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Tiny bubbles

  平和、愛、相互理解

<(What’s so funny’bout) peace, love and understanding
   by Nick Lowe (1974)

As I walk through
This wicked world
Searchin′ for light in the darkness of insanity.

I ask myself
Is all hope lost?
Is there only pain and hatred, and misery?

And each time I feel like this inside,
There's one thing I wanna know:
What′s so funny 'bout peace love and understanding? ohhhh
What's so funny ′bout peace love and understanding?

And as I walked on
Through troubled times
My spirit gets so downhearted sometimes
So where are the strong
And who are the trusted?
And where is the harmony?
Sweet harmony.

′Cause each time I feel it slippin' away, just makes me wanna cry.
What′s so funny 'bout peace love and understanding? ohhhh
What′s so funny 'bout peace love and understanding?
・・・・

(大意)この間違いだらけで狂った世界を光を探して歩いている
僕は自問自答する。
全ての希望は失われたのか?
残されたものは、痛みと憎しみと悲惨さだけなのか?

こんな風に感じる度に僕は一つだけ知りたいと思うんだ。
平和と愛、相互理解のことを思うのはそんなにおかしい事なのかな?
そんなにおかしな事かい?

そしてこの困難な時代を生きていると時々ひどく落ち込んでしまう
僕の強さはどこに行ってしまった?
誰が信用されてる?
ハーモニー、甘いハーモニーはどこに消えてしまったんだ?

言うべき事を言えずにいるんだと感じてしまうから泣きたくなる
平和と愛、相互理解のことを思っちゃいけないのかな?
そんなにおかしい事かな?
・・・・>


*「さっきから何をムキになっているの?」

「だから、僕が言いたいのは、僕たちはこんな風にダラダラとお茶なんか飲んでていいのかって事だよ。」

「?」

「だって、世界では色んな所で悲惨な戦いが行われていて、罪の無い子供たちがこのたった今、殺されているんだよ。僕たちはその事に真剣に思いを巡らす必要が有ると思うんだよ。」

「思いを巡らすだけでいいの?」

「勿論思いを巡らせばいいってものじゃない事は分かってるよ。だけど彼らのことを真剣に考えていれば、何を僕たちがすべきかって事が見えてくると思うんだ。」

「例えば?あなたは以前デモに参加する人たちの事を自己満足だって否定してたわよね?」

「確かに、以前デモに参加したりするのは一時の感情に引っ張られた自己満足的で好きじゃないって言ったかもしれない。参加しただけで自己陶酔に浸って満足しちゃうって意味でね。でも今は何もしないよりはよっぽどいいと思ってるし、他にもSNSで発信するとか寄付とかできることは有る筈だよ。」

「それは、自己満足でも構わないのね?」  

「う〜ん、確かに一時的で自己満足的かもしれないけど・・でもそれでも何もやらないよりはマシだと思うんだ。それにデモやSNSやどんな行動でもそうだと思うんだけど、僕たちそれぞれがどれだけ苦しんでる人に思いを馳せて自分の事として当事者意識を持ち続けられる事ができるかどうかが、悲惨な状況を変えられるかどうかにかかってるんだと思うんだ。ごめんね、ムキになっちゃって。変だよね?こんな事にこだわるなんて」

「ふふふ、でも私は、あなたのそういう所嫌いじゃないわよ。」


*とりあえず、イスラエルのガザ侵攻が終わった。
トランプは自らの手柄だと自慢をし、ガザをアメリカで管理すると言っている。きっと廃墟を片付けた後、イスラエルに与えるつもりなのだろう。
ウクライナでも、レアアースの権益をアメリカに渡すならプーチンとディールしてやると言って悦に入っている。
そこには、罪もなく殺された多くの子供達や、祖国と家族を守るために戦い亡くなった多くの若者たち、土地を奪われて逃げ惑う人々への配慮は全く感じられない。
人々の中にも厭戦気分からか、「しょうがないさ、戦争が終わるならもう何でもいいよ。」と考える人もいるようだ。

僕はテレビでそんな様子を眺め、少しの間憤慨し、そしてチャンネルを変え、その事を忘れる。
ウクライナで戦争が始まってから、毎日のように、爆弾により建物が破壊され逃げ惑う人々と、血を流しながら病院に運ばれる子供の映像に接し、慣れてしまい、戦争初期のような衝撃、感情の昂りををもう感じないのだ。

こんな事でいいのだろうか。

指導者と呼ばれる、決して自分の手を汚さない、ほんの一部の人達が、兵隊を駒のように扱い、罪なき人々を殺戮させる。手を汚した兵隊の多くは精神を病み、又はそんな事は望んでいないのに、祖国のためという名目で死んでいく。
指導者は清潔でだだっ広い部屋で、死者を英雄として称え正義を語る。そして無力感に冒された我々は、安全な場所で傍観者に徹している。

こんな事でいいのだろうか。

何か我々にできることはないのだろうか。
かつてガンジーが無抵抗主義で、近い所ではバルト三国が、独立のため200万人の人たちが手を繋ぎ人の鎖を作り独立を勝ち取ったたように
世界中から人々が集まりガザ地区を手を繋いでパレスチナの人々のために囲ってしまうとか。
或いは、クレムリンやホワイトハウスを何百万もの人々で幾重にも囲いプーチンやトランプに無言の圧力をかけるとか。

それは、僕の拙い妄想に過ぎないのだろうか。

このままでいい筈は無い。

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