私のしあわせを定義してみた
前回自己紹介を書いたあと、なにを書こうか悩んでいたところ、
「逆に不安になるから私のいやなところも探して」と頼んでしまう程、日々モチベーションを高め嬉しい言葉をかけてくれる、
(言うなれば私の水やり係)が幸せの定義について考える機会をくれました。
3つ定義するとして
私の幸せの定義は
これが(私の水やり係)と話しながら私が即興で考えた幸せの定義でした。
我ながら、ぽんっと出てきた割には自分の考え方にとてもフィットしていて、しっくりきます。
そもそも「定義」とは
これを読んでくださっている人のお話も聞いてみたいです。
だれかのお話を聞かせてもらうときには毎度の如くなぜなぜ期(「なぜそう思うの?」「なんで?」「どうして?」と興味が止まらないこと)に入ってしまうので、
これを読んでくださっている方のウォームアップとして(?)(笑)、
私も3つの定義の考えをアウトプットしてみようと思います。
周りの人が幸せだと感じられる(幸せであるように見えている)こと
周囲にも伝わる程の幸せは、きっと、自分自身が幸せだと感じられている状態なのだと思います。
そう見えないときには迷わず手を差し伸べられる人でありたいし、
そのためにも、ただ見えているものだけを信じてかいかぶってはいけないと常々思います。
家族、またはそれに代わる人が生きていること
家族と呼べる人がいなければ、両親が揃っていなければ、幸せではないという意味ではなく、
自分が「家族」だと心をゆるせる人がいて(これは自分が思っているだけでも、勝手に支えにしている人でもいいと思っていて)、
ただその人が同じ世界に生きている。
離れていても、命あるだけで、それ程幸せなことはないと思います。
好きな瞬間があること
憧れの人から貸してもらった本を隙間時間にせっせと読んでいるとき。
普段は雑になりがちなベッドメイクをして、沢山回した洗濯物を畳んでいるとき。
ぼーっとしながら、ごはんを作っているとき。
人から理解されなくても、自分の中で好きな瞬間があること、
滅多にないけど、それでもたまに訪れる生きているだけで楽しくて仕方ないかも、と思う瞬間があることって、幸せだと思います。
私にとってのしあわせとは、
周りの人がしあわせだと感じられる(のように見えている)こと
家族、またはそれに代わる人が生きていること
好きな瞬間があること
私のものさしだけど、
私の大切な人たちが、今この瞬間に幸せだと感じていたらいいなと思います。
'230214 noah
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