次の人生に進むことにした話①
大手電機メーカーに勤めて今年で12年。
12年と5ヶ月目となる夏の終わりに私は会社から卒業することにした。
いつからその決断をしたか。
常々、会社を辞めようかなと言い続けてはいたけれど、話は昨年の10月に遡る。
2021年10月、初めて海外のアートフェアへ出展した。
しかし、新型コロナの影響で出社規制が敷かれ、海外渡航には制限がつき、私自身は結果的に行くことができず、残念な想いをした。
頑張れば休暇をとって行くこともできたのかもしれない。ちょうど勤続10年目の5日間のリフレッシュ休暇が使えたタイミングでもあった。(コロナのおかげで一年延期になっていた。)
しかし、くそ真面目な自分はどうしても会社という縛りに抗うことができず、渡航を断念。その時に気づいたことがあった。
実際はなんでもないことだったのかもしれない。
普段、コンプライアンスやリスク管理を仕事にしており、おかげで色々なことが頭を巡ってしまって、自分の立場とやりたいことの間でどうにも動けなくなっていた。
仕事でリスク管理ばかり考えていたら、私生活もリスク管理ばかりして、せっかくのチャンスを逃していた。
振り返ってみるといかにも自分らしいがとにかく真面目すぎた。
今まで、曲がりなりにも作家活動をしてきたが、どうしても一歩踏み込めないところがあった。
これをやると会社に迷惑がかかるかもしれない、同僚から意図しない見られ方をされてしまうかもしれない、という考えにより自分が勝手に作った制限があった。
本気でやっているつもりでも6割くらいで自分を止めてしまう。
そんな自分に気づき始め将来を考えているときに、会社をやめて作家活動に専念する未来を周囲に話すと、専業は大変だよ、今の会社辞めるのは勿体無いよ、今も自由にできているじゃないか、と言われてしまう。
確かに見る人が見たら、お金に困らないで好きなことができているように見えていただろう。実際そういう部分もないわけではなかった。
しかし心の内では、なんだかやりきれない、挑戦できないモヤモヤを抱えていた。
会社員という立場により自由に動けないと思い込んでいて、本気で取り組まない言い訳の一部として、その立場を利用していた気持ちもあった。
なんとなく気づいていたけれど見ないようにしていた事実を自分の中で受け止めた時だった。
年齢的にもそろそろ難しいものも出てくる、本気でやるなら今しかないと思った。
結局、2021年10月のアートフェアではあまり目立った成果が得られず。
やはり現地にいって、作品を見てくれる方と会話をしないといけないと強く感じた。
その時点で、2022年10月も同じアートフェアへの出展がきまっており、
次は絶対に現地に行かないと無駄になると考えた。
その頃にはコロナも落ち着いているだろうという楽観的な想いもあったけれど、
現地に行けるように調整することに心が決まった。
さて、心が決まったところで、現実は?である。
今まで、私が会社員の立場を手放す決断ができなかった最大の理由。
それはなんと言ってもお金に尽きる。
そりゃそうだ。先立つものがなければ生きていくことすらままならない。
そこで、今まで有耶無耶ににしていた自分の資産の総浚いをすることにした。
貯金、年金、将来もらえるお金、いくらあったら暮らせるのか、これからいくら必要なのか。
ほとんど把握していなかったことを自分に理解させる作業をした。
その結果、辞めてもなんとかなる、大丈夫、と納得することができた。
この時に一歩踏み出す前に現状を把握することは重要なのだと思った。
2022年1月末のことである。
自分の中での整理ができたのでお次は会社への報告。実は4年前に一度は辞めると言ったことがあり、上司からの強い引き止めにより
今の部署への異動という結果となった。
今思えばこの時はお金の不安が解消していなくて、肚が決まっていなかった。
異動後は新しい環境で心機一転、上司にも恵まれ、組織の間を取り持つ仕事が自分の性格に合っており、やりがいを感じていた。
そして、今日までの4年間で経験したことは会社という組織を理解する上でとても重要な期間となった。
ものづくり、ITの現場の超上流から下流までを一通り経験した後に事業管理の部門を経験したことで、一気に会社に対する視野が広がり、組織全体を意識して仕事ができるようになった。
そんな組織運営の仕事にも年度末に転換期が訪れる。
上の人の方針が変わって、数人の上司,同僚(?)も定年退職の節目にあり、組織が大きく変わろうとしていた。
それと同時に私の中で区切りがついた。
仕事自体は楽しくやっている、人間関係にも恵まれている、昇進の話も出始め待遇も申し分ない。
でも、今の仕事はこなせるようになってしまっていて物足りなさを感じるようになっていた。
作家活動の節目と仕事の節目が合致した。
進むべきだと思った。
2022年4月1日。久しぶりの出社日。
エイプリルフールでないことを前置きし、心の内を上司に告げた。
そこからの上司の対応は思いのほか早かった。
非常に残念がってくれて、時々気が変わってないか確認されつつも
後任の調整、引き継ぎの調整、手続き、と淡々と対応してもらい、
あっという間に最終出社日を迎えた。
あまりにことがスムーズに進むので本当にタイミングだったのだと考えている。
時節柄、会える方は限られたものの挨拶にいくと、想像以上に惜しんでいただき、ありがたさと申し訳なさでいっぱいになった。
そして(リップサービスかもしれないけど)また戻りたくなったら戻ってくればいいよという言葉もいただいた。聞いたところによると最近は出戻りも増えているそうだ。
何かあったら戻ればいいってなんて心強いのか。
(何もないところに飛び降りたつもりだったけど下に大きなクッションがあった、みたいなことを想像した。)
素晴らしい上司同僚に恵まれたことにありがたい気持ちでいっぱいになった。
人生の3分の1を過ごした会社。
またお世話になる時があるかもしれないし、ないかもしれない。
ここで得たたくさんの経験と繋がりは私の人生に大きな影響があったことは間違いない。
12年の月日に言い尽くせないほどの感謝を添えて、次の一歩を踏み出すことにした。
次回、プー太郎生活のスタート編。
もしくは花の都、パリ編。