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光さすいつか忘れる今日の顔


自分しか読まない場所、日記とかメモとか、そういうところに書くときと違って、noteは読んでもらうための文章というものを少しは意識しながら書いている。たとえ数人でも誰かが読んでくれるなら、なんとなく開いてもらえたなら、なんとなく数行読んでもらえたなら、どうせなら最後まで読んじゃお、と思ってもらえる文章にしたいから。重ねたプリントの端をトントンと揃えるように文章を届きやすく整えるその時間、それがある言葉も、ない言葉も、どちらも好き。整えるということは思いやりだ。自分の言葉を気に入ってほしいなと思うことは、人を思う気持ちそのものじゃないかと思う。だけど、その過程でこぼれ落ちてしまうもののこともわたしはまた好きで、きれいに整理する前の生まれたままの姿の言葉はそれはそこにしかない温度と勢いを届けてくれる。読んでいてタイムスリップできるのはこういう文章なんだよなあ。自分が書いた文章ならなおのこと。たまーに日記を読み返すとき、我ながら過去の自分の書く勢いに圧倒される。ふふって笑っちゃう。笑い事じゃないんだってー!と笑いながら手を振る自分が向こうにいる。改行をする間に、気づいた誤字を訂正する間に、こぼれ落ちてしまいそうな感情があったということ、わたしには分かるよ。何を考え、感じたかについて詳細に書き残してある文章のあちらこちらに、着ていた服のこと、こんな音楽を聴いた、なんていう情報があって、視覚的な記憶をヒントとして置いておくほどには、この日のわたしはこの日を覚えておいてほしいのだなあと気づく。おかげで思い出せる。


今日ほんとうは別のことを書こうと思ってnoteを開いた。バスや自転車に乗る移動時間が自分にとってとても大切だという最近の気づきについて感じたことを書こうと思っていた。とりあえずこれはまた今度。今日あった嬉しいことについても書きたかったかも。あー、これは個人的すぎるから日記に書こう。


明日は友達と映画を見に行く。いい日になるといいな。

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