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意識研究会「ウェルビーイング・テクノロジー」に参加して意識したこと

8月22日、意識研の第5回の定例研究会に参加してきました。テーマは「テクノロジーの罠」

4〜6月がマインドアップローディング(渡辺正峰さん)、そして7月からはウェルビーイング(渡邊淳司さん)が全体テーマと聞いていましたが、アジェンダに目を通すと「ウェルビーイング・テクノロジー」

「そうか、僕の知っているウェルビーイングとはまた違った切り口で対話を進めているのか」。。。それが最初の感想です。

そもそも、ウェルビーイングとは何でしょうか?

僕自身は、10月からスタートするマインドフルネスのパート(藤野正寛さん)に参加し、エディターの目線で全体を観察、書籍化も視野に入れつつレポート化することが役割だったこともあり、今回はオブザーバーとして、場の雰囲気、流れを感じることが一番の目的かなと思っていました。

ただ、僕がこれまで携わってきた領域とウェルビーイングはかなり親和性があり。。。休憩中、チラッと拝読した渡邊淳司さんの本も、サーっと風が通るような感触があって、近そうで遠い、未知の世界と出会うワクワク感が湧いていました。

★『わたしたちのウェルビーイングをつくりあうためにーその思想、実践、技術』(渡邊淳司 、ドミニク・チェン 著・監修)

このあたりの感想はまた書かせていただくとして。。。今回は研究会を主宰する信原さんのアジェンダをふまえつつ、僕自身のざっくりした感想などをお伝えしたいと思います。

各論①便利さの罠
「テクノロジーは注目タスクに関する便利さを高めすぎて、周辺タスクに関する便利さを犠牲にする傾向にある」

テクノロジーが身体性(ざっくり言えば、生き物に備わった生命力、本能、生きる力)を拡張させているのか、抑制しているのか? 古くからこの2つの視点は、いろいろな形で問われている気がしますが。。。

この時の話を振り返るなかで、先日、葉山で知り合った方とカフェでコーヒーを飲みながら、こんな対話をしたのを思い出しました。

Aさん「私はもともと半導体の技術者で、携帯の基盤の一部をつくってきたんです」

ーー半導体の原料って、ケイ素ですよね。シリカ。。。

Aさん「そう、シリコン。いまは違うものも使ってますが、主原料と言ってもいいかもしれません」

ーー先日、岐阜を旅した時、道すがら「日本最古の石博物館」に寄ったんですが、ここでは20億年前の鉱物がたくさん展示されていて。。。シリカも鉱物で、もとを正せば僕たちも同じ元素からできてますよね。

Aさん「たしかに。素材は一緒ですね」

ーーいま、Aさんはそうしたお仕事をやめて、大地の再生とか、自然農とかに携わってますが、大地に根ざしているという点では同じなんだなと思いました。

Aさん「なるほど。。でも、半導体に加工する過程でもとの自然からはどんどん遠ざかり、その間にコストがかかります。私にはそれが無駄に思えてしまって。。
しかも、そうした無駄を重ねれば重ねるほど、経済的な収益が上がる構造になっているんですよね」

ーーしかも、その収益構造から離れてしまうと、途端にお金は入らなくなりますね(笑)。

Aさん「それで経済がまわっている現実がおかしいというか」

ーーただ、高エントロピーの世界は経済とは相性がいいですが、一方で、心身の健康は害しますね。そして、健康が害されると、全体の生産性そのものも落ちてしまう。

Aさん「だから私は嫌になって、会社を辞めたんです。地球のために働きたいと本当に思って、大地に直接つながる活動を始めているところです」

。。。この話に結論はないのですが、僕のなかでは「この矛盾はひも解けるかもしれない」という楽観性を持っています。
すなわち、テクノロジーによって生まれた「拡張する身体」は、方向づけ次第で、経済性も担保しつつ、ウェルビーイングにも寄与するものへと変わっていけるのではないかと。

この問いに重なってくるのが、次のテーマに挙げられた「テクノロジーとゲシュテル」の関わりです。

②テクノロジーとゲシュテル(駆り立て)
「我々はテクノロジーを自由に利用するというより、テクノロジーを利用するように駆り立てられているのではないか」

「テクノロジーは我々を何かに駆り立てるという本性があり、それゆえ、その本性上、我々の自律性(自由)を損なうものではないか」

今回、ゲシュテルという哲学用語を初めて知りました。おおむねこんな意味だと思いますが。。。

「ドイツの哲学者ハイデッガーが、近代技術の本質を言い表すために用いた語。技術が人間を生産に駆り立て、その人間が自然を利用するといように、強制的な徴発性を根源に持つ体制こそが、技術の本質であるとする」

https://kotobank.jp/word/ゲシュテル-1714509

信原さんがテーマを展開されるなかで、こうしたテクノロジーとの関わりにとどまらず、生物そのものに備わった本能にゲシュテル的な要素が内包されているのではないか? そんなやりとりが始まったように思います。

これは、信原さんが注目されている複製子の話にもつながるテーマですよね。宗教で言うと、おそらくは人の業のようなもので、それが文明化、近代化の過程で顕在化していったということかもしれません。


市橋伯一「増えるものたちの進化生物学」(ちくまプリマー新書)

ただ、僕自身、最後に感想を求められたので話しましたが。。。同じゲシュテル(駆り立てるもの)でも、生物由来のゲシュテルとヒト由来のゲシュテルは性質が違う、分けてとらえたほうがいいのでは? と感じています。

生物由来のゲシュテルは自然の法則の一部ですが、ヒト由来のゲシュテルは進化した脳が生み出した「過剰」であり。。。

この「過剰を蕩尽することで快を得る」というヒトの心理・行動パターンを利用することで生みだされ、肥大化していったのが、近代資本主義。
一方、宗教はこの過剰の実態に気づき、そこから距離を置く、振り回されないことを志向しているわけですよね。

身体性の拡張は、脳の想像力の拡張ともリンクするため、テクノロジー、そこから生み出されるバーチャルな現実は、創造性を喚起し、ヒトという生き物のポテンシャルを開いていくエッセンスも含んでいます。

そのメリットを享受しつつ。。。刺激を追い求め、疲弊した脳を身体の一部へと回帰させていく。生物としての自分に回帰する。。。テクノロジーはそうした自然回帰、自分回帰へのベクトルにどこまで寄与できるか? 経済性の原理と対立せず、むしろ経済ともつながる形で新しい潮流を生み出せるのか?

ウェルビーイングは、個人のコンディショニング、生き方にとどまらず、そのような社会のあり方、方向性ともリンクする、今日的な概念なのかなと感じた次第です。

ちなみに、終了間際に出てきた「脱ゲシュテルとは何か?」という問いですが。。。オンライン参加された渡辺さんが「それってフローのことですよね」といったことを話されたことに共感しつつ。。。

・脱ゲシュテル(フロー、ゾーン)
・脳由来のワーカーホリック(いわゆるハイテンション)

この二つは紙一重、身体性を整える知恵を持たないと、後者に陥り、心身を疲弊し、生きる軸が喪失しやすいと感じています。

基本は緊張する場面こそゆるむこと、無駄な力を用いず、脳が働きやすい身体条件を重ねていくことが大事であり、それこそが僕自身がメインで探究してきたウェルビーイング(セルフメンテナンス)なのかなと感じています。

ウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に満たされたな健康状態)はフロー(脱ゲシュテル?)の土台にあるもの


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