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ちんちんです、ちんちんですよと説明しつづけていたら人間ではなくなってしまった。
ちんちん短歌作家の藤田描として女性に会うたび、「わたしはちんちんです。出会った女性と常にセックスしたいと思っている男性です。今こうしている間にもちんちんを見せたくて仕方ないです。はじめまして」と挨拶してしまって、人間関係を破壊してしまっている。
これが礼儀だと、思ってしまっているところがある。
「私は女性のあなたとセックスしたいとおもっています」という事を正直に伝えることが、正義だと思っていた。嘘をつかないというか。ちゃんと、セックスをしたいと伝えよう。隠し事はやめよう。僕と一緒に全裸で踊ろう、踊ってくれ、踊らされてくれ、一緒に全裸逮捕されて、体勢側に反旗を! 権力者全員殺そう! みたいな。
ただこういう挨拶をするというのは、実は男性性の欲望を無条件で肯定し、女性に押し付けているのではないか。そう気づいた時、どうしたらいいか。どう女性と接したらいいんだろうかと思ってしまった。
嘘をつくことになるのは、すごくストレスなのだ。だから、「セックスをしたい」を隠すため、嘘をついてしまうので、平素は女性とあまり話さないようにし続けている。そんなことを繰り返しているうちに、「男性の性の欲望を肯定してくれる女性っぽい人」にしか近づかなくなってしまった。
こんなことでは、だめだ。こんなことでなくても、元から、俺はだめだ。
これは私の欲望がだめなのだ。男性だからって、女性に懸想を無限大に抱いていいわけではあるまい。人間は動物ではない。律しなければ。我慢しなければ。
しかし人間は動物だ。律せられない。我慢ができない。男性で動物なのだから、私はレイプするためにこの世に生を受けてきたのかもしれぬ。そう思うと、いつ、自分はレイプしてしまうのではないか。とても怖い。私の中の動物がすごく怖い。毎日綱渡りだ。
人間はどっちなんだろうなあと。
理性に属するものなのか、動物に属するものなのか。その間、というのは、あるのだろうか。その間にあるとき「正直である」とは、どういうような生き方になるのかなあ。
ちんちん短歌は、人間、つまり嘘に属するものだろうなあと思っている。わざと、あえて、短歌の形式にしている。だからこれは、「理性」に属するもので、本能だとか、自然と出てきた正直なもの、という事は絶対にない。
ただ、嘘だからこそ、正直なところは本当に出ると思った。自分の読んだちんちん短歌を並べると、自分の童貞さ加減が出てくる。レイプの短歌も詠むが、私は見るAVはレイプ物ばかりなのに、実際にレイプ経験がない。
短歌もそんな感じの仕上がりになっている気がする。
それは嘘だけど、正直だ。
わからん。どっちなんだろう。俺はレイプ魔なのだろうか。童貞なのだろうか。
ふと、自分の「セックスしたい」という欲望は、自然なものなのだろうか。みんながセックスしてるから、ブームに乗ってセックスしてるんじゃないか疑惑はある。セックスへの欲が、自分の内側から来たものなのか、よくわからない。そもそも、あらゆる欲は自分の内側からやってくるんだろうか。
正直さと嘘の真ん中で、生きているのか死んでいるのかわからないまま、女性に出会う。人間なのか、人間ではない人間なのかもわからないまま、どう出会う女性とやっていけるんだろう。そもそも、相手を女性っておもっちゃいけないんじゃないか。
じゃあ、俺は誰と出会うことができるんだ?
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本日の有料記事は、一つのちんちん短歌をより良くするための推敲をやる予定です。 ふわっとしてそれっぽいだけの「お雰囲気短歌」をどうしたらいいのかなあと……奮闘しています。
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