16日目の闘病の記録
昨日、会社に提出するための診断書を書いてもらって、「視神経髄膜炎の疑い」から「疑い」がとれてしまい、診断結果になってしまった。
ネガティブにならないようにしたいから、なるべく同じ病気の人の闘病記録は見ないようにしてる。こわすぎるから。できるだけ、闘病記録を見るとしても、近しい病気で回復してポジティブに生きている人の文章や映像を見るようにしてる。
それでも、ネットで検索をして、知らない総合病院や病気の協会のサイトに掲載されている病状に関する情報は見てしまう。現実は、理解しておかないとという気持ち。
視神経脊髄炎って、欧米でも日本を含めたアジアでも、10万人あたり1-3人程度の病気らしく、そこまで多くのポジティブな情報がネットに溢れているわけではないから、これからのことがとても心配。
医療ドラマはたくさん見てきたけど、人生はじめての入院だから、全部が新鮮。
看護師さんは、明るくてやさしくて、気持ちに寄り添ってくれる人が多いから、そこに毎日毎日もうどうしようもないくらい救われている。
正直、嫌なことが全くないわけじゃない。嫌な出来事があったら、すぐに話せる環境を整えてもらっている。
真摯に話を聞いてくれて、向き合ってくれて改善してくれる人たちが多い。ほんとうに感謝でしかない。
病気や日常生活が送れないこと、仕事ができないことで落ち込んでるとき、全力で励ましてもらってる。寄り添ってもらったり、笑わせてもらったり、救われることがかなり多い。
入院してから、いまも相変わらず視界は霞んでいて、焦点は合わない。手足もかなり痺れている。ごはんも食べられないから、鼻から管をいれてもらって、栄養を入れている。
毎日「調子どうですか?」って聞かれても、何も変わらなくて落ち込んでたけど、昨日くらいから、やっと飲み込みができるようになってきた。ここに書くの恥ずかしいけど、唾の飲み込みができないから、専用の機器でずっと吸ってもらっている状態だった。それがずっとではなくなった。
だから、少しずつではあるけど、夜も寝られるようになってきた。唾を吸ってる音と、たまに溜まりすぎて溺れそうになるから寝られなかったんだよな。
あと、点滴をしなくてよくなった。私の血管は細いらしくて、定期的に血が漏れる?から、その度に場所を変えて、穴を開けるから点滴の跡が何箇所も増えていくことが嫌だった。点滴を早められるタイミングも、痛くてたまらなかったから、ほんとうになくなってよかった。
足に重心がなくて、ずっと歩けなかったけど、重心が少しずつわかってきた。まだまだ、視界は良好ではなく、ふらつくことがある。ひとりでは歩けない。
あと、足に血漿交換のためのカテーテルが入ってて、その針?が動きすぎると血が出るからそこまでは身体を動かせられない。
カテーテルの場所、ほんとうは首の方がよいと言われているけど、首になるのこわい。これなんとかならないかな。
ほんとうに、少しずつ、少しずつではあるけど、改善はしつつある。
ちゃんと、感謝のことばを綴ろう。
毎日、母が病院に来てくれる。
毎日、菜々子が前向きなLINEをくれる。
兄夫婦のお見舞いにも、励まされた。
兄からのLINEもめちゃくちゃありがたい。
まおちゃんが持ってきてくれた金木犀のロールオンフレグランスの香りにほんとうに癒される。
突然倒れてしまい、大迷惑をかけてしまったけど、会社の上司も先輩も、「会社のことは考えず治療に専念して」と、絶対大変すぎるのに仕事を巻き取ってもらってしまった。
上司から「復帰できるときに、そのままこれまでやってた案件戻れそうか、別の方法でのコミットが最適か、どういう風に働きたいか一緒に考えよう✨SNS運用チームは復帰を心待ちにしています」って言ってもらえて、上司人間できすぎてるって、ほんとうに思う。
早く復帰したい。
会社にもっと貢献できる人になりたい。
そんなことを考えながら、必死に仕事に関連するようなオーディオブックを聴き漁ってる。
あと、物語思考のワークをもとに、理想の10年後と、退院したらありたい姿を考えられている。
どうにか、いい方向に向かっていきますように。これからはもっと丁寧に生きるから、早く良くなりたい。