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私の過去⑪~劣等感・生きづらさ~



昨年の夏の痛ましい事件の後、
思いがけなく見聞きするようになった宗教2世問題。
この一連のニュースなどを観た時、私はまさに体験してきた当事者だと思いました。
私より若い世代の方が、この問題について声を発して、実体験を語り、国に救済措置を求めている。
その勇気に、衝撃を受け、言葉が...出ませんでした。
そして同時に、このような体験をした人が、
一定数いらっしゃるという事実を知り、私だけじゃなかったんだ...と、思いました。


宗教2世だったり、3世だったり、1世だったり、時には4世、5世...。本当に1人1人、様々な異なる環境状況があり、体験してきた事柄も本当に様々だと思います。
その体験から感じた気持ちも、今抱く気持ちも、本当に個人個人が特別で、複雑で繊細で、その人その人特有の物だと思います。


私は、こんな体験をして生きてきた自分自身は、
ある意味特殊で、異質で、劣っていると感じていました。
年齢的には大人でも、まわりの人達が、いろいろな体験をしながら成長する過程で自然に当たり前に身につけると思われる様々な大事なものを、私はなにも身につけていない。
例えば、両親やまわりの人への当たり前にあるはずの愛情や優しい気持ちや、それを汲み取ったり言語化する力など、それらが、ずっと、自分は欠けていると、自分は人として大事なものが足らないと、抜け落ちている...と思っていました。
対人に明るく優しく素直に接する自分がいても、
もう一方の自分は両親にあんな事(反抗、連絡をしない、会いに行かない等)が出来るんだから、
自分は本当は心がとても冷淡で酷い人間なんだ、と、極端な二面性を感じて生きていました。


自分が幼少期から置かれていた環境や状況を振り返り鑑みて、自分なりに悩み考え努力をして、
精一杯生きてきて、宗教組織と両親から離れて、自分が選んできた道がこれで良かったと、後悔は全くないと、本心で思いながらも、
対人の気持ちの汲み取り方に悩んだり、
人とのちょうど良い距離の取り方や保ち方がわからず、悪循環で先述のような大きな劣等感に打ちのめされたり、
(理由はどうあれ)親の期待に応えられなかった自分だったという事実、そして親に反抗して家から出て、
私は実家を捨てたんだというような罪悪感、
こんな自分なんてと自己否定をして、
こんな自分には生きている価値があるのだろうか...そんな価値はないんじゃないか...と感じていました。

生きづらい...と感じていました。
生きづらさから脱するために、自分に足らないと思う何かを今から身につけたい、取り戻したいと思っても、過去に戻れる訳もなく、限界を感じました。
人生とはなんて生きづらく、苦しいものなんだろう、と思いました。
昔、自分を苦しめていた宗教組織や両親から離れて、長年経過してもなお苦しい。
私はもう二度と宗教には傾倒しないと心に決めていたので、何かに頼りたくても頼り所がわからず、何か指針がほしいけれど、何を指針に生きて行けばいいのか...わからずにいました。


結婚生活も、凪の時ばかりではなく、夫婦間の危機もありましたし、よく見聞きするような嫁姑問題もありました。
いろいろな事が重なり、あまりにも辛い時、
数回だけ、ぼんやりと、今、自分で自分の手首を切ったら、自分は楽になれるのかな... と思った事がありました。
想像して怖くて恐ろしくて出来ませんでした。
我に返り、私はいったい何を考えてるんだと思いました。
自分で自分の命を絶つ事は絶対に有り得ない、まわりに迷惑も掛けたくない、何より子供にそんな私の姿を見せたくない、そんな母親を持った人生を歩ませたくない、と思いました。

日々の生活で、家族との楽しい時間や有り難さを感じて救われて過ごしながらも、
ちょっとしたきっかけで、激しく気持ちが落ち込んでいきました。
どうしようもなく強い孤独感を感じ、気持ちがどんどん沈み、心の中の闇に落ちて行き、そんな時は1人入浴しながら涙を止めずに泣きました。
そしてそんな気持ちの深い闇の部分まで細かくは、なかなか誰にも打ち明ける事が出来ず、誰にも見せられず、自分で抱えている事しか出来ないものでした。
いつもその闇の中で泣き疲れて手探りで出口を探して藻掻くのに、出口が見つからなくて1人倒れて、誰か助けて...と心の中で叫ぶ...。
こんな自分はおかしい、こんなにどうしようもなく手に負えない厄介な人間は、私1人だけだと思っていました。


そして私がこんなどうしようもない、救いようのない自分になったのは、
宗教組織のせいだと、宗教を信仰して私にも押し付けた両親のせいだと思っていました。
宗教や両親から離れて何年も経っているのに、ずっと、ずっと、苦しく逃れられない。私はいつまで苦しめばいいのだろう...と思っていました。


一昨年、会いに行こうとして無理だった後、
私は両親に自分から会いに行く事はもう諦めていました。
自分を長年苦しめるものから解放させるためには、両親と会い、和解する事が1番良策なのだろうと、どこか内心思っていました。
でも、事実心身的に難しく会いに行く事が出来ず、
両親との関係を自ら縮める事は諦めて、
こんな救いようのない、手に負えない自分自身を、なんとか維持して、自分でうまくなだめながら、寿命が尽きるまで生きて行くしかない、と思っていました。
でも、この宗教2世の一連のニュースが、再び私の心を刺激しました。

宗教2世関連のニュースを、きっと両親も目にしているはずだと思いました。
ニュースを観て、両親はいったいどう思っているのだろう...と思いました。


2022年12月27日、
厚生労働省から「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」が発表されました。

それは、過去に私や妹が受けてきた体罰や様々な制限などが、ほぼ全て身体的また心理的虐待にあたる事が明言された内容でした。
私は、本当に長年の苦しみから救われたような気持ちになりました。
もしもこの発表が30年前にされていたら...と思いました。でももうそれはどうしようもない事です。
そしてこの発表は、今後の子供達を守るために、本当に意義があると思いました。



⑫へ続きます。



お読み頂き、ありがとうございました。



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