化粧はなぜ学校で嫌われるのか
タイトルはネットニュースの記事にありそうな感じですね、こうすると見てくれる人増えるんかなあとかゲスい発想でこうしました。
実際、子どもの化粧は嫌われてます!
結論からいきますが、生徒が化粧をすることについて、学校や教師はなぜ嫌うのか。その答えはわかりません。
学校だけで嫌われているのか、社会全体で嫌われているのかさえ、何ともいえません。ただ、子どもの化粧という行為を毛嫌いする大人がいることはどうやら確かなようです。
私は合理主義者の男性で、化粧をしません。子どもの化粧を嫌がる理由もないので、仮に子どもが化粧をしていたと聞いてもほとんどどんな感情も湧きません。毛嫌いする人たちの動機がまったく理解できないし、毛嫌いしている姿に共感ができないのですが、でもそういう人の姿をたくさんこの目で見てきました。
今回はこのことを語っていきましょう。
今の生徒は異常にビジュアル重視
子どもはいつの時代も見た目にこだわる存在です。ファッションの流行に支配されがちなのは大人ではなく子どもです。私が子どもの頃は、コギャルなんていう異様な風貌が一大ブームを巻き起こし、繁華街は日焼けした若い女性であふれていました。
その前提に立っても、なおのこと、です。現代の生徒は、昔の生徒に比べてビジュアルへのこだわりが異様に強いと感じます。おそらくSNSが原因なのですが、今の生徒は見た目にこだわるというレベルを超えていて、見た目が本質と考えているようなフシがあるので、その事例から紹介します。
みなさんにとって、体育祭とはどんな行事ですか。
多くの人にとって、体育祭とは、走ったり縄跳びを飛んだりして競い合いながら運動を楽しむ行事のことだと思います。その考えのもとで体育祭のビジュアルといえば何が浮かびますか。子どもが一生懸命走っている姿が浮かびますよね。
ところが現代の子ども、特にSNSに感化されてキラキラを目指す女子高校生は、体育祭というとまず特殊なTシャツを着ていること、そして小道具を持っていること、それで友達と並んで写真を撮る姿がメインだと考えています。
特殊なTシャツいうのは、業者を通して作ったオリジナルデザインのTシャツ(いわゆるクラT)のことです。小道具とはネームボードとか応援団扇のことで、そこには自分の名前というかあだなみたいなのが書かれています。例えばエリさんだったら「えりりん」と書かれているみたいな感じです。
あ、ちょっとセンス古いな。
まあいいや。
ネームボードや団扇については、ただの応援グッズだろうと最初は思っていたんですが、どうやらそうではなくて、本質的には写真に写ったときに可愛く見えるための小道具という位置づけのようです。
何がすごいかというと、こうした生徒たちは、体育祭の本質を、走っている人たちよりもむしろTシャツを着て小道具を持っている自分たちの姿を映像に残すことにこそある、と考えていることです。
イベントのおまけとして写真をとるのではなく、写真をとることが最優先。これはさすがにこれまでの子どもには見られない現象でした。私の感覚では、だいたいコロナ流行期くらいに変わってしまった印象です。
極端な言い方をすれば、行事を楽しむことさえどうでもよくて、楽しんでいるっぽい写真や動画を残すことの方に執着します。ですから行事でスマホが使えるかどうかは彼彼女らの最大の関心事です。(子どもにとって支配的なメディアがInstagramやTikTokに移ったからだと個人的に推察しています。)
そういえば文化祭もですが、2010年代末から、フォトスポットなる企画が大量に増えました。フォトスポットって知ってます? 知らない人はちょっと検索してみてください。
かわいい服装をして、かわいい背景で写真を撮ることが文化祭の本質だから、それができる場所を提供するのだというのが、生徒にとっての自然な発想なんでしょう。お化け屋敷というコンテンツだと「怖がらせる仕掛け作り」に労力を注ぐ必要がありますが、お化けの服装をすることが目的なら、コスプレなんちゃらとかいう企画にしてフォトスポットを作るだけの方が効率的です。
にわかには信じがたいと思いますが、このような感覚で生きている生徒は、けっして少なくありません。現代の子どもは本当にコンテンツではなくビジュアルを本質と考えています。
女子生徒はよく高校生活に「キラキラ」というキーワードを求めます。キラキラJKとか。このキラキラってどういう意味だと思いますか?
この言葉の中身は、実際には、SNS(具体的にはInstagramやTikTok)でかわいい写真や動画が撮れるかどうかという意味です。そうすると、必要なのはキレイな背景、かわいい服装、かわいい顔。この発想からすれば、化粧という行為はもはや学校生活の本質にかかわるものです。
大人は、というか特に私のような化粧をしない男性教員はそこまで大事だと思っていないので、「あれ?」ってなるんです。「化粧できないから学校行きたくない? なんで? どういうこと?」ってなもんです。
生徒側はとにかくビジュアル最重視なので、化粧をしたくてしょうがありません。でも多くの学校では、教員はそうならないように監視します。盛大なバカげたすれ違いが生まれています。
校則改正で化粧をOKに?
では、してはいけない理由はどう説明されているでしょうか。校則で禁止されているからです。
当たり前ですが、これって理由になっていませんよね。ただ禁止じゃなくて、なぜ禁止しているかが説明されなくては、なんでそんな校則があるんだよとツッコまれて終わりです。してみると、なぜ化粧が校則で禁止されているのかが争点になってくるわけです。
実は私、昨年度(2023年度)に勤務校で校則改正を進めました。いわゆる流行りの生徒主導の校則改正ですね。
そのねらいは、よく言われている通り、生徒が主体的にルールメイキングに関わることで、世の中の多くのことを自分ごととしてとらえるようになること。そうした結果、将来活躍できる人材になればいいなと考えたからです。
つまり、校則改正の目的は、校則を主体的に決めさせることそのものであって、実際の校則の中身に関心があったわけではありません。おそらくこのエピソードは別に語ることがあると思いますので、とりあえずここでは化粧とか髪型とかのルールに関心があって校則改正を進めたわけではないということだけを強調しておきます。
その校則改正論議の中で、生徒たちは「化粧を認めてほしい」と主張しました。女子生徒が中心です。私は「別にいいんではないか」と考えていました。
その理由はたった一つで、禁止する理由がこれといってないからです。あえていうなら、化粧をする時間とかお金を他のことに使ってほしいなあとか、化粧したい生徒のせいでトイレが使いづらくなったら他の生徒が生活しづらくなるだろうなあとか思うくらいです。でもその程度のことで個人の自由や権利を奪うのはよくないので、別に化粧を禁止する必要はないと考えました。
私は化粧をしません。化粧にこだわりもかかわりも何一つありません。何も考えがないけれど、それだからこそ、禁止しなくてもいいんじゃないかと安直に思っていました。
ところがどっこい。
多くの教員や保護者に大人に反発されました。詳細はここでは語りませんが、そこで気付いたのは化粧を本気で嫌っている大人がいるってことです。
保護者は我が子の化粧を嫌がっている?
高校生の化粧について、保護者はどのように考えているんでしょうか。
保護者は賛否両論、どちらの立場もいるようです。例えば母親などは、娘が一重なのをコンプレックスに思っていて泣いているとか、二重にするアイプチっていうのがあるんですが、それをつけると先生に怒られるからつけられないといってすごく家で辛そうにしている姿を見ているので、学校に認めて欲しいと思っているケースもあるようです。
そうではないタイプの保護者も多くいます。高校生で化粧を始めるとそればかりに関心がいって、勉強しなくなるとか、お金を使いすぎるとか、そういった懸念からやめさせたいと考えているようです。
双方の保護者の立場について、私は充分に理解できます。理解できるからこそ、事情を話して説得することもできる気がします。私の考えを述べます。
化粧をさせたくないのなら、学校で禁止するのではなく家庭で禁止してほしい。そんだけです。
これに限らず多くの問題は、本来、学校が関与するべきでないと考えています。
いろいろな家庭の考えとか方針があるのはわかったから、やりたいように家庭で話し合ってやってくれよ。スマホやSNSについてもおんなじね。
こういいたいです。
教員は生徒の化粧を嫌がっている
それはさておき、本題に入ります。
生徒、保護者ときて、残るは教員の見方です。
多くの教員は、高校生が化粧をすることに強い拒否を示します。正直いって、そのモチベーションがどこにあるのかはわかりません。高校生が化粧をするようになってトラブルに巻き込まれるようになったとか、勉強しなくなったとか、近所からのクレームがきたとかで、大きな問題に発展したケースなど聞いたことがありません。
私には、化粧なんて躍起になるほどのこともない他愛のない問題としか思えません。なぜ多くの教員はそこまで化粧を毛嫌いしているんでしょうか。
くり返しになりますが、私の考えは、明確な理由がないなら禁止してはいけないという程度のシンプルなものです。タバコを吸うのは法律で禁止されてます。バイク通学は法律では禁止されていませんが、極めて危険なので禁止する理由がはっきりしています。化粧の禁止はどこに根拠があるんでしょうか。あるいは、ないんでしょうか。もしないんだとしたら、なぜ躍起になる必要があるんでしょうか。
本当に不思議で仕方ないです。どこから「高校生の化粧はゆるさんぞ!」というモチベーションが湧いてくるのか。
推測ですが、「子どもの癖に一丁前に化粧してんじゃねえよ」とか「私が高校生の頃だって化粧したくてもできなかったんだぞ」いう感情的なものが根本にあるのでしょう。その感情が強すぎて、さして禁止する必要がないという理性的判断が掻き消されてしまっている。その結果、校内を巡回し、化粧した生徒を発見し、その場で落とさせるといった光景がうまれています。
むしろ「化粧教えるべき論」には説得力がある
キャリア教育の観点からは、むしろ化粧を教えるべきだという考え方もあります。
高校卒業後に就職する生徒って少なくありません。その生徒たちはいきなり化粧をして当たり前の社会に飛び出していくわけですから、高校という前段階で「正しい化粧の仕方」なるものを教えるべきだという立場です。これなら筋は通っています。
でもめんどうだからやりたくない、っていうかそういうニーズがあるからって全部学校で面倒みてたらキリないっすよというのが私の本音です。まあでも百歩譲ってこっちの議論を通してくるなら話はわかる気がします。でも現実は逆なんですよねえ。
おわりに
最後に、学校現場でよく耳にする恐ろしい話をして終わります。
ここに、アイプチをつけて二重にしたいけど学校が許してくれないという悩みを持った15歳の女子生徒がいたとします。一重だと他のクラスメイトにバカにされるから嫌で、その状態で写真に写りたくないのです。だから二重にしないと自信をもって家を出ることができません。だけれども、二重にするためのアイプチは高校で禁止されているからできないのです。
親もどうやら思った以上に深刻な悩みらしいと気づいて、このコンプレックスをなんとかしなきゃと考えます。
最近、よく聞くのは、高校入学前に整形して二重にしてしまうというものです。
未成年が整形するって怖くないですか。私からすれば、化粧よりも整形の方がよほど極端な行為のように感じられます。整形はわりと取り返しのつかない行為ですから、それをするくらいなら、未成年の間はアイプチをつけてもらったほうがよっぽどいいんじゃないかと思います。
ところが、多くの教員の考えは逆かもしれません。
整形するくらいの覚悟があるのならもう仕方ない、認めよう。キミは二重だ。二重のまま登校しなさい。しかし、その覚悟もなくて、ちょっとアイプチをつけて二重にしたい程度なら禁止するぞ、許さないぞ。そんな方針のようです。うーん、こう書いていてもまったく共感できません。
いったいぜんたい、化粧はどうしてここまで教員に嫌われているんでしょうか。