お人好しのすすめ
わたしはお人好しだ。
小さな頃からなんとなく分かっていた。
小学生の頃、誰もやりたがらなかった係を引き受けたことがある。
誰かが手を上げなければ帰れないという状況のなか、なぜか「自分が手を上げないといけないんじゃないか」というプレッシャーに勝てず、手を挙げた。
先生からは褒められ、周りからは感謝された。少し嬉しかったけれど、「あー、手上げちゃったよ」という後悔も多分にあった。
社会人になった今でも、わたしはなにかと頼まれごとを引き受けてしまうし、組合活動なんかにも巻き込まれがちである。
「やりたくないことは自ら進んでする必要はないんだよ」「もっと楽に生きなよ」と言われることはある。
分かる。「そうだよねー、わかってるんだよー」っていつも言っている。
だけど、小さな頃から長く「お人好し」をやってきて、私に染みこんでしまっているこの性質は、今更抜こうと思っても抜けないシミになっている。
20代前半のわたしは、お人好しの自分が嫌いでしょうがなかった。
「なんでもっと強く生きることができないのだろう。」と思っていた。
嫌われる勇気を持とうと頑張っていた。
だけど、それが逆にストレスになっていた。
お人好しとしていろんなことに巻き込まれることが悪いことではないような気がしてきたのは最近だ。
やりたくないことをやる。やりたくなくても頑張る。
そうすると、なんか成長した気がする!!
自分でも「単純だな」とつっこみを入れたくなるが、いまのわたしはそれでいいと思っている。
いろいろなことに巻き込まれていくと、経験値も度胸も少し上がる。自ら動くことができない腰の重いわたしのような人間だからこそ、お人好しでいてもいいのかもしれない。
いつか、
「これに時間を割きたいから余計なことはしたくない」
と思える「これ」が見つかるまで、お人好しとして生きていくのも悪くない気がしている。
そのときに「これ」をするための精神力を残して置けるように、自らを滅ぼさない程度に、ほどほどにお人好しをしていくのがしばらくの目標である。
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