年の瀬なのでピノキオピーをベタ褒めする記事を書く
表題の通りです。
色々な場所で「ピノキオピー」で検索して他の人の感想やらコメントやらを読み漁ることがあるのですが、
どうにも「昨今のボカロはすごい!」みたいなものの一括りで語られてしまっていることが多いような気がして。
いや、そうじゃないだろ。
ピノキオピーは主人公だろうが!!!!!!
という感情になりまして、ここに書き殴る所存です。
異論のある方はその気持ちをまた文章にすればいいんだよ。ここは私とピノキオピーだけが立つ舞台だ。
よろしくお願いします。以下、敬称略のまま進みます。
1.ピノキオピーの曲(動画)
当たり前のことを抜かすなバカヤロウと言われそうですが、ピノキオピーは曲がいいです。当たり前のことを抜かすなバカヤロウ。
中でも私が一番好きなのはこの曲。
「ぼくらはみんな意味不明」です。
正直私はピノキオピーの古参でもなんでもないです。ちゃんと曲を聴き始めたのは、海外で妙にバズった「アップルドットコム」がYouTubeのオススメ欄に出てきてから。多分ファンの中ではかなり参入が遅い方です。
そういえば昔「腐れ外道とチョコレゐト」は聞いたことあるなぁ、あれピノキオピーだったんだな……
「すろぉもおしょん」は歌い手メドレーみたいなので聞いたな、あれピノキオピーだったんだな……
みたいな感じ。
ボカロをかじっている人の脳にはじんわり沁み込んでいるけど、意識したことはなかったね、みたいな立ち位置。それが私にとってのピノキオピーでした。最初はね。
でも、この「ぼくらはみんな意味不明」の動画をクリックしたばっかりに、私の脳の構造は大きく歪み、そして全く新しい素材で再構成を始めてしまいました。
なんだこれ。なんだこれは。
ど……どういう感情なんだ?私は今……何を考えているんだ?
なんで涙を流しているんだ?
これ、どうやらピノキオピーにハマった人あるあるらしいです。
なぜか泣く。
なんでかは自分でもわからない。
ただ、後からじわじわと、自分が何にこんなに心を動かされているのかがなんとなくわかってきます。
ピノキオピーの曲は基本的に明るめでポップなものが多いんですね。歌詞もリフレイン(繰り返し)が多くてとっつきやすい。だから軽い気持ちで聞き始めるんですけど、よく聴くと歌詞がめちゃヤバ。
「ぼくらはみんな意味不明」はこんな歌い出しで始まります。さっそく不穏ですね。
「この身体に自分がいる」て。ポップスの一行目で言うことじゃないだろ。
Bメロはこう続きます。「日常」が持つ妙な不安定さを描いたまま、曲はサビへと移行していきます。
これがサビです。ヤッバ。
「あーあ、それを言っちゃったらおしまいだよ」というところにあえてガッツリ踏み込んでいるのがお分かりいただけるでしょうか。
「生きてる意味がない」という事実をきちんとAメロ・Bメロを使って固めた上で「それでも君と笑っていたい」という愛の領域に繋げているんですよ。ド変態。
2番も同様の構図で続きます。そして、2回目のサビを終えた後、とんでもないCメロが飛んでくるんです。私が最も好きな箇所です。
怒涛の証拠固め。
もうやめてくれ〜〜!!!!!と叫びたくなるほど人間の愚かさ・意味のなさの根拠が並べ立てられた狂気のパートです。とっくにぼくらのライフは0よ。
こんなに人間の実情を開けっ広げに暴露してどうするんだピノキオピー。私たちをどうしたいんだピノキオピー。私たちはどうすればいいんだピノキオピー。
それでもやるしかないらしいです。
もうこれが全て。こんなに生きてる意味も頑張る意味もないのに、やるしかないんだって、私たち。
ラスサビです(一部省略)。
なんていうんでしょう。伝わりますか、この脱力感。
ぼくらはみんな意味不明なんですよ。それでも君と笑っていたいんですよ。
ただ単に「理屈じゃ表せないほど愛してます」と歌うのではなく、まず理屈で人間の無意味をつらつら語ったあと、
それでも。それでもなぜか君と笑っていたいんだよね。
なんでだろうね?
と語りかけてくる感じ。
ゾッとします。ゾッとしますし、面白くもあります。面白いし、泣きます。泣き笑いです。感情がめちゃくちゃになります。
同じような構成は、他の曲でも見られます。例えば「きみも悪い人でよかった」。
「二人」であることが明記されている分、より恋愛寄りでかわいく書かれていますが、根っこは同じだと思います。
僕はしょうもない人間。君もしょうもない人間。だから寄り添える。寄り添って生きていく。
このしょうもなさがここでは「悪い人」と表現されているわけです。
例えば「サクラノタトゥー」。
同じくボカロPである一二三との合作で、作詞はピノキオピーが担当しています。
「桜」をテーマにどうですか、とピノキオピー側から提案して作られた曲なのですが、どうですかこの歌詞。
サクラを「消えない傷」の比喩として用いますか普通?
「100日後も日々は続いてく」ので、「一生消えない傷」も「すべて愛してやる」んです。共通点がなんとなく見えてくるような気がしませんか。
つまり何が言いたいかというと
長すぎるので無理やりまとめます。
ピノキオピーは人間の「ダメ」の部分を詳細に描き出すのが信じられないくらい上手い
ピノキオピーは「それでもやるしかない」=人間は生きていくほかない、ということに自覚的である
上記の2つの要素を組み合わせると、強烈な人間愛が生まれる
ということです。
ピノキオピーは、私たちをダメなまま愛してくれます。いや愛してくれるかはわからないけど。ダメなまま愛するという行為を肯定してくれます。
これが、「ピノキオピーは疲弊した大人ほどハマる」と言われる所以かもしれません。
思えば私も、「ぼくらはみんな意味不明」を聴いて涙を流したのは、私生活がグチャグチャのボロカスで人間として終わりかけていた時でした。
生きてる意味も頑張る意味もないないない状態です。
でもやるしかないんです。
変に「頑張ろう」とか「もっと輝ける」とか言われるよりよっぽど刺さります。現状のダメさをそのまま見つめているから。ダメ人間の等身大をくっきりと描けるから。
私にとっては究極の生命維持装置です。ありがとうピノキオピー。あなたと匿名ラジオとtowacoのゲーム実況動画で私は生きています。
2.ピノキオピーのライブ
これだけ書いてまだ1だったのかよと思わせた皆さん、ごめんなさい。もう少し続きます。
ピノキオピーは、こういう時代になったこともあり、たまにYouTubeで無観客配信ライブを行ってくれます。
配信であれば大きい音が苦手な私みたいな人間でもライブが見られますし、何よりアーカイブを残してくださるので無限の鬼リピが可能になります。
ここで大切なのが、ピノキオピーはずっと「VOCALOID&HUMAN music」を貫いているということ。
オリジナルカバーをするのではなく、初音ミク(主に)の声はそのままに、ピノキオピーが声を重ねてデュエットの形で緻密に掛け合いをしながら歌い上げます。
これがね〜〜〜〜良いんです。急に言葉の具体性が無くなってしまって申し訳ないのですが、良いんです。
原曲のニュアンスがそのまま残るので聴きやすい上に、主旋律がミクで安定している分、ピノキオピーが割と自由にパフォーマンスできるんです。
「ここだ!」っていう最高のタイミングでライブ用の掛け声を加えたり。すごくこだわりを感じます。
とにかくこれを聴いてください。ぼくらはみんな意味不明の「かかってこいや!」を聴いてください。ラスサビ前の「やるしかねえんだろ!?」を聴いてください。最高。号泣。
ピノキオピーは決して歌がとびきり上手いわけではないと思います(ごめんなさい)。音程も、たまに「おっと引きずってるな」みたいな時もあります。
けれど、ピノキオピーがつくるミクの声と、なんだかすごく調和しているんです。
ピノキオピーとボーカロイドが歌うピノキオピーとボーカロイドの曲が正義です。本当にこれに尽きます。
3.ピノキオピーの人柄
実際のピノキオピーがどんな人間かは誰もわかりません。けれど、観測できる範囲では、彼はとても温厚で誠実な人間に見えます。
2016-17年あたりから顔出しも始められましたが、表情も優しそ〜〜〜〜。
こんな人が「モチベーションが死んでる」とか書いてるのかぁと思うとちょっとクスッとします。
新曲を出すための作業放送や新曲を出した後の解説放送など、喋っているところを見られる機会も多いのですが、なんかもう、普通に近所のおにいさんって感じです。良い意味でね。
そのうえ、恐らく曲を作るのがめちゃくちゃ速いです。自身のアルバムをどんどんリリースする傍ら、外部への楽曲提供も精力的に行っています。
提供先はハリウッドザコシショウ、ARuFa、Task have Funなど。
顔が広いというか、曲の作り手として業界から信頼されている感じが見て取れます。
聴く側としても、ピノキオピーが作ったのならきっと名曲!聴こ!という気になるし。
ご本人のTwitterも妙に可愛くてですね、お笑い好きでテレビっ子なのが伝わってきます。
2021年のM-1を見終えての一言です。
余談なのですが、ピノキオピーは海外からの人気が高く、YouTubeのコメント欄もTwitterのリプ欄も、基本的に外国語のコメントが並んでいることが多いです。そのため、
上記のM-1ツイートにも、「50代のハゲたおじさんがゆっくりと床に寝かされて放ったセリフ」であるとは露知らず、海外ニキがたくさんストレートなリプを送っています。可愛いですね。
総括
いかがでしたか?
ピノキオピーは最高ということがよくわかりましたね!
ありがとうございました!
冗談はさておき、ピノキオピーは最高です。
なるべく客観的に彼の曲の素晴らしさを書き表そうと思って筆を取りましたが、無理でした。めちゃくちゃ主観入っちゃった。
「この曲に救われました」とか「〇〇は宗教」とか、そういう風に書くと途端に安っぽくなってしまうけれど、でも私にとってピノキオピーはそういう存在なんだろうなと思っています。
みんなもたくさん聴くといいと思うよ。
多分。