20250107
うすうす気づいていたけれど…
『逆さ』のことをこう発している
言い間違いってほんとうにかわいいよね
訂正するまでもなく、本来の発語をして気づけばそれでよしと思いながら接しているけれど、直らなくてもそれはそれで愛らしくってハナマルとも感じている
松の内もおしまい
日常が戻ってきた
久しぶりの保育園は気が乗らないのか
『おるすばんしてる』と言ってみたり、着替えをいやがってめずらしく泣き続けたり
彼なりの抵抗があったようだけれど、なんとか家を出て、バイバイができた
きっとたのしくなるよ、行っておいで!
そう祈りながら、笑顔でお見送りした
さぁ、わたしはついたちの朝営業へ
金柑のタルトに七草粥にと、冬のこの時期ならではの風情に舌鼓を打つ
新年早々から、友人知人に常連さん
年始のごあいさつをして、たわいもないことから人生の岐路に至るまで、いろんなおしゃべりを繰り広げる
“人となり”
ということばが出てきて、ハッとした
誰しも、人知れず抱えているものがある
血肉になって溶け込んでいたり、お首にも出さなかったり
それを表出することもよし、そうっとしまっておくのもよし
それぞれのあり方があって、それを尊重したい
けれども、誰しもそういった背景があるということを心に留めておきたいな
お昼ごろにおいとまする
すっかり天気も回復して、手袋なしでも歩けるほどにあたたかくなっていた
寒さの本番はこれから
こういった過ごしやすい瞬間を愛でながら、すこやかに冬を越していきたい
帰ってきてから、Season's Greetingsをしたためる
毎年年賀状を書いていたけれど、今年からやめることにした
出したいひとたちが喪中だったり、年賀状をやめるご報告をいただいたりしたからかな
年始にとらわれず、季節のあいさつをしたいひとに贈ろうと決めたのだった
もちろん、相手によっては年賀状のお返事も兼ねているし、年始に会えるひとには手渡ししたりもあった
どんなかたちであれ、想いを送り合えることのよろこびを大切にしたい
さてさて、坊やはどんなはじまりの日を過ごしたかな
お迎えがたのしみだ