってもらったロードサイクルは、家にあったという。
日ごろから物を借りることの多かった彼は、新品の物が使えないという特殊な癖の持ち主だったという。そんな彼がどこかの会社の社長になっているという風の噂を聞き、興味が爆発している。
1月15日「正規アルバイト」
バイトなのに正規雇用、見た目は子供中身は大人くらい謎な“正規アルバイト”という待遇にしていただいたので(いろいろ法律でアレなための措置)、十五年振りくらいで出版健保の健康診断を受けた。
一気に三十人程度の集団実施で皆がイカゲームみたいなジャージを着せられ、宛がわれた番号で呼ばれるのが新鮮でかなり楽しい。
受付を早く済ませた人ほど番号が若く、ひと桁番代はほとんどが早起きな老人。私は二十四番だった。
まだまだこの世界では若手と思いきや、四十一歳なので今年は初めてバリウムを飲んだ。本当に初体験であんなNASAの宇宙飛行士養成マシーンみたいのでグルグル回されるとは知らなかった。
「回って!!」
「えっ…すでに回されてますけど」
「あなた自身が回るのよ!!」
「ああ…(腹這いと仰向けを繰り返してグルグル)」
「そう…左腰を上げて!! そうよ…良い調子…!! そのままストップ…次は右ッ!!」。
バリウムを胃の中に隈なく充満させ、ベストショットを収めるため、まるでセコンドとボクサーのような二人三脚で指示を受け、途中からテンションがグイグイと上がった女性医師は、医者というよりモチベーターであった。そして終了後には、
「初めてにしてはとても上手でした。もっと自信を持ってください!!」
と謎の激励を受けてしまった。
出版健保の医者先生は妙にキャラの濃い人が多い。
やたら声が小さい眼鏡の七三男性医は、目の何かを調べる遠くの点を見る機械を覗かせ、
「ハイ…ボーッとボーッとね♪ 決してしっかりとは見ないでくださ~い♪ボヤ~ッと…ボヤ~ッと…そうそうそう~…!!」
とまるで猫をネットリと撫でるような口調でコチラの視線を誘い、油断した隙に凄まじいレベルのフラッシュを浴びせてきた。
やり口がチュールで誘ったペットをキャリーバッグの中に閉じ込めるみたいで、正直、人間不信に陥りそうである。
最後に検査結果を確認した医師と面談し、通常は前年度との数値の違いを指摘されたりするらしいのだが、私の場合は十五年前のデータしかないので(逆にそれが残ってることにもビックリ)、そんなプロ野球入団時→引退後みたいなほぼ別人の比較は無意味なので、ほとんど何も言われなかった。
1月16日「老人ばかりの銭湯は湯が熱い」
白山に本当に老人しかいない銭湯がある。
銭湯ベテラン老人はスゴイ。もう風呂椅子に座らず、地面に直でМ字開脚のように腰を下ろしている。これなら転倒する心配もない。
何年来の親友だかわからない老人仲間に対し、
「江戸時代にここで大火があっただろ」
と自らの昔話だけに飽き足らず、話は3百年前の大火事にまで及び、そして老人ばかりの銭湯は決まって湯の温度が異常に熱い。冬場に外から来た直後などはもう皮膚感覚がバグッて、自分がどういう状況下がわからなくなるが、なぜか少し整った感じにもなる。ドラゴンボールに出てきた半死人を入れると生き返る回復液みたいのは、こういうことなのかもしれない。
先日行った野方の銭湯は、野方も老人街な印象があったが意外にも夢追ってます系と思しき若者が多く、気さくに刺青ヤクザも歩いていたが、和彫りではなくUFCに出てくる選手みたいな現代風のデザインで今どきのアウトローという雰囲気。湯の温度は当然、ぬるかった。
1月17日「なもなき天才たちNo.1」
こんなにくにたちで開催するライブにピッタリなタイトルはないだろう。
ネーミングセンスが光る。そして本当にくにたちに集まりそうな、なもなき天才たちが名を連ねた。
主催のアートスティックオフィス小池さん(子供が8人くらいいる大家族)は、コノ時代にSNSを一切、用いず、フライヤーのみで宣伝活動をし、しかもその枚数が圧倒的に少ない。
正直、くにたちな上に詳細が謎だらけなイベントにも関わらず、チラシに打ち上げ会場と費用が載っているという、情報発信のバランスが実に天賦の才を感じさせる。一度、本当にド肝を抜かれたのが、
「観客投票で優勝者を決める、お笑いバトルイベントを開催します」
と誘われ、舞台に立ったのだが、客席に小池さん家の家族しかいなかった。
しかも、私たちは優勝と特別賞を受賞した。
1月13日「宇宙生物の融合体」
母の書き置きが大ウソ。
1月18日「大川興業大忘年会改革案」
1月6日に書いた、大川興業大忘年会の非大川興業員以外だけが出演料を持ち帰る、大川興業員のねこホーダイより安いサブスク問題だが、少し視野のスケールが狭過ぎた。
要するにイベント自体の耐用年数が切れ、毎年フォーマット通りの踏襲に盛り上がりそのモノが欠けているのが問題。イラストと文言、号数だけを差し替え、何年も使い回しで期待感ゼロの雑誌次号予告のようというか。
次回から私が提案したいのは、紅白歌合戦形式の対抗戦。
そんなのもっと古いだろと思われようが、私が提唱したいのは賞金マッチ。勝ち軍にはギャラが支払われ、負け軍は今年の大川興業員と同様にノーマネーで帰宅。
これならばなんの不公平感も生まれず、皆が勝ちたい一心で強いネタを持ち寄ることだろう。チーム分けは、日ごろから社長が「アイツは優秀だ…」と殊更にアピールする大川興業社員がいるので、その人物が見事なバランスで振り分け、お客様の投票は野鳥の会の人を雇って集計。審査員にはベテランの出演料芸人(みつまJAPAN’さんとか)に依頼すれば、М-1審査のように個性も生まれ、様々な論争の種となる→すなわち、人々の考えを喚起する注目イベントとなるのだ。低得点でチームの足を引っ張った芸人にはペナルティが課され、コロナ以前な毎年行っていた演劇ネットワーク(大川興業員のかなりムチャな肉体芸)のメンバーに組み込まれ、沸騰した鍋の中に沈んだ五百円玉を拾わされたり、火のついたタバコを持たされたり、腹をまな板にして大根を切られたり、スーパーグレイトな年明けになること間違いないのではなかろうか。
1月19日「卑作」
臭作&遺作&鬼作がソシャゲになっていて、遂に鬼畜系PCゲームを電車の中とかでやれるようになった。スゴイ時代だ。
と同時にゲーム自体はごく普通の遊戯王みたいなカードバトル形式なので、変態鬼畜ゲーが健全なゾーンになんとも自然な様子で紛れ込み、実態はヤクザのIT社長みたいで独特なヤバ味を醸し出している。
1月20日「交通」
朝、神保町駅構内を歩いてたら、すれ違う人に片っ端から、「邪魔なんだよ!!」と、悪態をつきまくっている、漫画家の佐藤秀峰似の男を発見。多分、佐藤秀峰本人ではない。
時刻は朝の9時ごろ。そんな混雑する時間帯を自ら選んでおいて、もはや他者否定。独裁スイッチを発動させるのび太にも近い逸材で、逮捕寸前だった。
1月21日「病院」
今年初めての精神科通院日。昨年の暮れと年始に結構、強めなパニック発作が起き、最近はルーティン気味だった通院も今回に関しては、いつもより意味と目的意識を伴っていた。
しかし、そんな意気込みが気負いとなったのか、ここ五~六年は一~二ヵ月に一度ペースで通い続けている、しかもご近所のクリニックに向かう最中、私は道に迷ってしまった。
正確には完全な迷子にはあらず、一本道の途中で行き過ぎたような気配がして立ち止まり、いや…やっぱりもう少し先の場所だったかなぁと、ちょっと距離感がわからなくなってしまったのだ。
進むべきか引き返すか、前進か後退か? 五分くらいウロウロしながら脳内でのひとり会議を続けていた私は、途中で自分の目の前にクリニックが建っていることに気づいた。もう着いていたのか…。
意外と人は物事に迷ったとき、答えは自分の近くにあるものなのかもしれない。
先生との問診の際、二回の発作時で共通した条件は、某定食チェーンに行った帰りだったことを伝え、パニックが起きやすい食べ物はあるのかと訊ねたら、「そんなモノはない」との答えだった。
帰り道、喫茶伯爵に寄り、トーストを食べながらイデオンを視聴して、凄く心が穏やかだった。
1月22日「大川興業ファンクラブ会報」
※令和の現在も紙で郵送されてるという大川興業ファンクラブ会報、幕臣の~…なんとか。本稿は「テーマ=私のアレンジレシピ」で、私の寄稿した文です。
ミサイル発射実験やNBAプレーヤーの招聘に国費を費やし、長年に渡って身を粉にし、あらゆる労働に従事してきた下層人民たちには一切の還元がなされず、そうした独自のバランス感覚で体制を維持してきた北朝鮮民主主義人民共和国。
一方、我々の属する大川興業民主主義人民共和国は、下級人民たちが劣悪環境な4列シートの夜行バスでツアーに向かい、睡眠時間ゼロで舞台の仕込みに勤しんだり、こんなモノは極々一例。他にもあらゆる労働に身を捧げてきたが、■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■(検閲によりスミベタで塗り潰されました)。
そんな理由で私の心は北朝鮮にあった。韓国から密輸の際、駄賃程度に手渡された韓国製チョコパイが北朝鮮人民の中でスマッシュヒットし、不安定な通貨に取って代わり、一時期は貨幣として流通するという事態に。当然、戦争中の敵国の食い物で喜ぶ人民に対し、金正恩は激怒。共産圏独自のチョコパイを編み出そうとしたが、有害物質が検出されたり、かなりのヤバイ代物だったという。そっちは入手できなかったので、私が口にできたのは韓国製のチョコパイ『情』。今回はアレンジレシピなので、少し深めのお皿を用意し、その中に統一教会さんのコーラ、メッコールを流し込む。黒々と泡だった液体の上にチョコパイの舟を浮かべると、まるで南北境界線、お笑い界の資本主義と社会主義を隔てるイムジン河のようで、本当に涙が出てきた。
味は別々に食べたほうが、恐らく本来の美味を味わえると思う。
1月23日「書類は伏せる」
別に就職ではないが、初めて会社勤めをしたとき、先輩社員から最初に教わったのは、書類は伏せて置くだった。金額が載っている、あるいは評価等が記され、それが当事者の目に触れた際、用紙を一回転させる一瞬の手間を怠ったばかりに、目ん玉飛び出るようなストロングスタイル、ではなく損害を負い、平穏な日常は一瞬にして暗黒に変わる、という先輩からのありがたい教えであった。
バイト先の社内では今、印税の割り振りなどで揉めている声が多数、嫌でも伝い洩れ、原稿料とかが載ってる帳付を出力してプリンターに表向きで置きっぱなしになってる場面とかを見ると、別にそこから流布してるワケではないんだろうが、金に対するデリケートさみたいのが足りないなーとか思ってたら、たまたま通りかかった総務の机にほかのバイトの雇用契約書がまるで見てくれといわんばかり、堂々と丸裸で置かれており、自分の3倍くらい貰ってるアルバイトが居て、大いに心をかき乱された。
人間は己と他者を比べ、損をしてると感じた瞬間に心が乱れる。ラーメン発見伝に出てきたエピソード。店の外で並んでるときには待たされてる自覚が薄いのに、テーブルについた途端、「遅せーぞ!!」とキレ始めるという客の心理にも近いような。ラーメン屋に並んだことがないので、実際にはよくわからないが。
1月24日「完全右脚ブロック」
約15年振りに受けた健診の結果が郵送で届いた。
心臓Cの判定がなんとなくヤバイなーくらいに思ってたが、『完全右脚ブロック』『心陰影拡大』という知らないフレーズ、特に右脚ブロックというK-1ファイターみたいなフレーズを送りつけてきながらなんの説明もないのはどうかと思い、自らグーグルで調べてみた。
・完全右脚ブロック=心臓の右心室側の興奮が遅れた状態
・心陰影拡大=心臓の右心室側の興奮が遅れた状態&肥満や心疾患などによって、心臓の陰影の幅
が胸郭の横幅に対して大きくなった状態
症状はいずれも全身の倦怠感、やる気が出ない、とか。
ただでさえ徐脈でメッチャ脈拍数が少なく、お医者さまから「ペースメーカー入れちゃう?」とボトル入れちゃう?くらいのトーンで提案されたことのある私は、ずっと意欲の湧きにくい、やる気スイッチの入りにくい体質といわれていたが、さらにそれが上乗せされてたらしい。
それにしては、私は労働しているほうではなかろうか。
もしも将来、そういった不具合が何かのきっかけですべて完治したら、枷が外されたように目つきがギンギンの超やる気マンマン野郎となってしまい、それはそれで危ない状態だと思った。
1月25日「彩りだもの」
白山駅前のからあげ店が閉店していた。いつか一回くらいは利用しようと思ってたが、商品写真の桜大根が眩しいくらいのショッキングピンクを照射していたので、ちょっと気が引けてしまったのだ。
あの桜大根がなくば、恐らく一度は買っていたと思う。
別に嫌いなモノなら残せばいいという理屈は、“お残しは死”という概念で育った世代には一切、通じず(それでも小学校時代、あまりにもアレなメニューが出て、先生の「アフリカの飢えた人はなぁ~…」という殺し文句に対抗し、絶食で抗議したことがある。一週間くらい給食は本当に食わなかったが、家では普通に食ってた)、食べ物として出てきた以上は完食を自らに課し、結果的に桜大根の強烈な酸味以外が記憶に残らない。
一度、飲食店経験者に「ああいう横に添えてある漬物類っていります?」と訊ねたところ返事が「彩りだもの」だった。
「バラン(緑の草みたいなピラピラ)とか本当になくていいんで、その分、値下げしてくれればいいと思うんですけど」
などと言った日には、
「おまえ…バランとバランの製造者さんに謝れッ…!! 彩りが弁当に売り上げの何割に貢献してるか、お願いランキングとかで特集されたのおまえは見てないのかッ!? だいたい、バランを敷くことによって野菜系の水分からほかのゾーンを…」
と、とても長いお小言を食らってしまった。でも私からすれば彩れば良いってモンじゃない。
彩色より実力で勝負してほしい。そしてプロなら彩った上で美味しいつけ合わせを研究する気概で勝負を挑むべきである。こんなことを言われると心底、嫌なので私は恐らく今後、飲食系の仕事は絶対にしない。
1月26日「さよならエロ本」
シネ・リーブル池袋に映画を見にいった。上映開始より4~50分前に着いてしまい、待機する椅子があるだろうと高をくくっていたら、そういう人用の椅子が満席で、階下のスタバに行ったら19時ですでに閉店し、唯一座れる地帯といえば、フロア真ん中のテラスみたいな外の吹き抜けゾーン。
数分もいれば真冬の猛寒気で北の国から状態となり、屋内にウロウロ歩いては足腰が疲れ、またオープンテラスに移動するのを繰り返していたら、意図せずサウナの整った、を初めて経験してしまった。
見た映画は『グッドバイ、バッドマガジンズ』。
実際にバッドマガジンズ(要するにエロ本。タイトルも当初はグッバイエロ本だったらしい。そっちのがいい)の編集部に在籍し、都庁や世間からグッドバイされた身としては、なんか叫び出したくなりそうな展開の数々だった。 三年間、関係者に取材を重ねたというだけあり、「こういう態度の悪い人…いるわ~」とか、とても得心した。
多分、主人公の女性視点とはまた異なるのだろうが、あのころの編集部の空気感とか、バブル期を知ってる上世代の大人は、出版不況に面しても余裕で構えてるなーと思ってたら実際は全然、そうじゃなかったり、「えぇ…この人も辞めさせられんの!?」って急に納得いかない送別会のシーンになったり、起死回生の策みたいに営業からパンティプレゼントを推されたり、ただのペラペラなDVD紹介誌になったり、かなり時代性がリアルだったと思う。あんなにシュレッダーは使わずにウチは普通にゴミ箱に捨ててたけど。
あのコンビニの立ち読みシールが貼られた時点でもう緩やかに終わりが始まっていたんだなー…いや、あの時点で給料4万円下げられてたんで、全然、緩やかでもなんでもないッ…!! エロ本愛があったので残ってたが、そうじゃなきゃ絶対に辞めてる。
以前に一度書いたのだが、都庁の有害雑図書審査会の対策として、早朝に都庁周辺のコンビニをすべて回り、自社のエロ本を買い占めさせられてた身としては、当時の都庁サイドからの証言が聞きたい。なんの得もなさそうなそんな取材、恐らく受ける人はいないとは思うが。
1月27日「平等の逆」
久々に通帳記入をしたら覚えのない小銭が入金されており、記憶を辿ったら何かの通信障害のお詫び金だった。
200円の額面はソシャゲの運営だったら許してもらえなそうだが、規模的には致しかたなしということか。
全予算を集結し、宝くじ方式にすればもっと盛り上がるのに。
1月28日「突撃!隣のUFO」
分不相応にも映画イベントの司会をさせていただいた。
試写会じゃなく前夜祭という催しがどの程度、定番なのかはわからないが、普通より祭り好きな方たちなのは確かだろう。
主演であるこの日のトークゲスト、ヨネスケ師匠は勝手に撮影会を始めたり、いきなり質問コーナーに入ってイベントを終わらせようとしたり、しゃもじを観客全員に無理やり回覧させたり、かなり自由でやりたい放題な上、「しゃもじを持って突撃したらヤ●ザが出てきた…」
等の隣の晩ごはん鉄板話も抜群で超素敵な方だった。
しかも大御所なのにこちらの突っ込みにちゃんと受け身を取ってくれる。
河崎実監督も自分の子供のころの写真をアクリルスタンドにして、¥3、000で売っていたり、かなりどーかしていて超カッコ良かった。
1月29日「カレンダー2023」
本当になんの思い入れもなく、ただなんとなくのタイミングとご縁だけで
頂くカレンダーがなんか好き。
特に好きでもない力士の写真入りや、包帯でグルグル巻きにされたクマのぬいぐるみが手当てされてる、多分、医療関係の会社が配ったと思われるシュールなモノや、なんの因果で私の元へ回ってきたのか皆目わからないゴルフのマスターズ記念カレンダー(主要大会の日にちには必ず、何か大げさなマーキングがされてるが、どの程度の重大ごとなのかはわからない)など。
今年頂いたカレンダーは一般社団法人 日本インドア・グリーン協会【NIGA】という組織が配ったモノで、毎日やけに草を激推ししてくる。こういうのがなんかイイ。
1月30日「パンプレ」
エロ本編集部バイト時代の思い出。
某エロ雑誌の懸賞ページを担当していた私だが、あるとき、AV女優がグラビア撮影で着用したパンティの読者プレゼントが企画され、誌面で大きく六名様にプレゼント!!と打ち出したにも関わらず、現場のスタッフが誤ってすべての衣装を処分してしまい、パンティの現物がないという事態に陥ってしまった。
そのときのデスクが生真面目にも、女優さんの事務所に返信用封筒付きで新しいパンティを送付し、「一度、穿いてもらってから送ってください」とかなり面倒な対応策を講じたが、事務所からはパンティが1枚しか返ってこず、その後、連絡も取れなくなってしまった。
「残り五枚は適当なパンティを買ってきて送りましょう。どうせわかりゃしないし…」
と、私がごく当たり前の提案をすると、デスクはなぜか激怒し、こう裁定を下した。
「読者は○○さんの生脱ぎパンティだと思って応募してるんだから…そんな騙すようなことはできないだろッ…!現存してる一枚のパンティを六等分にして送れッ…!!」。
そんな猟奇的性犯罪者のやばいメッセージみたいな郵便が届いたほうが余程ビックリすると思うが、とりあえずハサミで切って、その通りにして当選者へ送った。
全国で散り散りになったAV女優のパンティを受け取った運命の六名。里見八犬伝(よく内容は知らんが)の玉みたいに全員が集まったとき、何か奇跡が起きるんじゃないかと少しドキドキした。
1月31日「超攻撃的いじめられっ子」
小学校時代、やたらに私を一本背負いしたがる男子の同級生がいた。
教室やその他学習室の床は、木造だったりコンクリだったり様々だが、当然、競技用の畳よりダメージが大きい。でも、人の適応能力は凄まじく、途中から受け身にも慣れてきた。
放課後、学校に残されて投げられタイムが始まると、3時から放映のワイドショーに間に合わないため、
「今日、まだ投げてないけどもう五時間目だからそろそろ投げたほうがいいんじゃない?」
と、いつも投げてくる島田君のノルマ、一日約三回を早くこなせるように自分から一本背負いを促したりした。
一度、自分から飛んだほうがダメージが少なく済むと気づいた私が、プロレスのジョブ役ばりの軽々しさでビューンと飛び受け身をすると、勢いがつきすぎて机の角に頭頂部を強打。
私はジプシー・ジョーのように大流血した。すると、
「うわぁ…殺しちゃったッ…!!」
と島田君が大号泣し、担任の女性教諭には「牛越くんが泣かした」となぜが私のほうが怒られた。
それもこれもとにかく、学校にいる時間を一分でも短く済ませたかったからである。私が通ってた小学校には、創立者だか地元の名士だか、知らないおじいさんの銅像が建てられていたのだが、ある日、何者かによって、頭部が粉々に粉砕されていた。
「私が粉々にしました」。
学級会で犯人が名乗り出るまで帰さない流れになったため、国松警察庁長官狙撃犯に仕立てられたオウム信者ばりに私は、やってもいないのに自白。
結果、親が二万くらい(銅像粉砕にしては安い)払うハメになっていたので、あれだけは申し訳なかった。「正直に名乗り出るまで帰らせない」じゃなくて、ああいうのはちゃんと刑事事件にしないと、私みたいになるよ。