Tisoku
ある30代男性は,ひとりで地方に移住することにした。 住む家は築50年くらいで,窓ガラスは割れ,カギもしまらない。 知り合いがいるわけでもなく,お金もなく,仕事もない。 さらには,大工の経験やDIYの経験もない。 いったい,彼はどうやって生きていくのか。
面白かった.キャンセルカルチャや,女性なら万事OKという流れ,といった現代的な風潮に対して,立ち止まって考える材料をくれた.普段は決して見ることができない,キャンセルされる側の地味で真剣な生き様.最終的にいきついた先でも,彼女は彼女のまま.その真剣さに,圧倒されました. 他の人のレビューをみたところ,主人公に感情移入できるか否か,キャンセルする側,される側,どちらに共感するかで,感想が全く違うものになっていて面白かった.
『脳の外で考える』という本を読んだ。本書には,自分の脳を上手く働かせる方法として,身体・環境・他者の活用方法が多数紹介されている。 読み終わって思ったのは,脳は「思考」より「観察」のほうが得意なのか,ってこと。そうだとすると,「表現」することって大事だなと。 個人的にお気に入りの説は,ビクトリア大学の認知科学者ヴォルフ・マイケル・ロスさんの「理解が深まるから表現できるようになるのではなく,表現しようとするから理解が深まっていくのです」というもの。うん,確かに。理解が先か,
久しぶりに技術書を読んだ。うん,理解できない。慣れない専門用語や数式。日本語で書かれているはずなのに,さっぱり入ってこない。途方に暮れた。昔は数式を,スラスラと追えてた気がするが,今では未知の外国語のような存在になってしまった。 しかたないので,紙とペンを用意し,書きながら読んだ。ひとつひとつ,わからない専門用語と数式を書き出していったり,簡単な例を書いてみたり,図にしてみたり。あの手この手で,自分の土俵にひきずりこんでいった。 不思議なもので,書いてみると案外理解できる
エダマメを収穫したが,豆が全然大きくなっていなかった。なぜだ。ちゃんと,畑で育ち具合を見て収穫したのに。早く収穫したいという欲望が,私の目をおかしくしているのか。 不思議なもので,畑でみると野菜が大きく見える。十分なサイズだと思って収穫しても,キッチンで見ると思ったより小さいことが多い。そんな失敗を,エダマメ,インゲン,キュウリで経験した。 いつも自分で野菜を買いにいくので,野菜のサイズ感など,当然知っていると思っていた。しかし,結構いいかげんなものだった。自分で収穫した
「井の中の蛙になるな」というけど,自分にとってちょうどいい井戸を見つけることも大事だと思う。 私は,何をやっても,だいたいできる。ただし,「中の上」くらいで,突き抜けることはない。偏差値でいうと60。IQでいうと110。そのくらいの実力。「中の上」だと,一般社会のなかでは,「できる側」になることが多い。しかし,高校,大学,大学院,研究所と,少しずつ周りの人のレベルが上がっていくにつれ,だんだんと「できない側」になっていった。 「できる側」でいるときは,「こんなところにいて
結局,技術者に戻ることになった。3年ぶりだ。もう技術者に戻ることはないと思っていた。家の近くの会社に応募したら採用してもらえた。このチャンスを活かしてみよう。 ひとまず,家でできることとして,プログラミングのリハビリを始めた。久しぶりすぎて,基本文法もまったく覚えていなかった。忘却力には自信があったが,これほどとは。まあ,概念的なものは覚えているので,具体的な文法を復習するだけだ。コツコツやろう。助かることに,ネット上にはさまざまな問題集があった。しばらくは,これでリハビリ
現代社会は機能不全を起こしていると思う。さながら,代謝が機能不全を起こす,生活習慣病のように。 生活習慣病を治したければ,生活習慣を変えることだ。世の中には,降圧剤など薬で治そうとする流派もあるようだが,降圧剤で血圧が下がっても,血管にたまったコレステロールは減らない。運動しよう。 私には,CO2と血圧がダブってみえる。CO2を減らす技術は,降圧剤とダブる。たとえ技術が開発できても,コレステロール的なものが残り,機能不全は続くのではないか。 社会問題に対するアプローチは
私は集中力がない。すぐに関係ないことを考え出し,あれに手をつけ,これに手をつけと,行動がとっ散らかってしまう。結局,何もやり遂げず一日が終わる。そんなことを繰り返して来た。 そんな私も今では集中して作業できるようになった。昔に比べれば。参考にしたのは,『ヤバい集中力』という本。 個人的に,集中できないパターンは3つあると思う。 1.気が散りやすい環境 2.やることが明確でない 3.心配事がある である。それぞれのパターンを知り,対策をすることで,集中しやすくなった。
島根への移住は4週間で断念した。神奈川の実家に戻り,疲れ切った脳が元に戻って3日たった。実家の環境は申し分ない。冷蔵庫も,洗濯機も,車もある。トイレも水洗式だ。家の中には虫もいない。窓やドアの鍵も閉まる。便利,快適,安全。なんてつまらないんだろう。何もする必要がない。 何もないことの素晴らしさを痛感している。なければないで,なんとかする面白さがあった。何もないところに,プラスしていくことは簡単に感じた。どんなにしょぼいものでもプラスになるから。 いろいろあればあるほど,「
ゴミを減らしたい。金を貯めたい。この2つの願いをまとめて叶える方法を発見した。「買い物断ち」だ。 最近読んだ本によると, ・ゴミを減らしたければ,モノを家に持ち込むな(R) ・金を貯めたければ,無駄遣いするな(R) という鉄則があるようだ。この2つの鉄則は,「買い物断ち」により満たされる。 個人的な,「買い物断ち」のルールは,以下のとおり。 ・食料品は買ってよし ・石鹸など衛生関連の消耗品も買ってよし ・家庭菜園で使う,野菜の種も買ってよし ・あとは全部,今持っている物で
島根から神奈川に戻って1週間がたった。睡眠不足による体調不良は,ようやく回復した。島根での4週間の疲労と睡眠不足により,バグった脳。その回復を待つ日々はしんどかったが,じっと待った。 4週間分の疲労と睡眠不足はあなどれなかった。目を開けていることがツラく,音が聞こえるのもツラかった。身体が重く,ちょっとした行動のたびに息が切れた。意味もなくイライラし,モノを投げたい衝動にかられた。 荷物の整理を途中で投げ出し,まるまる2日間,耳栓をして,目を閉じて,ただ寝て過ごした。4週
最後の朝。お気に入りの森のランニングコースを歩いた。走る元気はなかった。少し残った梱包作業を終わらせ。荷物の発送を見送った。 引っ越しはこれまで何度かあった。その度に,使えるモノを処分していた。送料が高いし,梱包作業が面倒だからだ。そんな私にとって,祖父母の遺品を処分する日々は,いいお灸になった。もうゴミを捨てるのはウンザリだ。いままでだったら処分しているモノを梱包して,実家に送った。 2ヶ月に1度しかない金属家電ゴミの回収には,間に合わなかった。その日のために,外にま
この地から出ていく段取りは,すぐに終わった。来るまでの段取りの,1000分の1くらいに感じた。生活用品の配送,飛行機,電気,水道の停止,といった手配は,あっという間に終わった。この地を離れるのは,明日の夕方になった。 その後は,あいさつまわり。畑を貸してくれた人に事情を説明した。畑を中途半端に投げ出すことになったが,嫌そうな顔ひとつせず,むしろ今後のことを応援してくれた。この人だけでなく,あいさつにいった人たちはみんな,今後のことを応援してくれた。やりたいことだけやって,
生活の破綻に気づいたのは突然だった。毎朝しんどかったが、全然いけると思っていた。作業を始めてしまえば、しんどさはどこかへ消えた。 2日前,散髪と図書館のために家を出た。作業から解放された脳が少しずつ状況を整理したようだ。散髪を終え,図書館でこれから読む本を借り,帰ろうとしたとき。ふと思った。今の生活は持続可能か。そこからの検証作業はつらかった。ひとつわかったのは、この家には住めないこと。 国道からの騒音により起きた,睡眠障害。今後のことを考えたいが,頭がボヤケて考えられな
残念だが,この面白い家での生活は続けられないようだ。すぐ横を通る国道からの騒音のため,よく眠れないのだ。 朝起きたとき,眠いのがこれほどつらいとは知らなかった。移住初日から眠れぬ日々を過ごしてきた。原因は,家のすぐ脇を通る国道である。地方の森に住んでいるのに,車の騒音で眠れぬ日々を過ごすことになるとは。車通りの激しい国道で,一日中10tトラックがバシバシと風圧で家を叩きながら通っていく。 これから,家の問題を自分でなんとかしていこうと思っていた。しかし,この騒音問題は自分
移住して4週間たった。まだ洗濯機は買ってない。置く場所が定まらないのと,手洗いに可能性を感じるからだ。今は週2回ほど手洗いしている。手洗いの課題は、すすぎと脱水。すすぎは,バケツとタライの導入で効率が跳ね上がった。だが、まだまだ石鹸カスが残る。脱水は手つかず。腕力で絞っている。何かスマートな方法を考案したい。 そんな私の,手洗い生活28日目を記す。 やったこと今日やったことは,以下のとおり。 ・庭のゴミの発掘 ・畑に草マルチ ・洗濯(手洗い) 草は草で制せるかこれからは