ひきだしのつめきり/モア!定義!モア!
幼少期のことを不意に思い出す。
ある日の幼い私は、胸の高さくらいのところにある引き出しを開けようと思い立った。爪切りかなにかを取り出したかったのだろう。
この引き出しはなかなか重い。単一から単四までの電池が一通り入っていたりするから。いつものように取っ手を掴み、体重をかけて後ろに引いた。
ところがおかしい。開かないのだ。なぜ?
力が足りなかったのか。もう一度、体重を乗せて、引く。
開かない。なぜだろう。なにかにゴツッと当たったような音がする。
そこで初めて、父が「おい」と言い、自身が座っている椅子を引いた。
今思い返せば本当になんてことはない。私が開けようとしていた引き出しの端が、父が座っていた椅子の背もたれに引っかかっていたのだ。
幼い頃の私の視野はバカ狭かったので、「いつもは開くのに」以外のことが考えられず、父がそこに座っていたことにも気づいていなかった。
そう、いつもは開くのだ。
だってその椅子、普段はしまってあるから。
父は年に数回しか家に来ないから。
とにかく父は椅子を引いた。
人の椅子にゴンゴンと引き出しをぶつけまくっていたわけで、ここで私がとるべき最善の行動は「ごめんなさい」をすること、だった。しかし当時の私にそのストレス感みたいなものを察知できるわけはない。
細かくはよく覚えていないが、おそらく「おっ、開いたンゴ」みたいな顔をしてさっそく爪切りを引っ掴んだんだろう。そんな私を見て父は言った。
「お前は母親そっくりだな」
なに?と思った。これは「なに?(怒り)」ではなく「なに?(困惑)」の方のやつ。この流れでなぜ母親似の話を?
本当によくわからなかったので、当時の私はその日あったことをそっくりそのまま、帰宅した母に話した。
すると母の顔はみるみるうちに曇っていったように見えた。
夕食後、母はリビングから遠い部屋へと父を連れて行き、やがて静かな口論の音がそちらの方角から聞こえてきた。
その音を聞いた私は「やべ!これもしかしたら母にチクらん方がよかったやつかも!」と思いつつ、テレビを楽しく見てから、スヤスヤ眠った。
以上。
そうだったなあ。こんな記憶、あったわ。
今ならもっと上手く立ち回れるのに、という後悔がないこともない。不用意だったな。でも子どもって総じて不用意だし仕方ないか。
この記憶にタイトルをつけるとしたらなんだろう。
~子はかすがいどころか、むしろ火種になってしまった件~
これかも。でも火種になったこと、これ以外にも6000000回くらいある気がする。
どう考えても元々の不仲が原因じゃねえか。いい加減にしろ。
どうもありがとうございました。
きちんと定義されないまま世間一般に広く知られてしまった概念ってけっこう存在する。特に、個人の性質(体質)に関わるものが多い気がする。絶対音感とか。ロングスリーパーとか。
そして当然、きちんと定義されていないので、人によってその概念の解釈の仕方がまるで違う。これが非常に厄介である。
例えば私が思う「絶対音感」は、あくまで「相対音感」と対をなすだけのもの。
ドとソが鳴ったときに「7度開いているな」と思うのではなく「ドとソだな」と捉える。この意味で使ってきた。
例えば私が思う「ロングスリーパー」は、あくまで「ショートスリーパー」と対をなすだけのもの。
一度眠り始めると、あまり中途覚醒を迎えることなく、長時間ぶっ通しで意識を失っておくことができる。この意味で使ってきた。
一度だけ、大学で「ピアノを習っていたので絶対音感がある」と人に話したことがある。そうしたら、
「絶対音感?周りの音がぜんぶ音階で聞こえるってことだよね?じゃあこの足音はなんの音か言ってみて?このドアが閉まる音は?そもそもそういう人って感覚が強すぎてすごく苦しんでるって聞くけどなんであなたは平気なの?目立ちたいのはわかるけどそういうのはさ」
とガン詰めされたことがある。
定義されていないということは、その用語を用いたコミュニケーションに齟齬が生じても、誰も責任をとってくれないということである。
そこに正しいも誤りもない。
私は二度と絶対音感を名乗らない。