続けることを目標に
初めてのnote。
実はだいぶ前にアカウントを作ったけど、続かなかったので前のぶんを消して再開してみる。つまり、再開してから初めての投稿がこれ。
見出し画像はゆかりのある菜の花の写真を選ばせてもらった。
最近、学生時代にお世話になったグループで最近動きがあり、お互いに近況などを報告し合った。そのためには、言語化しないといけないのだけれど、読んでもらうことを意識すると、字数やら単語やらを気にしてまとめるのにえらく時間がかかってしまった。
それはそれで、自分にとっては良い経験となるので良いのだけれど、もっと自由に言葉にしたいなと思ったのでnoteに書いてみることにする。文章は書かないとうまくならないと、大学の先生が言っていたことを思い出す。読んでもらう前提じゃないから、うまくもならないのかもしれないけれど。
100%の完成度を求めないというルールを課して、飾らず、自由に書いていこうと思う。
さて、最近は今の自分の興味について思いをはせることが多いからそれについて書こうと思う。
昔から方言になんとなく興味があって、英語が好きで(得意なわけではない)、使えない言語に出会うとときめく。
大学では英文科に属していたけれど、卒論では消滅危機言語をテーマにアイヌ語復興について書いたし、私がどんなときも興味を持っているのは言語なのだと思う。英文科に入ったのも、英語という「言語」が好きだったからだと思う。
なぜ言語に魅力を感じるのかというと、
それによってコミュニケーションを取れることがこの上なく素晴らしいと思うから。だって、何千年も前に生み出されたという歴史的かつ文明的なロマン、人間を人間たらしめるものの要素であること、ときめくね。
だから、必ずしも文字を持つ言語じゃなくていい。それによって、人と人が意思疎通をはかれることが素晴らしい。
これはきっと、英語が国際語として使われるようになり、多くの異なる母語をもつ同士がコミュニケーション取れることに、私が楽しさを見出しているから。
つまるところ、人と話すのが私は好き。
もう一つの理由は、言語が与えてくれるアイデンティティの強さ。
関西弁には誇りを持っているし、落ち着く。
3か月だけ群馬県に住んでいたことがあるけれど、知らず知らずのうちに関東弁に疲れていたな。(渦中にいるときはまったく気になっていなかった。)
この経験から、私は今までにも増して関西弁に愛着を持っている。
ただ、関西弁がこの世でもっとも尊いとはまったく思っていなくて、各地にある方言がこれからも生き続けてほしいなと強く願っている。言語は変わっていくものだし、なくなるのも自然だけど、その地域で生まれ育まれ、その地域独特のものを表現している言葉はとっても尊いものだと思う。
その言葉でしか表現できないものが、世界にはたくさんある。
論理的にこねくりまわすこともできるけど、私はシンプルにその言葉にときめくから、だから生き続けてほしいって思う。
仕事でいつか言語に関することをやりたい。
今は具体的にはないけど。
ある作品を方言ぶっとおしでする演劇とか
谷川俊太郎の朗読をイントネーションとか含めて方言でするとか
世界の危機言語をテーマにした制作をアーティストと一緒にやったり
少数言語に限らず、新しく生まれてくる言葉たちとコミュニケーションについて探求してみたり
(イベントレベルで企画できそうやな笑)
とにかく、言語、言葉を扱いたい。
ちなみに、写真は卒論のために読んで心揺らいだ本。