"表現”をする
この言葉を知ったのは高校生のころだった。物語の中で引用されていたセリフでなんてその通りなのだろうかと思えた。
高校生のころから漠然と”自分”をもっと表現したいとのぞむようになった。
それ以前は人前に出るのもできるだけ全力で避けながら生きてきたのに、自 分でもこの心境の変化には驚いている。
人はいずれ死ぬ。みんな100年もすれば骨なのだ。
毎日小さいことになやんでいるという友人に送りたい。
一年前の小さな悩みの一つも私たちは思い出すこともしないのになにをそんなに踏みとどまっているの。
なにか創作活動を通して自分を表現したい。その小さな迷いも悩みも全部創作物に昇華させたい。
創作物はなににする?
絵でも文章でも、料理でも泥団子でもなんでもいい。自分の頭から手を伝っておりていくそれを大切に、心を込めてものを作り出すことに人生をかける。どんな拙い作品にも神様は宿る。その神様を私は感じ取れる人間でありたいと望むだけ。
なにで表現しようか。一人暮らしの手前だし手っ取り早いのは料理かな。越してからは音楽もつくってみよう。なんでもつくる。
はじめは模倣でいいから真似してトライしてみよう。
自分を知りたい、だから表現したい。
美しい作品であろうが拙い作品であろうが見る人が価値を見出すのならその作品は役目を果たしたと言えるのではないか。
作品の本質とは何なのだろう。
作品に対して正直なことを言える人の、つまり嫌いなものを嫌いと言える人の意見は信用するに足るよね。
ネットに浮かんでいる幾千もの作品を拾って、消化して時間を過ごすことはもう飽きたから自分から作品を作らねば。
何気なく流した曲が、自分好みだったりしたときは一日がハッピーになるよね。そんな作品が作れたらいいな。そこまで望まぬとも自分が感じたことに形を与えられたらと強く思う。
幸せは毎日の積み重ねでしか作れないと思う。なんでも幸せだぜ?そうだろうよ