おいしい浮世絵展に行こう
コロナウイルスのおかげで、クソみたいな今年だけど
見終わった後、自分の内側がふつふつと燃えてくる展示会に出会えました。
「おいしい浮世絵展」
1603〜1867年の間続いた「江戸幕府」
この食文化を北斎・広重・国芳たちが描いた浮世絵の中に見える
「江戸の味」を探る展示。
写真を撮れるのが1箇所だけなので、自分なりの感想を言葉だけで書いて行きます。
なんでこれを書くかというと、本気で「食」に携わる人へ。
これは必ず行った方がいいっす。
コロナの影響からか「方向転換」とか「変わることが進化」みたいな脳ばかりになってる時に
「いやいや、ルーツの部分めちゃめちゃいけてんじゃん!」ってなったので。
若い子は、なんのこっちゃ抹茶に紅茶かもしれないけど、見てほしい〜
大きく分けると
第一章
「季節の楽しみと食」
第二章
「にぎわう江戸の食卓」
第三章
「江戸の名店」
第四章
「旅と名物」
まず第一章。
「季節の楽しみと食」
ここは
1〜3月「春」
4〜6月「夏」
7〜9月「秋」
10月〜12月「冬」と分かれている時代。
花見で何を食べているか。七夕・十五夜の過ごし方。
暖房がない中で雪見をしながら何を食べるか
今とは環境が違う中で、人が「食を楽しむ」ってことは変わらないんだなぁとしみじみ思う。
展示は少ないけれど、感じることは多い。
外でご飯を食べるにも、そこに至るまでは冷蔵庫もクーラーボックスもないわけだし。なんかすげぇな。みんな胃腸強いなぁと思ったり。
歌舞伎役者の新年会の構図なんかも、決してこんなテーブル使いじゃないかもしれないけれど
小皿に分ける・シェアはいけないとなったこのご時世に、新鮮さを感じたし、ヒントがあるかもしれないと思った。
第二章
「にぎわう江戸の食卓」
「すし」
「うなぎ」
「天ぷら」
「日本橋の魚河岸」
「粋な男」
「蕎麦」
「豆腐」
「初鰹」
「貝」
「海苔」
「鍋」
「美人と料理」
「醤油」
「果物」
「白玉」
「下り酒」(西から来る酒)
とジャンル分けされている。
もともとは生魚と米を一緒に発酵させて旨味&保存をしてきた「すし」
酢が普及されて1818〜1830年の間にみんなが大好き「握りずし」が登場。
屋台から始まり専門店、高級店と進んでいく。
江戸ではにぎり寿司が流行ってるのに、大阪では押しずしだったとなる絵だったり、
1軒流行れば日本中にタピオカミルクティーな今とは全く違う。
すし、うなぎ、天ぷら、蕎麦などは
この本が家にあるので、また読み直したい。
この展示が終わって、すぐに江戸三大蕎麦の「砂場」に行き天せいろを食べましたww
すし・うなぎ・天ぷらともともとは江戸湾にあるものを食べていたわけで。
この当時、江戸前の定義は「羽田沖から江戸川河口周辺(定義は色々あるけど)」
すし・和食の職人さんが「昔、東京湾は・・・」という話を聞くことがある。
ワインが高くなったというソムリエも一緒か。
品川は海苔の大産地でもあった。
芝浦や高輪は潮干狩りに適していると言われ、その潮干狩りの絵は
日常にある「貝」を感じた。
というか食材に関しては「最近、良くなって困る」「最近、取れ過ぎて困る」みたいな話はない。
これって持続性のある仕事なんだろうか。
自分が食に携わる人間として。
高級とされるものが、めちゃくちゃ大衆の中に存在する。
コロナの影響で、自分の中の「飲食時計」みたいなのが1年くらい止まる気がしてた。
それを200年以上前の江戸を見ると「活気」しかない。
もちろん、そういう絵しか描かれないだろうけど(笑)
今の食を描きたいとこの浮世絵描ける人たち関連からオーダーがあったとしたら
「活気」を描ける場所はどこなんだろう。
寂しい気持ちではあるものの、100円スーパーに並ぶ食材の方が新鮮だと思う。
全ての料理が今の方が美味しく、ハイレベルなのは間違い無いと思う。
どうせ、比べても答えなんか出ないんだし、そう思おう。
電気もない奴らよりおいしい物食べられないなんて寂しい。
そんなことを考えながら、次のセクションへ・・・
第三章
「江戸の名店」
これは、感動した。
「東都高名會席盡」
江戸の有名な料理屋が歌舞伎役者とともに描かれる。
歌川国貞が芝居の登場人物の姿の歌舞伎役者
歌川広重がコマ絵で店構えとか名物料理を描いてでの共作。
歌舞伎役者はスター。ってことは料理屋もスターだったんだ。
いま、どの店舗もないと思うけど150年後、飲食店やってる自分が
そのお店を感じるということに、なんか熱くなった。
ちょっと前まで、江戸すげ〜じゃん。これからの食って調子悪いのかな〜
とか思ってたのに、こんな残り方がある。
こっから30年後、店は無いにしてもみんなにアクセスできる店の「残し方」なんて
想像もつかない。
TIRPSEを自分でクローズした自分だから、特に感じる。
体調・お金・今ならコロナの問題で閉店するお店は、忘れられてしまうかもしれない。
TIRPSEをクローズする時に「TIRPSE」という名前の鮮度を保つために
みんなに「もうやめるんだ」と思わせる鮮度良い状態でスタートして
香港TIRPSEや、自分の仕事の中で名前が出ることで、その名前を風化させないという思いがある。
それが「こんな残り方ある?!」というのがモネやゴッホも影響を受けた浮世絵だった。
ストーリーズとかとは、全く違う概念の発信。やられました。まじで。
そして、最後は第四章
「旅と名物」
歌川広重の東海道五三次之内(1797)
十返舎一九の東海道中膝栗毛(1802)
これらで盛り上がる「東海道」の題材。
旅って、自分の中で超大事だったんだと教えてくれたコロナウイルス🦠
ほんとに食い物と景色だけで、成立していく江戸 to 京都の492キロ。
53の宿場はあれど、歩けるわけないじゃん(笑)って思うけど、当時の夏休みや冬休みってどういう仕組みになってたんだろうね。
日本橋を出発して、8キロ目の品川。
江戸前穴子の代表的な産地だし「川崎屋」という戦前まであった穴子料理屋に寄る。
やってることは200年前も同じ。
移動したら、そこの旨いもんが食いたい。
この欲求って、自分が死ぬまでは無くならないんだなと感じる。
日本橋を見た時から、考え出したのが
東海道53次のカード?ラミネートした紙?とかを提示しながら53の宿場近くで食べられていた現地のスペシャルな食事を今の流通とスキルで出したい。
浮世絵は著作権もないし、フリーでいけるから。
富士山カヌレの箱作る時に調べたじゃないか。
当時の食べ物は、作っておけるものが多いはずだから、冷蔵や冷凍、真空もある今の私たちなら53皿を2時間くらいで、スコーンスコーン出せるはず。
駿河湾の3宿
由井の「サザエの壺焼き」を食べた後に
府中の「安倍川餅」を食べ、
鞠子で「とろろ汁」を食べる。
コースにしたら、ぐちゃぐちゃだ。
キナコでまぶした餅食った後に、とろろ汁。
イベントのドリンク選びで百戦練磨のボクもペアリングで出す飲み物は、あったけーお茶しか浮かばない。
けど、体験なんだよなぁ。
東海道53次したいな〜
53つぎ、したいなぁ〜
こんなことをず〜〜〜〜っと考えていました。今も考えています。
ほんとは作らないとダメな見積もりも作らず(ごめんなさい)
この展示は本当にいろんなことが頭によぎりました。
疲れました。
果たして昔が良かったのか
今をどう戦うのか
自分のやってる食は、今だけを見て200年後に残る仕事を1ミリもできてないんじゃないか
いやいや、今が幸せなのが大事なのか
多分、そこまで考えるような展示じゃ無くて
「浮世絵で江戸時代、何食べてたか見てね〜」なんだろうけど、やけに刺さってしまいました。
熱くなってザッと書いてみました。誤字脱字もあるでしょう。
入るの予約制です。
六本木ヒルズです。
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