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小説 ちんちん短歌・第六話『仁義を切る』
建は生きていた。
嘘だろうと思った。死んだはずだと思う。生まれ変わりはない、とも思っていた。死んだら終りで、消える。奴隷というのもあるし、一応、百済系の仏教徒なんだけど、生まれ変わりは全否定派なんだよ、建。
だから、何もかも嘘くさい。
相変わらず下腹部がだるい。全裸だ。しかし、現に建は麻布に薄いが綿とチグサを織り込んだ布団に寝っからされており、麻衾(うっすいタオルケット)をひっかぶっている。
奴隷なのにこういう、ちゃんとした寝具に寝かされているってすげえ、と、建は思った。
フィクション臭い。嘘だろう。あんな状況で、気が付いたら生きてるって、ないない。絶対にない。
でも、とちんちんを見る。
ちんちんはここにあった。ちんちんがここに在るということは、現実なのかもしれない、と思った。
干した野菜を水に戻している匂いがする。しゅわーっていう感じの、雨のふり初めに土から香る匂いにも似てるやつ。
建は上体を起こす。
だるい。だが、命の範囲のだるさだ。死の感じ全然ない。
屋根は萱、壁は盛土。だが床には一応、草を織り込んだ敷物。
「寝ていたほうがいいです。そのまま、そのまま」
男がいた。直垂というにはあまりに形が崩れている布を、体に巻き付けているのか。千切れる寸前だ。なのに頭に冠を付けている。これもまた、臭そうで、糸も切れ切れ。
建は自分の服はどうしたのかと思ったが、すぐそばの柱に丁寧にかけられていた。洗濯もしてくれているっぽい。
「歌がきこえたんです」
男は土器に水を張り、干し野菜を入れ、竈に火を入れている。
「あ……」
「そしたら、ちんちん丸出しで倒れてたので。……春日の方から歩ってきたんですかね」
都なまりがある。所作も背筋が伸びていて、多分男は元貴族か何かなんだろう。歳はけっこう上っぽい。顔がしわしわだ。赤く黒く、焼けている。
そして貴族にしては飯作りが器用だ。奴隷みたいにマルチタスクを平然とやる。火をつけながら皿代わりの葉を取り出し、客人用の箸を木の枝から削り出している。貴族はそんなことはしない。一つの事が終わるまで他のことをやらない。それが貴族だ。
「建っていいます。あー、えーと」
建はちゃんと名乗ろうとする。
「家に入り込んでしまってすみません、仁義を切らせてください。えーと」
「いいですよ、面倒くさいですし」
男は箸を作り終えた後、ぐつぐつ土器から湧くアクを匙でとっている。
「いえいえ、あのー、
"私は旅をしている人です"。
"御礼は控えていただきそのままで聞いてください"」
「仁義を切る」というのを、建はしている。
これは、旅なんかするような身分が低く、頭がおかしく、身分が極端に低いような人間が、他の一人暮らししてそうな身分の低いアウトローな人に助けを求める時に使う、節の入った自己紹介だ。
「一晩泊めてください乞食」を儀礼化したもので、これをすると、全国の一族の者、アウトローな人は、泊め、飯を用意してあげなくてはいけない。
その代わり、仁義を切った人は、その人のお願いを何でも聞いてお礼をし、恩返しするというのがルールだ。
本来は家の外でやんなきゃいけないんだよなあと思いながら、建は両手の手を男の方に差し出し、武器を持っていない事を示し、古ヤマト語で声を発する。
「"礼に欠けることがあったら指摘お願いします。礼に欠けたら殺してください”。
えー、
"初めまして"
”私は、生国は百済熊津、血は燕王公孫に由来するものです”
えー……命を助けてくださいましてアリガトウゴザイマス」
男はわずかに、クダラという地名に反応したっぽい。
建は続ける。
「"職姓は、春日の井戸守、造は赤染に身を置きまして、大納言・大伴旅人が三子、左中弁、中務大輔にして執金吾、大伴家持に従います衛門衆です"」
男は、大伴の姓を聴くと、こちらを向く。目を見る。
「"姓は公孫、名は建"
"赤染衛門を名乗ることを許された、ムツ前への使い番です"
"以後、万事万端よろしくお願いします。私はあなたを頼りにします"」
あんまり美しい発音ではなく、しかも字余り、字足らずが多くて、かっこう悪い口上なのだけど、これをやると旅先で身分が保証されるらしい。
相手の男は、じっとこちらを見据える。
……これ、本当に効果あるのか。建は不安になる。
口上は染め部のみんなが作ってくれた。染め部の長老はノリノリで古ヤマト語を組み合わせてまとめてくれたんだけど、これは旅する人はみんな覚えるとのこと。
特に、「大伴」という言葉を発すると、ヤマトの支配圏ではだいたい泊めてくれるそうだ。
「……。"ありがとうございます"
"ご丁寧なるお言葉、失礼さんにござんす"」
男は匙を置き、すっと、片の手のひらを向けられる。
流暢な古ヤマト語が返される。その迫力にやや気圧される。
「”手前、左大臣、藤原武智麻呂が次子、正一位、太師、藤原恵美仲麻呂に従いし者”」
え、と思った。
仲麻呂は大伴家持の政敵であり、たしか一年前、家持が手を引いて、仲麻呂は琵琶湖で殺害されたのではなかったか。
敵だ。
目の前に、敵の縁者がいる。
しわしわの手、よく見たら、小指がない。
「”ゆえあって名を捨て、人を捨て、稼業もなく、ただ己ため飯を食み、やがて死ぬ者でございます”」
そんな仁義の返し方は聞いたことがない。
建はかたまりながら名捨て男を見る。
「……どうかお手をあげなすって」
本来ならば建の方から言わなければいけない言葉を、男に言われてしまう。対応できないまま建は二の句を告げられないでいると、男は一人、仁義切りの姿勢から戻って、また飯を作り始めた。
・・・・・・・・・・・
「干し大根を湯で戻したものに塩を振ったもの」と「蒸したキビ」を供される。土器の皿の上には大葉のバランが敷かれ、その上に盛りつけられている。
皿に一輪、桔梗の花が添えられている。これは、食べられるのかよくわからず建が見つめていると、男は「それは飾りです」という。
みやびな事をするなあと思った。奴隷に出す食事でこんなことをする人はさすがにいない。相手は本当に元貴族なんだろうなと思う。
「大伴大臣はご健勝ですか」
ピリッとする。男は目を合わせず、自分の箸で自分の分の食事をしながら尋ねる。
「そうですね。とても……。私は、短歌の収集と取材が目的でして」
「我が主君の仲麻呂は、短歌には興味なかったんですよね」
「ああー」
「そのかわり、仏教大好きで」
「あ、私も、仏教やってます。自分、百済系ってのもあって」
「生まれ変わりを信じます?」
男が箸を置いた。もう全部食べたっぽい。
建は、キビを箸で食べるのに難儀していたので、食べるのが遅い。
男は建が食べ終わるのを待っているようだ。
「……信じない、ですね」
「私もその辺、納得いかないんですよ。仏教、やらされてるんですけど。……主君がね、殺されましたけど、ね。死んだら、どこかで生まれるんですかね。主君」
「あー、ねー。そうですよねー」
わからない。この男が、仲麻呂がどれくらいのテンションで仕えていたのか。
政敵の縁者と知って、建のことを殺したいと思っているのか、どうでもいいと思っているのか。
「大伴大臣は今、薩摩へ出向されてると聞きました」
あ、情報早い。
家持は建に短歌蒐集の旅を命じたのち、都を離れ薩摩守として九州に向かったのだった。あんまりこういう情報を漏らすのもどうかと思ったので、建は「はー、へー、ほふうん」みたいなリアクションをする。
命の恩人とはいえ、相手は敵だ。
「薩摩は、ハヤト(異民族)が面倒ですからね。あすこは恐ろしいところです。私も一時、防人だったこともあって。訓練でねえ、地元のハヤトを殺してこいって言うんですよ。強いですよ、ハヤト。でもねえ、訓練だし、殺すんですよねえ」
建の食が進まない。
男は、武官貴族か何かなのか。見れば片耳もなくしている。これは敵からの傷ではなく、弓を使う者は邪魔にならないよう片耳を自ら切り落とし、弦が引っかからないようにするためと聞いたことがある。
きっと、すごく強いのだろう。
「あの、この度は本当、重ね重ね、命を救っていただいて、その……」
建はなんか怖くなって、頭を下げる。殺さないでください、みたいなことを言いたくなった。
でもそもそも、俺、死んでるんだよな、とも思う。一度死んでる。下痢で。で、リアリティなく、都合よく命を助けてもらっているのだ。
別に怖いと思う必要、ないんだけど。
でも、怖い。
建が帯びていた剣は寝台の脇に置かれている。今すぐダッシュで寝台に戻って剣を持ってきて、この男を殺せるかどうか。
……無理だなあ。体調、まだよくないし。
男は、そんな建の思惑を知ってか知らずか。建がキビを食べきるまで、じっと座し、待つようだ。
「短歌は、力をいれずあめつちを動かす、と聞いたことがありますが、それは本当ですか」
男は静かに尋ねる。
「え、はい」
建、反射的に、普通に答えた。
「今ここで、あなたが短歌を詠えば、あめつちを動かすことは可能ですか?」
男はじっと、建を見つめた。
答えないと、殺されるのかなあと思った。
(つづく)
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