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昭和よりもむしろ、90年代の呪縛が一番厄介なんじゃないか説

日本から”昭和”が抜けない——。最近、こんな声をより頻繁に聞く機会が増えた気がする。日本すごいぞ論、年功序列、昭和ノスタルジー..

確かに、メディアは大谷翔平、池井戸潤原作のサラリーマンドラマ、そして懐かしの昭和〇◯をやたら推してくる。そして消費者のほうも、どこか昭和を帯びるものを、まるで深みがあるかのように捉え、強烈にそれを欲している。

罪の声という小説がある。グリコ森永事件を扱っている作品なのだが、この本、メチャクチャ売れている。Amazonの星の数で突出しているわけではない。また本好きの中でべらぼうに評価が高いわけではない。僕の読みでは、普段本を買わない人が、実際に手にとって買っているケースが異常に多いとみている。

現時点で2755個のレビューに対し、文庫で82、単行本で85の中古が出ている。対して最近大バズした”変な家”は12636個のレビューに対し、文庫27、単行本57である。

説明するより、実際に目で見た方が早い。ブックオフに行ってみて欲しい。中古の単行本コーナーには罪の声の黄緑色の背表紙がズラッと並んでいる。最近ヒットした鬼太郎の映画は謎に横溝正史風なのも似た現象だろう。昭和ノスタルジーは、ただ視聴率を取るだけでなく、実益にしっかり繋がっているのが感じられる。

さて、この消費者の姿勢に対し評論家の中から、いい加減昭和から離れろよ!!な声をちらほら聞く。そこに対しては僕も同意見だ。

しかしそれよりももっと深刻だと思うのが、90年代サブカルチャーの影響だ。

なぜ僕が90年代カルチャーに危機感を感じるのか。理由は2つある。


1. ”モンスター”がいる最後の世代だから

90年代はインターネットがまだ未発達だった。皆んなが、同じテレビや雑誌を見ていた。文化へのチャネルには限りがあり、必然的に少数かつ絶対的な存在が生まれた。90年代の輝きのほんの一例を列挙しよう。

(音楽)ニルヴァーナ、オアシス、レッチリ、レディオヘッド、ミスチル、スピッツ、B'z、グレイ、ラルク、TRF、安室、宇多田、ドリカム

(漫画アニメゲーム)ドラゴンボール、スラムダンク、幽遊白書、エヴァ、るろ剣、ワンピース


(映画)セブン、パルプフィクション、ファイトクラブ、タイタニック、もののけ姫

(その他)ダウンタウン、SMAP、オウム、Windows95、Jリーグなど..

(多過ぎて書き切れません、他にあったら教えて下さい..)

とにかく、90年代という時代はあまりに数多のビッグネームを生み出してきた。そして、これらの作品は、80年代までのカルチャーと比較しても圧倒的に現代人にとって馴染みやすく、現代にもある程度通ずるものがある。

現代のサブカル愛好家の中でも90年代は親しまれている。90年代サブカルはその世代には勿論、30代ぐらいまでには十分通用する射程範囲の広いものである。その下の世代にもある程度理解されるが故に、彼らは自分たちのノリが普遍的なものだと勘違いしやすい状況にいる。



2. サブカルに希望を見出している人の数が多い

90年代サブカルを通った人間の多くは、団塊ジュニア世代である。この世代は大きく二つの特徴がある。

  1. 人口が多い

  2. 経済が低調だった

経済が低調ということは、現実の生活が苦しくなるということだ。給料は安く、中々上がらない。高待遇の雇用も望めない。それどころか正社員になれないケースがこの世代は多かった。

するとどうなるか。辛い現実世界から逃避するために、彼らは若かりしあの頃の思い出に縋る。そう。90年代サブカルチャーをいつまでも語り続けるのである。

実際、Xやnoteを始め、日本のネット上では、この辺りの年代の”サブカルおじさん”が大量発生している。サブカル好きならまだしも、その世代一般にその傾向が見られるとしたら、かなり厄介なことになるだろう。

彼らは、”昭和は古い”という価値観を持ちながら、(SNSなどの)90年代以降の時代の風潮を把握できていない可能性が高い。つまり、昭和の価値観が消えたとて、その後は90年代的なノリが日本に残り続けるのだ。

 確かに、メディアが力を持っていた時代は、(受け身の状態で得られる)刺激が大きかった。大きな何かが来て、しばらくしたらまた別の大きな何かがくる予感があった。ネットでなんでもかんでも好きなタイミングで好きなモノを手に入れることはできなかったが、だからこそ自分の望む何かを手に入れた時の喜びは大きかった。僕も昔のカルチャーは好きだ。しかし、あの頃にはもう戻らないのである。

この調子で色々文句を言わせてもらおう。先ほども言ったが、90年代カルチャーは語られることが多い。そもそもの人口が多いし、サブカルに希望を見出している人の割合、そしてそれぞれの熱が強い。だから、マーケットもそれを理解して、オリジナルが終わっても新しいヴァージョンを消費者に送り続ける。劇場版エヴァとか劇場版スラムダンクとかが典型だ。

それが、結構流行ったりする。何年も発信され続けるものだから、その一回り下の世代も、僕もエヴァ好きですよみたいなことを言い出す。そして90年代サブカル好きはこう思う。

90年代カルチャーは普遍的である、と。

ふざけんな。そう何年も何年も観せられたらそりゃあ下の世代にもファンは出てくるに決まってる。でもそれはあくまで少数派だ。それをさも皆さんご存知みたいに例え話に使うのも大概にしろ。アメトークの芸人はいつになったらドラクエとキン肉マンで例えてくるのをやめるのだろうか?キン肉マンなんて、筆者の世代で言うイナズマイレブンみたいなものだ。俺らがイナズマイレブンの話をしようもんなら、は?何それ知らんわ。と返されて終わりである。

エヴァファンはいつまでエヴァを欲するのだろう?個人的に見れば、あの作品はアニメ本放送の最終回でしっかりと終わっている。エヴァンゲリオンは、少なくとも2000年までには完全にその役目を終えた、いわゆるオワコンなのである。

それなのに、ファンは無理やり庵野に過剰な期待を押し付け、プレッシャーをかけて、もう役目を終えたコンテンツの次回作を作らせ続けた。そして熱心なファンや評論家は、新作が出るたびに色んな評論だの考察を展開する始末だ。正直、頭がおかしいと思う。アニメファンが庵野に対してやっていることは、お笑いファンが松本人志にやっていることと全く一緒である。



もう、あの頃を、90年代を忘れよう。前に進もう。以上だ。


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