「不適切な指導」からみる私立学校の分類
今回はちょっとニッチかも。
渋井哲也さんというライターが「不適切な指導」について興味深い指摘をされていたので、現場の人間としてリアクションしておきたいと思います。
元の記事はスマートニュースで見たのですが、どうやらtheLetterという有料メインのメディアで公開されていたものらしく、最低でもアカウント作成が必要となるようですが、気になる場合は各自でご確認ください。(リンク:『高校の部活動で私学と公立の差が顕著 初めて不適切指導の詳細を調査 文科省』-“生きづらさ”を追う渋井哲也のニュースオンライン)
いろんなことが書いてありますが、ここで取り上げたい要点のみ箇条書きにします。
教員による「不適切な指導」の多発という問題がある。
「不適切な指導」とは、児童・生徒の人格や人権をおとしめる言動などで、簡単にいうと体罰未満のやってはいけない行為である。
これらは主に授業中と部活動中に発生している。
公立学校では中高ともに授業中と部活動中の両方でほぼ均等に発生している。他方、私立学校では、中学校は授業中に、高校では部活動中に偏って発生している。
特にラストがおもしろくないですか? グラフつきでくっきり現れているので、ぜひ元の記事をご覧ください。
私立中は授業中、私立高は部活動中に不適切な指導が行われがち
私が深掘りしたいのは、このような私立学校での偏りがいかにして発生したかです。
氏も述べている通り、高校での不適切指導が部活動に偏るのは「私学が部活(スポーツ)推薦で進学する場合が多いことを示して」いて、中学での不適切指導が授業中に偏るのは「部活よりは高校進学のために入学した場合」が多いからだと思われます。
(少し注釈を加えると、この指摘は中学についてはあまり正確な言い回しではありません。私立中学校は中高一貫校や中高併設校がベースとなっているため、そもそも部活動が学校の中心になっていないという主張ですが、「高校進学のために」という文言は齟齬があります。中高一貫校の生徒は、無論、高校進学のためではなく大学進学のために入学しているので。とはいえ大意は変わらないので、そこは気にせずともオーケー。)
問題は、私立学校でひとくくりにすると中学と高校で逆の傾向が出てしまうという統計上の違和感をどう説明するかです。学業と部活動を「文武」のような言い方で二分するのは苦手なのですが、あえてこれを用いるなら、私立学校は中高一貫と高校のみ設置で「文武」の力点が逆に置かれているわけです。
中高一貫では「文」に、高校のみ設置では「武」に。
そして、不適切な指導は、力点が置かれている場所でこそ発生する。そこではよくない意味での「権力」が生まれているから。
まあ、なんとなくわかりますよね。
たとえばですね。強豪部活動における「顧問の言うことは絶対」みたいな空気感は、不適切な指導を生む土壌となっています。だから部活動の勝利至上主義というか勝ちあがるために顧問-部員間の関係性が歪になる状況は、教育上、適切とはいえません。これって散々、指摘され尽くした問題ですよね。
これは、このよく耳にする主張をはからずも統計的な事実としてあぶり出しているわけです。なんなら他方、中高一貫を中心とする進学校タイプは教科指導の場面で同じ問題が生まれがちなんだということも明るみに出している。
先に述べたような、私立学校における部活動顧問の暴走は、高校のみ設置されている私立で発生している問題です。だから中高一貫の私立ではこの問題はあまり発生していません。それはこの「不適切な指導」の件数から明らかです。
ここから得られる教訓
私立学校という呼称で一括りにして、中高一貫と高校のみ設置の学校を一緒くたに扱うのはよくない。内実はまったくの別物です。私はどちらにも勤務したことがあるので、そのことを身をもって知っています。公立と私立を対比させた議論をみかけますが、それは本質的ではない。
そして、いずれも権力がうまれるところに問題が起こる。
ガバナンス強化が大切なのは企業も学校も一緒ですが、さしあたり、「どんな人物」に権力が集中しているかは極めて重要だと思います。学校は鍋蓋型組織といわれ、校長・教頭以外に指揮系統が存在せず、各々が好き勝手にやれてしまいます。だから部活動あたりは暴走しやすいわけで、それはそれで強みでもあるのでしょうが、とにかく、顧問の人間性は極めて重要になります。
「どんな人物」が子どもを率いているのか見極めましょう。人間性が備わっていない人間に権力が集まれば、大なり小なり問題は起こるものですから。