ニルヴァーナとは何なのか?そして90年代ロックの本質とは?
※ええと..こんな記事書いといてなんですが、そこまでロックマニアではないので難しいコメントにはお答えできません。ごめんなさい💦
ロックというジャンルは(あくまで主観だが)、60年70年(前半)音楽の中心になった後、80年代に(MTV的ポップミュージックに押され)衰退し、NIRVANAによって一瞬再興し、また衰退する(そして二度と再興することはない)という大変奇妙な歴史を持つジャンルだ。
このロックファンがなんとなく持ってる疑問に今回は答えてみようと思う。
そもそもロックとは何か?
まず、ロックというジャンルは一体何なのか?一言で言えばこうだと思う。
尖り
怒りや衝動を表現するためギターないし先鋭的なサウンドを軸とする音楽ジャンル。それがロックであるという結構な狭義的かつ排他的な定義をここではしておく。(それをしないと商業性の強いものやR&Bなども含めないといけないからだ)
ロックが音楽シーンを席巻したのは60年代のことだ。この頃を生きた若者は1900年代〜40年代に青春時代を過ごした保守的、排外的な親世代とは違った価値観(特に恋愛、戦争、人種差別に対し)を持ち、彼らは親や国家に反抗するパワーに満ち溢れ、各地で学生運動(全共闘など)が巻き起こった。アーティストはそんな空気に押され活動をし、若者はそれに存分に応えた。特にロックはそんな尖った感情の受け皿として機能した。その結果がビートルズ現象だ。
しかし、この空気は70年代前半に突如終わりを迎える。先進国全体がどの世帯も一定以上の豊さを享受できるようになり、成長が目に見える時代は終わった。若者の中の上昇気流は鳴りを潜め、若者は連帯を失い、戦う意志は薄れた。
そこから先進国は資本主義に覆われ始める。そして若者は消費することで自分の中の世界を変えようとした。音楽も享楽的で商業性の強いものが主流になる。ロックの出番はなかった。
しかし事件が起こる。NIRVANAの登場だ。
アメリカのレコード店には彼らのポスターが張り巡らされ、あのマイケルジャクソンのデンジャラスからチャート一位の座を奪った。
Smells like teen spiritは全世界のロックファンのアンセムとなり、これを冒頭に据えたアルバムNevermindは3000万枚を超えるメガヒットになる。
単に売れたというわけではない。Nevermindは価値基準の相違によって簡単に左右されうるロックの名盤ランキングに置いて、どの媒体でもトップ20に確実にランクインする(実質トップテンの)歴史的名盤である。単に売れたというだけならAppetite for destructionも名盤だが..12年のローリングストーンズ誌では61位、20年版は62位。それに対しNevermindは12年は17位、20年では6位にランクインしており、完全にボブディランやストーンズの諸作品と同格の扱いを受けている。正真正銘、ここでロックは何かしらの復活を遂げたのだ。
なぜこのような事態が起こったのか?それにはまず、90年代そして90年代ロックとは何かを理解する必要がある。
彼らは一体何がしたかったのか?
彼らの音楽(90年代ロック全般)の本質は何か?それは、
永遠に今ここで生きなければならないという絶望との戦い
である。
90年代というと、日本では”バブル崩壊後”のイメージが強い。しかし世界的(特にアメリカ)にはソ連崩壊の影響が強い。ソ連崩壊が何を意味するか。それは、国民国家の支配の終焉並びに資本主義の支配の確定である。
これによって、ロックの歌詞では資本主義批判、精神疾患、人生の指針の欠如などが頻繁に取り沙汰されるようになる。
※もっとも80年代からこの傾向は見られる。カートコバーンが多大な影響を受けたピクシーズのwhere is my mindは生きる意味を求めて彷徨う若者の苦悩を描いており、資本主義批判映画の筆頭であるFight clubのテーマにもなった。
第二次大戦後、世界は資本主義と共産主義の二つに分断されていて、第三次世界大戦がいつ起きてもおかしくない状況だった。いわゆる冷戦である。世界は今よりわかりやすかった。世界は国境によって分断されていたし、国はあくまで政治家と官僚が支配し、経済はそれに従属しているのみであった。だから自衛隊に石を投げつけることがある種の表現として機能した。
国家に歯向かうアーティストの例としてはボブディランがわかりやすい。
当時を生きた人々は、いつか世界が共産主義に変わるのでは、そしてその大国によってハルマゲドンが起こるのでは、そして”ここではないどこか”オルタナティブ(代替的)な世界観を期待することができた。
しかし、徐々にその世界観は綻び始める。資本主義が隆盛し、一方で共産主義は衰退した。かつてのような明確な敵、そしてオルタナティブな世界は失われつつあり、カウンターカルチャーとしての最前線にあったロックも必然的に衰退した。
そんなカウンターカルチャー衰退期の真っ只中に生を受けたのがカートコバーンだ。
ビートルズ始めクラシカルなロックを愛していた彼にとってカウンターカルチャーの衰退は耐え難いものだったはずだ。それもそのはず。彼はアメリカ西海岸、つまりその中心地で生まれ育ったのだから。
そんな時代に愛されなかった男に突然時代は味方をするようになる。彼の中の喪失感と衝動が、”もうここではないどこかは存在しない!”という時代の空気、そして享楽的、商業的音楽への疲れや辟易といった潜在的な若者の感情と完全に合致したのだ。
NIRVANAはカウンターカルチャーが死亡した中でのロックの最後の反逆だった。大袈裟に言えば、カートコバーンは(カウンターカルチャーとしての最前線である)ロックが死んだことによって逆説的に生み出されたロックスターなのだ。
彼が自ら引き金を引いたのも個人的に余り残念ではない。彼をカリスマたり得るものとしたものの賞味期限は元々短かったからだ。
程なく世界は資本主義と民主主義に覆われた。フランシスフクヤマが提唱したように、これは人類の試行錯誤の末に手にした”世界の終わり”であり、これ以上の先はない。これからずっと資本主義は続いていく。そして国民が、そして世界の若者が本当の意味で一つになることもないし、ロックが音楽のメインストリームとして機能するときも二度とないのだ。
最後にもう一度Nevermindのジャケットを見返して欲しい。赤ん坊の目の先にあるのはなんだろうか?
※あとなんか、ガンズファンの皆さんゴメンなさい。ここではNIRVANAの存在感をアピールしたかっただけです。ガンズも立派なアーティストです。