玉子を割る。黄身を潰す。白身を引き裂く。 このかわいらしくまるい、屈託のない笑顔の目玉焼き。白い柔肌で澄ましたポーチ・ド・エッグ。威勢のいい半熟卵。薄羽衣を纏った温泉卵。 「この子をいつ割ってやろう、潰してやろう、引き裂いてやろう」 この子らに出会ったとき私はそう身悶えながら食指を動かす。なにものにも代え難い、個人に許された破壊と創造のよろこびが繰り広げられる予感に、胸を躍らせるのである。 破壊には細心の注意が払われる。まずはそのままの料理を味わうわけだが、一口味わう
人間はなぜ映画を観て絵画を愛で、小説に耽り、音楽に浸るのか。それはそれらが永遠の日常にならないことを知っているから。人間は悲しい。
幻想から覚めてしまう 貴方が貴方の幻想を私にくれなくなったから だから私も貴方に私の幻想なんてくれてやんない
現実でトリップしたいよ
谷崎潤一郎の「刺青」や「痴人の愛」では単に蠱惑的な女性が描かれるだけではない。 まず男性の欲望が女性に注がれ、その上で男性が支配されるという逆転、倒錯が描かれているのがやっぱり個人的にはミソだと思うのです。
体にこびりつく目玉焼きの匂い。 日常の匂い。 忌々しい。
イライラしている。いいぞ、いい兆候だ。 こうやってまた言葉を綴ろうとしているのだから。 汚泥をまっしろい何かに吐きつける。 衰弱は恵みだ。
私の最も軽蔑する人間とは、己の乾ききって固い土塊のような老いさらばえた感性を捨て置き、耕そうともせず潤いを与えようともせず、屍のように呻きながらただひたすら甘露が降り注いでくるのを待っている。その傲慢たるや!たとえ甘露が沁みようとその貧相な感性ではすぐに干上がってしまうだろう。
わたしの考えた最強のSM論を滅茶苦茶誰かに語りたい
春になれば山菜が芽吹くだろう。春まで生きていようと思った。
言葉にならないなにかは、涙になります 涙は轟々と哀み怒って、笑いながら混沌になります そんな涙のような人になりたかった
Don't dream it.Be it.
伊藤潤二の「うずまき」面白すぎる。陶芸家を登場させたのも男女をしめ縄のように絡めたのも秀逸すぎる。渦巻という模様に込められた呪術的な意味の歴史から考察したい。素晴らしい。
私は「おたくに憧れているがおたくにもオタクになりきれない奴」なので、突き抜けている人はカッコいいと思うのです。
私は幼少期から、どうしようもないオカルト野郎だということが最近身に沁みております。目を背けても背けきれないほど芯からオカルト野郎であります。どないしよ。どないもせんでええがな。
いつでも「おかえりなさい」を希求している そして「ただいま」と言うのだ 何処か、ここではない場所へ、「ただいま」と。 何かが私に言うのだ。「おかえりなさい」と。