田尻のケツ割れ日記 2022年11月6日~30日
11月6日「やや日刊カルトスポーツ」
無名コンビの無名芸人が舞台で顔が出なかったという、とんでもないカルト記事を天下の日刊スポーツ様に書いていただいてしまいました。
小谷野記者、ありがとうございました<(_ _)>
11月7日「前田日明語録」
無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいた。
11月8日「東京都青少年育成条例その1」
四日間に渡る公演が終わり、帰ってきた、バイトに。
かれこれ二十年近く付き合いのある某中小出版社だが、一階エントランスを進むとCМに出てきそうなワーキングスペースがあったり、無料のコーヒーマシンが常備されてたり、すっかりホワイト企業である。
私が勤務を始めた二千年代初めのころ、メインコンテンツが過激路線を突き進むエロ雑誌であった某出版社は、東京都の定めた青少年育成条例、要するにコンビニ売りの成人雑誌を規制する新ルールとのせめぎ合いに神経を尖らせていた。ことのなりゆきと対策は以下である。
1.都庁では悪影響の著しい成人雑誌の版元に罰則を下すため、月に数度の審査会が開かれている。
↓
2.審査される雑誌は職員が都庁周辺のコンビニで買っているという情報を入手。
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3.対策として雑誌の発売日、都庁近辺のコンビニ店をすべて周り、自社の雑誌を買い占め、都職員の目に触れさせないことにする。
当時、超若手社員であった私に課せられたミッションは“3”。
つまりは発売日に早起きして自社のエロ本を買い占めてこいという仕事である。
百円ショップで売ってる主にホームレスの人が使うビニール製バッグを肩から提げ、大量のエロ本を詰め込み、早朝の新宿を徘徊している私は、どこからどう見ても完全に若手ホームレスだった。
すると、私とは明らかに年季の入り具合の違う、ボロボロのビニール袋を提げた、ホンモノのホームレスの方が遠巻きに私を見ていた。
今では完全に廃れているが、当時は露天販売の古雑誌&新聞は彼らの貴重な収入源であり、私は縄張り荒らしと捉えられたのだろう。
「おれはこう見えても…会社員だーッ…!!(心の声)」
私はいら立ち紛れに大都会のジプシーたちを睨みつけた。
つづく
11月8日「東京都青少年育成条例その2」
昨日のつづき。
都庁のエロ本審査会(都の職員が成人雑誌を精査し、青少年育成条例に違反してるか否かを判断する)から逃れるため、都庁周辺のコンビニで売ってる自社の本を買い占めるという、原始人のような作戦を会社に命じられた私。
都庁周辺を隈なく回り、百均のデカ袋に五十冊ほどの自分が編集に関わってるエロ本を詰め込み、シマ荒らしと勘違いした雑誌売りのホームレスに睨まれながら、新宿地下道を歩いていた私は、持病の腰痛が限界を迎え、前のめりに地面へ倒れた。雑踏の中、かなりハードなぎっくり腰で「助けてくださいーッ!!」という声も出ない。すると都会のコンクリートジャングルとはいえ、周囲の人が何人か私のほうへ駆け寄って来てくれた。
だがしかし…持っていたビニール袋の口が破れ、中から大量のエロ本が飛び出し、私を取り囲むようにぶち撒けられると、人々は一歩踏み出した足を止め、スタスタと私の元を通り過ぎていった。
倒れ方はセカチューっぽかったが、エロ本の中心で愛を叫んでも誰も助けにこない。時間にして数分、どうにか地べたを這っていると私の元に手が差し伸べられた。皮膚の表面が茶ばんでバッキバキに固まった手。
さっきすれ違った雑誌売りのホームレスだった。
ゴニョゴニョ言っててほとんど何を喋ってるかは聞き取れなかったが、「若いのにどうした?」みたいな心配の声をかけてくれたように思う。
「コジキーッ…!! おまえ…なんてイイコジキなんだぁー!!(心の声)」
その場へ座らせてもらい、自分がなぜこんな大量の雑誌を持って新宿を渡り歩いていたかを説明した。すると…
「よかったら…買うよ」
「コ…コジキーッ…!!!!(泣)」
会社へ戻ると「買った雑誌はどうした?」と局長に訊かれ、いきさつを説明すると、
「自分らで作った本をホームレスに売るな」
と言って少し怒られた。
11月9日「小菅からのレター」
バイト先のコミック出版社は事件モノや体験談を扱っているのだが、ある有名な殺人犯の妻を名乗る女性から手紙が届き、発送元が東京拘置所だったのでこの人自体も何らかの罪に問われている様子だった。
その手紙は書きだしに“私の波乱万丈人生”と題され、その殺人犯や過去の夫が犯した事件と相関図のようなものを記し、「ご要望があれば面会に応じます」と結ばれてたので、体験談を送ってきたというより取材の売り込みに近いような内容。
手紙を読んだ新卒一年目の女性社員、Yさんは、
「自分で事件を起こしといて、波乱万丈のひと言で片づけてるのおかしいですよね」
若いのにしっかりした軸を持って正論が言えるのは、マジで尊敬できる。
11月10日「親に感謝とその逆」
辛すぎる現場で辛すぎる状況に置かれたとき、すごくナチュラルに親に感謝してしまうことがある。
空気が最悪の場で複数人が強制ステイとなった環境下では、その人たちの本来持っている人間味がダダ洩れてしまい、中にはグッドアンサーとはほど遠い振る舞いを見せてしまう人が現れる。
そんな最中、何人かの方から一緒にできて良かった、また仕事がしたいと言っていただけたのは、恐らくは未熟な人間ながらそんなには間違った振る舞いをしなかった結果と思われる。つまりはそんなには間違った教育をしないでくれたであろう、親への感謝の心が沸き出し、少し遠い目をしてしまった。
その逆も然り。
自分の幼少期、父親が酒で結構、荒れていたので、今でも酒の席が苦手で酔った人間が不得手、というより怖いに近い感情がある。
やはり親の影響はデカイ。そして個性的な親を持った人は大抵、面白い。
11月11日「告りに匹敵する重圧」
仕事用のグループラインで業務連絡以外の用件を送ると、告り並みに緊張して手が震えることがわかったため、もう今後はやめよう。
11月12日「藤崎詩織を攻略」
なんか胃が痛むなーと思い、患部を手でいろいろ探ってたところ、肋骨がバキバキに痛いことが判明し、バイトを休んで朝から外科に。
長蛇の老人列にソーシャルディスタンスも重なり、劇場だったら羨ましいくらいの満席に立ち尽くしていたら、1時間以上は確実にかかるとのことで外出券をもらい、病院を出た。
近所なので家に戻り、その間に熟女AVレビューの連載記事を入稿できたので、時間の使い方としては、良いときメモのプレイができたくらいスケジュール管理が完璧であった。そして肋骨周りが肉離れしていた。
11月13日「寺田体育の日」
先日、出演した舞台『都市伝説・康芳夫』に大川興業の寺田体育の日先輩がご来場くださった。当初、お誘いした際は「先立つモノがないからなー」と渋っていたが、招待で入れる旨を伝えると即決してくれたのが最高にクール。
後日、舞台のエンディング中での写真(撮影OK)まで送っていただき、非常にありがたかったのだが、舞台写真を2枚のほか、3枚目に自分が買ってるのであろう株の相場変動をスクショした謎の画像が誤送信されてきた。コレはなんですか…?と恐る恐る尋ねると、
「ごめん。捨ててください。株の勉強です」
あくまで実践でなく勉強と言い張る欺瞞と、そんな大事なモノをわざわざ自分から送ってくるぶっ壊れた神経のバランスがダサくて、最高に面白すぎて、めちゃくちゃカッコイイ先輩である。
差し入れしていただいた練馬風月堂のお菓子、メッチャ美味でした!!
11月14日「武器」
先週辺りまで出演していた芝居が一段落し、いろいろとズンドコな職場環境ではあったものの、何人かの方からは一緒にできて良かったと最高に嬉しいお言葉をいただき、それゆえに調子に乗ってたのだろうか、日常の巣に戻り、普段と変わらず自分を雑に扱ってくる人と向き合い、なんだか傷ついてしまった。
私はこの業界では最弱クラスの戦士と思われるが、いくつかの武器は持ち、ほとんどその武器だけを目当てに関係を構築している人が何人かいる。
「オメーのそのちょっとは使える武器だけが目当てなんだからよ、仕方がなくギルドに入れてやってんだから、決して調子に乗るなよ」
という態度をヒシヒシと感じてしまい、基本、私も実力主義なのでいたし方なしとも思うのだが、その武器を手に入れるための道程とか葛藤をすべてかっ飛ばされると、要するに私に対しての興味のなさが辛いのである。
以前はどうとも思わなかった逐一のプレッシャーに対し、私はどうやら忘れてしまった人間としての感情を取り戻しているようでもある。
「オレ…カナシイ…ニンゲン…ナゼ…ナミダ…ナガス…???」
相手の些細な言動や態度でいちいち心で血の涙を流している41歳。
画づらとかいろいろヤバイ。
帰りに渋谷でさかなクンの映画を見たら、号泣してしまった。
どの辺りが響いたのかは謎。
11月15日「みんなカルト」
かれこれ2年くらいラジオを放送していただいている、エフエムひめの本庄強代表がお電話をくださった。
先日、送った録音の内容を誉めていただき、
「キミんとトコの事務所はオウムみたいやな」
というひと言に「あぁ…」と思ってしまった。
膝を打つ部分もあれば、世の中のあらゆる事象にはどこもかしこも、ちょっとはカルト的な要素が含まれているので、誰だって水中に50分潜り続けたり、空を飛んだりする夢想にハマる可能性は持ち合わせてるなーと思いつつ、カルト感のない表現は大抵、つまらないなとも。
金が超欲しーとか、おれのやりたいようにやらせろではあらず、お金を払ってくれた人をメッチャ楽しませるためのカルトでありたいものである。
11月16日「役者崩れ」
ある人について、昔、縁があったという人物に訊ねたところ、
「あの人、昔、芝居をやってて役者崩れなんですよ」
とのことだったが、その当該人物は私程度の素人でも知っている演劇上のルールをほぼすべて粉々にぶち破っていた。
役者の崩れ方が中途半端で悪い思念だけが腐敗して残ってしまったのか、それとも役者が崩れすぎてミクロンレベルまで木っ端微塵に崩壊し、前世の記憶までを失ってしまったのか。
いずれにせよ〇〇崩れには、節度のある朽ち果て方が求められるのであろう。
11月17日「診察の待ち時間・持ち時間 その2」
今日は月に一度のメンタルクリニックの日。
悩みを抱えた患者が多すぎて、待ち時間が無尽蔵に伸びる問題について先月も書いたのだが、今日、医院を訪れると、
「“医師の診察時間は5分~10分です”」
という貼り紙がなされていた。
ついにオペレーションが崩壊したか、はたまた医師の精神の限界か?
キッチリしたルールを設けられたであろう今日は、ほとんど待ち時間を要さなかった。
以前の来院時には予約時間通りに受付したにも関わらず、待合室のソファで4時間近くを過ごした末、スタッフさんから、
「今日は担当のS先生の診察が立て込んでまして…年配のT先生のほうでしたら、お入りいただけるのですが…」
という今さらな提案が。
私は特にS先生へのこだわりはなく、薬だけが所望だったので年配医師の診察を希望すると、今まで一度も通ったことがない、隠し金庫に繋がってそうな細い廊下を通され、行き着いた先には、死ぬことすら許されぬ重罪を犯し、小部屋には幽閉されている(ように見えた)、おじいさん医師が待ち構えていた。
おじいさん医師は一生懸命に遠い耳を私の話に傾け、微かに震える一本指でカタカタとキーボードを打ち鳴らしていた。
ちなみに今日の私の診察時間は約1~2分で済み、普段もこの程度。
10分では収まり切れない想いを抱えた患者は、別枠でカウンセリングの希望も出せるので、一旦はこの張り紙を肯定的に捉えたい。
医師から「今日は何かありますか?」と訊かれ、私もたまに少し話を広げたいかなーと思うときもあるが、うまく伝えきれずに詳細な説明を必要とし、時間が伸びても悪いので「大丈夫です」のひと言で大抵は終わらせるようにしている。ほかの重篤患者への配慮とかでは一切なく、待ち時間にお腹が空いて早く帰りたいのが理由の根本である。
いずれにしても医師以外に話を聞いてくれる人を何人か持っている私は、かなり幸せな境遇といえるだろう。
11月18日「易学センパイ」
知人に相談された話。
その知人の知人が現在、家を建ててる途中らしいのだが、易学に精通してると自称する何かの先輩から、
「その家の方角と間取りは最悪。誰かが確実に死ぬので、取りやめたほうが良い」
と助言をされ、大層思い悩んでるという。
どうしたら良いか?と訊かれても知らないが、その何かの先輩も、
「あくまで私の予想ですけど、あなたは帰り道、原付にハネられて死にますね」
と言われたら決して良い気分はしないはずなので、「なるべく距離を置くか、一目散に逃げるかしたほうが良い」と、アドバイスとも呼べない答えをしながら、心の中でエールを送った。
11月19日「怒りの獣神」
獣神サンダー・ライガーのコスプレが急にしたくなった。
思ってた以上にライガーだった。ジョニーさん、ありがとう。
11月20日「親切に気づく能力」
日曜をどうしても休みにしたくて土曜にやることを詰め込んだ結果、まるでCMの人みたいに眼精疲労で苦しむこととなった。
そして自由を獲得して日中から巣鴨に乗り込んだが、目当てにしていたカフェには列がなされ、結局は裏道に佇むベトナム料理屋に入った。
この店は、水はぬるいのにおしぼりは凍りそうなくらいガチガチに冷たく、出てきた料理に味がないなーと思い、調味料をかけたら気絶するレベルで塩辛くなったり、なんぷらーと書かれた容器をいくら傾けても出ないので隣の席のほうを使ったら大洪水に見舞われたり、いろいろ極端な店だった。
スープなのかほかの料理のタレなのか微妙な雰囲気の皿があり、スープだと判断して全部飲んだらめまいがしてきた。よく見たら壁に説明書きが貼ってあり、完全にタレだったことが判明。
私に親切を受け取るだけの能力がなかったのが痛恨。
11月21日「完璧な牛越」
舞台『都市伝説・康芳夫』の主催者、佐藤賢治さんから朝方、
「編集や諸々の作業が追いつかず、手伝ってほしい」
とSOSのラインが届いていた。私のような素人に何が手伝えるのか甚だ手探りだが、何か役立てることがあるのだろうか。
月頭に本番を迎えた新劇団において、というより劇団に限らず集団でのモノ作りにはすべからく、人間サンドバックのようなスケープゴートが存在し、誰しもがそいつには何をしても許されるという大人数による想像力の欠如に陥るが、佐藤さんは主催者自らその役を請け負っているのが偉いというか。
私にとって大川興業本公演(演劇)の初年度であった確か2007~2008年ごろ、自分がサンドバックだった時代を思わず想起してしまった。
夜の稽古が終わる23時ごろ、私は台本の叩き台となる出演者のアドリブ芝居が録音されたカセットテープを持ち帰り、テープ起こししたテキストを演出家の元へFAXする。複数人が喋ってるそこそこ長い尺なので、起こしだけで3~4時間はかかる。
明け方4~5時ごろ、私の送った台本テキストに演出家が修正を入れ、さらにその日に行うべき様々な雑用仕事、買い物リスト、その他のお小言が書かれたFAXが私の家に返送され、当時のロールされた感熱紙が巻き物のような長さに及ぶ。一度、長さを測ってみたら3メートルを越え、G馬場の身長より長かった。
演出家の修正箇所を打ち直し、出力した台本テキストを演出家と大川興業の稽古場に送り、昼過ぎからの練習に間に合わせる。
そして私は9時には原宿のでかいダイソーで開店待ちをし、指示された買い物リストの商品を調達する。確かその日に買い求めたのは、前日に別に劇に出ない先輩が床に躓いたとかで、それを保護するための防御シールとかすごくどうでもいい物だった。それ以外にフライヤーの折り込みとか雑務を済ませ、昼過ぎに稽古場へ到着。
朝方、私のFAXした台本を元に練習が行われているはずだったが、先に集合していた先輩方はお茶を飲みながらくつろいだご様子である。
するとそこへ電話が鳴った。
演出家「どうだ、みんな練習しているか?」
私「いえ…えっとですね、あっ、FAXが紙詰まりしていて、まだ台本が全員の元へ行き渡っていないようです」
演出家から全員宛の一斉メールが送信され、
「牛越が紙詰まりに気づかなかった 牛越のせいで練習できていなかった最悪だ 長年やってきてこんなことは初めてだ ○す」
と私を糾弾する内容が句読点を打たずにツラツラと書き連ねられていた。
私は○されるくらい、とてつもない重罪を犯したらしい。
稽古場着→演出家からの電話までおよそ十秒程度だったので、その間に紙詰まりを直すことは不可能だった。惜しむらくは早朝、FAXを送ってすぐ、稽古場へダッシュして自分が送ったFAXを紙詰まりを直しながらスーパーキャッチし(その時点でFAXの意味はないが)、全員分のコピーを済ませるまでできれば完璧な牛越だっただろうが、残念ながら私は完璧な牛越ではない。
11月22日「ひとことで言えばドライ」
肉体的な疲労と精神的なアップダウンがあり、なんかグチャグチャのダメージ過多な状態に陥ってしまった。
なんだか真っすぐ歩けなかったり、泣きそうになったり、特段に気分の落ち込みが激しかった。が…どういう心理の持っていき方だったか覚えてないのだが、皆、そこまで私に対して興味がないし、それに自分もそんなに他人への責任は負えないし負う必要もない、自分が独立した個体であることを強く意識したらメチャクチャ楽になって、晴れやかな気持ちに変わっていった。
いったいなんだったんでしょうか? 強い個であるほど公のためにも役立てるというか、何か他人の心理に勝手に引っ張られてメタクソに疲れたり傷ついたりしていたのが、キッパリと切り離した途端に急激に肩の荷が下りた(数分前に麻婆丼を食べたので、単にそれが回復のきっかけだった可能性もあり)。何やらドラクエのピカピカしたバリヤーみたいなメッチャダメージを受ける床から普通の地面に抜け出せたような、気分の切り替えというより、ある種の気づきに近かったのだが、全然上手く文章化できないのでもう少し自分と向き合う時間を作りたいな。
先述の気持ちのアップダウンはすべて他人の評価によるモノなので、そこから自分を切り離し、精神的な自由を得られたのが恐らく勝因。
11月23日「2千円を引き出すための順番待ち」
緩やかな財政破綻に向けて突き進んでいる。
ここ一ヶ月、というか広い目で見ればずっとだが、ほぼお金にならない仕事にばかり邁進しているので、猛犬を挑発すると吠えられるくらい当たり前な成り行きである。
当然だが銀行手数料などに払ってやる金はなく、勤務地の半蔵門にUFJがないので麹町まで歩く→同じような人が多いので並ぶ。
順番待ちは一列でキャッシュディスペンサーは10台以上あり、最前列の者はどこかが空いた際、すぐに進まないと後ろの待ち人から白い目で見られるため、常にマナコを皿のようにして草食動物のような広い視野を持つことが求められる。私はといえば座高が限りなくゼロに近いのに、金融崩壊の結末を迎える心の整理がつかず、2千円ずつを下ろす日々を繰り返すうち、視界を広げる順番待ちにかなり慣れてきたのであった。
11月24日「真っすぐ道に迷う」
いよいよ認知がぶっ壊れ始めている。
新宿三丁目から西武新宿駅まで、徒歩で向かっていた途中(一本道)で道に迷ってしまった。
三丁目の交番前で老舗風俗店の看板を見つけ、「今でもあるんだー」と感慨に耽っていたのちに方向転換を間違え、歌舞伎町方面に向かうはずが「なんだか今日の靖国通りは細いなー」と思いつつ明治通りを直進し、日清食品ビルにぶつかっていた。そのまま進んでいけばいつかは辿り着くかなとも一瞬考えたが、冷静に来た道を引き返したのが勝因✌
ちゃんと集合時間に間に合った上、気がついたらいきなり予期せぬ街の景色が広がっているというワンダーな体験ができてかなり楽しかった。
11月25日「薪割りと燃えるすき家」
朝から自信満々に北浦和駅だと思って待ち合わせしていた駅が、途中で浦和駅だということに気づき、昨日に引き続いて認知能力の低下によるワンダーゾーンに陥ってしまい、かなり刺激的だった。
集合時間の30分も前に着いてたので、遅刻はしないで済んだ。
昔のエロ本会社の大先輩、Yさんの持ってる土地(おじいさんか誰かが昔に買ってたことが最近判明し、今のところ利用価値のない山林)をお借りし、人生初の薪割りをやらせていただいた。
とても硬そうな材木が素人に割れるとは思わなかったが、斧を振り下ろすと意外にも真っ二つに割れた。すると中から大量の白アリが出てきたので、ほぼ彼らの仕事であった可能性が高い。
帰り道、すき家に寄ると鍋モノの火が紙ナプキンに引火し、延焼を防ごうとしてナプキンを摘んだ箸までボーボーに燃やしているお客に遭遇。
会計後、その燃える男はおばさん店員から「お気をつけて」と言われて見送られ、私もその通りだと思ったが、私が会計を済ませたのちにもおばさんは、「お気をつけて」と声をかけてくれた。多分、おばさんは正しい。
11月26日「超日記っぽい」
久々に歯医者へ検査をしにいった。
底抜けに朗らかな受付の女性が今日はいなかったが、どうしたのだろう。
私が以前に着ていた結婚式のイラストに“GAMEOVER”と書かれたジョークTシャツに妙に食いついていたことがあったが、さて。
待合室にサバイバル入門の本があって、いつも読みたいと思うが、そんなに待ち時間がなかった。
そのあと、世田谷パブリックシアターで三谷幸喜の芝居を観劇した。
当然だが、下手な人がひとりも出てない。異次元だった。
主演の女性が鈴木京香っぽい声で多分そうかなーと思ってたら実際にそうだったのだが、目が悪すぎて目視で人相を認識できなくて残念。
帰宅途中、白山ペガサスという喫茶店に初めて入り、妙にエメラルドなゼリーを頂きながら、超久々に新体道の大先輩にメールすると、良いニュースと悪いニュースを教えてくださって、精神が天才トランポリン選手のように弾け飛びそうだった。
11月27日「仏道とプロレス」
ユーチューブ動画の編集を二本と年末に向けた原稿、ほか細々した業務をこなしたのち、ボロボロになった私は何かに引き寄せられるかのようにフラフラと巣鴨地蔵通り商店街へ赴いていた。
高岩寺は厳かを完全にやりにいっている。
デッカイ仏堂の中のぶっとい柱、なんかデケー火鉢みたいの、重厚な石でできた何かの像、手間がかかってそうな立体感のある屋根。そしてどこかに連れていかれそうな線香の香り。
ただのスガモというブランド名だけであれだけ有象無象の老人たちが集ってくるはずはない。参拝時間終了間際、片づけに勤しむホーリーたちからもどこか意図的な厳かバリヤーがギンギンに張り巡らされ、ファンに同列の人間と舐められる=死であった昭和の新日レスラーと同じく、幻想(この場合は神聖さ)を飯の種とする、厳かなプロレスを感じてしまった。
そして以前、近場に住んでいて「睾丸…じゃなかった高岩寺」と熟女ジョーク(熟ジョーク)、を飛ばしていたピンク映画女優さんのことが気になり始めた。
11月28日「オカダヤ移転、今知る」
新宿オカダヤの入り口が変わっていてかなり驚いた。というか別館はそのままだが、本館自体が近場に移転していた。
月頭に出ていた芝居の影絵シーンにおいて、スクリーンにする白布の買い物を頼まれ、昔はめちゃクソな小道具作りやらに追われ、月一くらいの頻度で訪れてたオカダヤが随分と久しぶりなことに気がついた。
影絵で思い出すのが、昔の公演で背後から美しい地球の映像をプロジェクターで投影し、オッサンがもうひとりのオッサンの勃起したペニスを咥えている影を映し出すシーンがあり、練習のたびに尺八に及ぶタイミングが変わるので、一ヵ月近く毎日、夜な夜な光源である地球の映像尺を編集し続けたことだ。おかげで使用する布の買い物を間違えずに済んだ。
11月29日「不自由民主党」
サッカーW杯の日本代表について、同じ事務所の仁井智也君からいろいろ教えてもらった。
「日本代表は守ってるときには強いんですが、ボールキープをすると弱い。自由に攻めていい時間になると、逆に不自由になるんです」
先日、お会いした漫画家さんも出版社からの要望に応えて描いていたときは順調だったが、全部おまかせの仕事依頼を受けた途端、まったく筆が進まなくなり、鬱→アル中コースに陥ったという。
確かに自由にどうにでも好きにしていいといわれると、逆に困るモノかもしれない。
11月30日「カブキもの」
銭湯に向かう途中、ザ・グレート・カブキさんの店っぽい居酒屋を見つけた。ぽいというか、100パーセントそうだろう。
カブキさんは名前とメイクが歌舞伎なのに、試合自体はクラシカルでそんなに見栄を切ったりもしない。私は本物の歌舞伎を見たことはないが、恐らく毒霧を吹いたり、ヌンチャクを振り回したり、息子のグレート・ムタを大流血させたりもしないだろう。
店が位置している街並みは実にシックで、六本木で暴れたり灰皿でぶん殴られたりするホンモノの歌舞伎とはやはりひと味違うと思った。