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「エホバの証人二世が直面する現実とは?公正世界仮説の葛藤と苦悩」
「努力は報われる」「悪い行いは罰せられる」—私たちは、世界は公正であり、行いには正当な結果が伴うと信じる傾向があります。これは「公正世界仮説」と呼ばれ、誰しもが持つ自然な心理現象です。しかし、この一見すると正しそうな考え方が、宗教二世、特にエホバの証人の二世にとって、時に大きな苦しみをもたらすことがあります。
エホバの証人の教えと「公正世界」の矛盾
エホバの証人の教えでは、神の王国が到来し、ハルマゲドンと呼ばれる「神の戦争」によって、現在の邪悪な体制は滅ぼされることになっています。そして、選ばれた人々だけが楽園で永遠の命を享受できるとされます。
この教えは、信者にとって「公正世界」を強く意識させるものです。真摯に信仰を貫き、組織の規則に従う「良い人」は報われ、そうでない「悪い人」は罰せられるという、明確な二元論が存在します。
しかし、現実の世界は、必ずしもこの教え通りに機能しているわけではありません。
二世が直面する「不公正」と「公正世界仮説」の葛藤
組織外の人々の成功: 信仰を持たない人や、他の宗教を信仰する人が、経済的に成功したり、幸せな家庭を築いたりする姿を目のにすることは、二世にとって葛藤を生みます。公正世界仮説に基づけば、「神に従っていない彼らが、なぜ?」という疑問が湧き上がってくるからです。
組織内の不祥事や苦難: 組織内でも、不倫や横領などの問題行動が起こることがあります。また、病気、事故、自然災害など、不可避な苦難に見舞われることもあります。このような現実は、「神に従っているはずなのに、なぜ?」という疑問、そして公正世界仮説への強い不信感に繋がります。
排斥: エホバの証人の教えでは、組織の教義から逸脱した行動をとった場合、「排斥」という処置が下されます。これは、家族を含む信者とのあらゆる接触を断つという、非常に重い罰です。排斥された家族を持つ二世は、「なぜ、愛する家族がこのような仕打ちを受けなければならないのか?」という、深い苦悩と直面することになります。
「公正世界仮説」がもたらす二次的な苦しみ
上記のような現実に直面した際、公正世界仮説に基づいた思考回路は、二世をさらに苦しめる可能性があります。
自己責任論: 「何か悪いことをしたに違いない」「信仰が足りないからだ」と、自分自身や排斥された家族を責責め、自尊心を傷つけてしまう。
組織への盲信: 「神の計らいは、人間の理解を超えている」「今は苦しくても、いつか報われる時が来る」と、組織の教えを盲目的に信じようとすることで、現実と向き合うことを避けてしまう。
周囲への不信: 「組織の外の人は、みんな悪に染まっている」「幸せそうに見えても、それは一時的なものに過ぎない」と決めつけ、周囲との壁を作って孤立してしまう。
「公正世界」を超えて
エホバの証人の二世にとって、「公正世界仮説」は、時に心の支えとなることもあれば、時に大きな苦悩の種となることもあります。
大切なのは、「世界は必ずしも公正ではない」という現実を受け止め、自分自身の価値観で物事を判断できるようになることです。
そして、組織の教えにとらわれず、自分自身の幸せを追求していくことが重要です。
参考文献:
ラーナー, メルビン・J.『The Belief in a Just World: A Fundamental Delusion』(1980年)
その他、公正世界仮説やエホバの証人に関する社会心理学、宗教社会学の研究論文