20231127
ラジオとわたしは歴史が深い
小学校のころ、ど近眼な娘を心配する家族たちの配慮から、テレビを観る時間に限りを持たされていたから、朝の支度のときにはラジオが流れていた
朝6時くらいだったかな、当時聴いていた番組内にSMAPの5分ほどにわたる短いコーナーがあって、それを目指して起きていたような記憶がある
登校時間が迫るころには毎朝の占いがあって、それもたのしみだったのを憶えている
欠かさずチェックしてから家を出ていた
中学入学と同時に、祖母の知り合いづてに英語を教わるようになった
その先生が薦めてくれたのが、NHKラジオの基礎英語だった
発売から間もなくしてMDコンポを迎え入れていたから、オンタイムの放送を録音しながら聴いて、復習ついでに聴き直したりして
英語とは波長が合ったのだろう
まるで水を得た魚のようにぐんぐんと吸収し、いちばん好きで得意な教科であり続けた
言語を習得するには耳から慣らすのがいいとよく聞くけれど、これはまさに真理だと思う
ひとえにラジオを通して、ネイティブのスピーキングをシャワーのように浴び続けてきたことが功を奏したのだろうと確信している
大学の春休みを利用して、1ヶ月ほどカナダのトロントで短期留学をした
ホームステイでの滞在中、朝食を摂る際に学校に持参する昼食もいっしょにこしらえていた
ローカルのラジオをBGMに、日がなサンドイッチをつくっていたのがなつかしい
大学で在籍したゼミでは、正規のゼミ生以外にもさまざまなひとたちが聴講やら参画していた
そのなかに、英国の大学に通うひとが一時帰国の機会に顔を出していたことがあった
彼も先のわたしと同様の持論を携えており、耳から慣れることの有効性を心得ていた
日本国内でも聴ける英語オンリーのラジオの存在と、その周波数を教えてくれ、聞き流すことを薦めてくれた
いまやインターネットラジオやradikoの類を活用すればいつでもどこでも聴き得るけれど、当時は夢みたいな話だったのだ
おとなになってからは在宅時間がめっきり減って、生粋のテレビっ子だったわたしもついにテレビ離れを果たした
その勢いに拍車がかかり、実家を出てからは、とうとうテレビのない暮らしがはじまった
いまやそのスタイルがほぼ定着している
気になるものは大抵、見逃し配信でキャッチアップできるし、そもそもそこまでして観たいという情熱がたぎることもそう多くない
それに、耳から入ってくるしらせのほうが、より鮮明に、印象に残る気がする
いまや赤子から少年へと変貌を遂げた我が子との暮らしでも、ふたたびラジオをかけるようになった
かけっぱなしではなく、時折ね
坊やが起きているときには流れてくる声や音に反応するようすがおもしろくて魅入っちゃう
一方、眠ってしまったあとにはひとり時間の贅沢として満喫している
ふいにすきな音楽が流れるとテンションがあがって踊りたくなるし、哀しみに暮れているときには内奥に沁み入って寄り添ってくれる
No Radio, No Life