迫り来る死の轍と妄想~筋肉少女帯「ワダチ」への感想~
以下にある文章は、私見、感想であり必ずしも正しい解釈では無いことをご了承下さい。
あくまでも解釈の1つとして読んでいただければ幸いです。
私は筋肉少女帯が好きである。
筋肉少女帯のアルバムでよく名盤として挙げられるのは「月光蟲」と「レティクル座妄想」らしい。真偽は分からない。基準も各々違うだろう。
私は「レティクル座妄想」が好きだ。
「妄想」や「死」のテーマがアルバム全体を通して全面に押し出されているところが、「月光蟲」とはまた違った魅力になっている。コンセプトが分かりやすいのである。
(月光蟲も好き…解説はまた次に譲る…)
そのなかから曲を1つ選べ、と言われれば、私は迷わず「ワダチ」を選ぶ。簡単に気に入っている点を挙げるとこうだ。
・引用文から純粋に死のテーマを抽出し我々に示していること
・死への恐怖をぬぐい去るために妄想する、という「死」と「妄想」のアルバムコンセプトを非常に重苦しく表現していること。ストイック。
・歌詞構造のなかに巧くワダチ(轍)が表現されていること
知っておられる方も多いかもしれないが、この曲の歌詞は一部引用がなされている。
大きな歴史の転換の蔭には、私のような蔭の犠牲がいかに多くあったかを過去の歴史に照らして知るとき、まったく無意味なものであるように見える私の死も大きな世界歴史の命ずる所成りと感知するのである。
今、私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んでいくのである。
これで世界人類の気持ちが、少しでも静まればよいのである。
それは将来の日本に、幸福の種を残すことなのである。
アルバムの歌詞カードによると、この部分は
塩尻公明『若き友へ贈る』社会思想社
の木村久夫氏の文章だそうである。
さて、この曲は我々に何を運んで来るのか。
簡潔に言うと、それは「逃れ得ない死」である。
引用された部分は、ある1人の人間が死に直面した時に書き遺されたものである。
この文章とその背景をセットで考えるとき、
「かわいそうだ」「戦争は悲惨だ」「かなしい」
「戦争は愚かだ」「このような死は痛ましい」
という感想が挙がるだろう。
この文章には、「死」と「戦争」という2つの大きなテーマがある。
「ワダチ」はこの文章から「死」のテーマを純粋に抽出し、我々に迫らせてくるのである。決して他人事ではない、「逃れ得ない死」としてマーチを奏でながら、パイプオルガンの重苦しい音色とともに。
男は曲中で、逃れ得ない死を悟る。
そして、曲中の男は逃れ得ない死に直面したときにどうしたのか。
そう、「妄想」である。
大いなる妄想
轍踏め
別に不幸でもいいじゃない
闇に帰るならば
ゆうべ一人の男が死んだ
我々が死に直面したとき、一体何ができるのか。
「死の轍」はいつか貴方のもとにもやってくる。