小説 ちんちん短歌・第11話『ヒモ生活』
沢から三往復すると、水瓶はまあまあ溜まる。もっと大きな桶があれば、二往復で済むんだろうな、とは思う。
三回目の水汲みの時に、沢で洗濯をした。
清めの灰を合(寄合)から分けてもらい、無患子(ムクロジ)の果の皮をすり潰す。ムクロジ、あんまりこの地域では珍重されていないのか。「染め部」にいた時は洗剤としてよく重宝した。泡立ち、ぬめりが出る。このぬめりが、皮脂を溶かし、布をきれいにする。
女の下衣や上着からは良く汚れが出た。一人暮らしだと洗濯が雑になるのか。それとも、服をいちいちバラすのがめんどいのか(この時代の洗濯は、服の部位をバラす必要があった)。
洗濯だけではない。女の家の中は取っ散らかっており、食物の貯蔵も適当なため、半分以上腐っている。
家事が不得意というより、やる気がない。生きる気がないのだろう。
それでも、女――建が強姦したキイコという女は、この村で普通の顔をして生きている。家の中が崩壊していて、ずっと腐ったものを食べ、汚れている服を着て、多分、内面も全部崩壊していて、それでも、普通に生きている。
建は、生活をしていた。
沢で老婆に短歌で燃やし殺されたと思ったが、なんか、生活していた。
建が水桶と洗濯物を張り付けた板を背負って帰ってくると、薄絹姿のキイコが玄関で待っていた。
「服、盗まれたかと思った」
「あんたが洗えって言ったんじゃない」
「沢までいったの? 服、洗いに?」
沢に行く以外でどうやって洗ってたんだろう。まさかいままで、服に水をぶっかけて、それで終わりって感じだったんだろうか。
女が薄絹姿で村を出歩くのは、この時代(七〇〇年代)のヤマトでも異様な事だ。今、キイコは普通に露出狂だ。おっぱいは隠れているが、まんこが見えている。
「何、その恰好でどこか行ってたの? ……家の中入って」
建が促す。
女は朱い唇をゆるませて、建の言うとおりにする。
日が暮れかけている。当然、食の準備はない。
建が最初にこの家に招かれたとき、一応、塩漬け野菜を饗してくれたが、その時以来キイコは食事の用意などすることはなかった。だので建が適当に屋内の貯蔵場――といっても、ほぼ虫にやられていたが――から適当に食材をあれし、竈にあれし、火をあれして、最低限、何か口にできるものにした。
葉に、蒸キビと野菜を盛ってカワラケに。水汲みの途中で一輪、リンドウがきれいだったので摘んでいたので、添えてみた。建を強姦したあの武士のやり方を、なんとなく真似する。
「何これ、リンドウって食えるの?」
キイコは指でリンドウの花をつまむ。
「かざり」
建はそっけなく返す。
「お非違様」に挨拶を済ませた、という事になっていたらしい。建。
村の女ネットワークを通じて、建がキイコ宅に滞在するという事は、ぼんやりと許されたらしく、隣人から塩、味噌、穀物を分けてくれるようになった。
だが、キイコという女は何もしない女だった。
はぐれ女、とあだ名されていたように、村の中で親族がいない。
しかしキイコは日中、あるいは、月明かりのある夜に、どこかへと出かける。聞くと、
「男んとこ行ってた」
って、ぺろんと言い出す。
気が付けば、口調がずいぶん変わっている。こっちが、素の自分なのか。
「別に娼婦ってわけじゃないよ。なんか貰ってるわけじゃないし」
でも、それで飯、食ってたんだろうな、と思った。夫の労役の賃金なんて、ヤマトで丁寧に支払われたところを見たことがない。
それで、キイコは村中の男のところに順番に抱かれに行っては、飯を食わせてもらったり、水汲んでもらったりしてたんだろう。
そこに、建が来た。来て、強姦した。
「そうか」
と建はぽつりと言った。
それで、なんだっけ、どうしたんだか忘れたけど、恩返しなのか、罪滅ぼしなのか。キイコの家の家事をやってあげる事にした、建。
建は奴隷っていうのもあり、また「染め部」での経験を生かして、洗濯は得意だ。そして、奴隷ってのは器用だ。あの広い大伴の貴族邸宅の小間使いをしていたので、キイコの家はどんどん整頓されていった。
建が家事をしているあいだ、キイコは村の男の家を廻り、抱かれ、時に隣村にも行って抱かれ、へろへろと帰ってくる。
そういうときの唇はぺろんと、しまりが悪い。とても朱い。
で、もらってきたり、くすねてきた穀物を家に持って帰ると、建はそれぞれ適切な保存方法で〆め、家の貯蔵場に置く。腐んないように。虫がつかないように。建がいなくなっても、美味しく食べられるように。
「夫が仏師なんね。ホトケ彫ってんの」
建がキイコの食べ終わった器をさげ、清め場に持っていく時に、背中に言葉があたる。
だからか、と建は思った。貯蔵場の近くに、ノミや槌、そして燃料にはならない木片が多数転がっていて、何だろうと思ってたのだ。
器を葉で拭い汚れを落としながら、キイコのだらしない唇からふわふわと言葉が漏れるのを建は背中で聞く。
「きれいだと思ったの。仏さま。夫がねー。都に? 来た時、あ、私昔、橘長者の一族やってたんだけど」
すごい権力者の名前がぽろんと出てきた。
都でナンバーワン権力者で、権勢は大伴をしのぐ、ミカドに一番近い人じゃん。橘長者って。
「で、仏師が来て、仏、作ってるの覗き見して……女が覗き見したら殺されるらしいんだけどね本当は。でも、あーって思って、美しいなって。私も作りたいなって思って」
ここで「私も作りたい」って思うのがこの女なんだ。
「それで、仏師の男とかけ落ちてきて、この村に来たってワケ」
なんでキイコが身の上話を突然しだしたのかはわかんない。
建は、器を清め終わったらセックスでもしようかなと思っていたが、なんとなく女の話が気になる。夫の話だし。
「で、私と一緒にいるようになってから、夫の作る仏、本当にきれいになっていくの。すごいきれいなの。どんどんどんどん。きれいになっていって、きれいなの。だから、だめなんだって。仏様、きれいに作ったらだめなんだって」
キイコ、ごそごそと、部屋の奥のよくわからないところから、仏像らしきものを取り出す。
女のプライベートゾーンだと思って、そこのあたりは掃除しなかったんだ。
「きれいでしょ」
とん、と木の仏像が軽率に置かれる。
建には、その良さがぜんぜんわからなかった。きれい、という評価も、別に。
だって、奴隷だし。短歌奴隷だし。短歌を暗記する、道具みたいな人間だから、短歌以外の美とか良さとか、そういうのは持たないようにしてる……という言い訳を、内心で、する。
わからない。
抱いた女が、きれいだというもの、素敵だというものが、わからない。
なんか、イラっとする。
「こういうの、私も作りたいなと思って、弟子にしてくださいって言って、女は弟子になれないよーって言われて、しゃあ助手にしてください、それならいいよーって言って、でもアタシ、だめじゃん。なんかもう、指先から先、感覚ないし」
キイコは建に手を伸ばす。
建の胸に、指先が当たる。
「わかんないの。触れてんのか、触れてないのか。分かるためには――」
キイコは手のひらで、建の胸全体を触る。
「こうしないと判んない」
建はその手を取り、体重をかけて組み敷こうとするが、キイコの手に力が入る。抵抗されている。
「やんないよ」
「なんで」
「夫が見てる」
仏像がこちらを見ている。
「この仏さまね、私、目も緩くて。あんまり何にも見えないの。ぼやけて。だから、手のひらで触っても、ああ、これ、仏様だなあって分かるように、きれいに作ってくれたの」
キイコの手が仏像に伸びる。
手のひらで、仏像の顔を触る。
「『ひとりでいたら君は絶対に、何か困る。その時、この仏様を触って、正気を取り戻してほしい』って言われて……へへ。へへへ」
手にしていた仏像を、建の胸に当てられる。建はキイコから被さっていた体を起こす。
「結局、助手もできんかった。弟子もだめ、助手もだめ、そうなったら、クリエイターの横にいる女として、嫁になるしかないなーと思って」
「あんた、家事出来ないじゃん」
「うん。夫が器用な人だから。夫が何でもしてくれた。水汲みも。料理も。お掃除も」
「へえ」
「でも夫の仏像はきれいになっていったよ」
「でも、仏じゃなくなっていったんでしょう?」
「へへへ……」
笑うキイコ。
唇がだらしなく歪む。朱い。
あ、と思った。
俺は、この女がいないと、だめかも、と思った。
それくらい、きれいだと思った。朱。唇の。ゆるくなっているところ。
「夫くん、庸(労役)に取られて、三年帰ってこないんだ。都で、……仏師の仕事がいそがしいのかな」
たぶん死んでいる。
三年で帰って来なければ、死んでいる。しかも、多分、仏師の仕事はさせてもらっていないだろう。
この時期の庸は、多分、東大寺で作られている大仏の製造に回されている。大仏は一応の完成はなされ、開眼法要というイベントは済んだけれど、様々なところが全然だめで納期が間に合ってなく、急増作りのフォローだとか、大仏を囲う巨大な社の建造に多くの労働者が使われていた。
そして、使い捨てられていた。
こんな、小さな、きれいで小さい仏像を彫る繊細な技術は、必要とされていなかった。
きれいな仏像を彫るその手は、おそらく、巨大な青銅を煮る窯を引っ張ったり、巨木を切りだしたり、煮えた水銀を掻きまわすために使われていただろう。
その雑な労役で、人は、死ぬほど死んでいた。
「うみゆかば みづくかばね
やまゆかば くさむすかばね(海行者 美都久屍 山行者 草牟須屍)」
建の頭の中に、歌が思い出された。
大仏建立には、主君の大伴家持の太鼓持ちソングがミカドに捧げられている。その歌。
「海行かば~」は、その歌のストロングポイントだった。
大仏建立に必要な黄金が見つかってうれしいなあ。我が大伴の一族は、海に行ったら死に、山に行ったら死にます。そのくらいのテンションで頑張ります、天皇、サイコー、という、ミカドに対する媚びと、一族アピールをした歌が捧げられていて、建はそれを暗記していた。
海に行ったら死にます。
山に行ったら死にます。
頭の中で、その詠い方を想う。
目の前に、庸に夫をとられ、村の男たちに抱かれて生きている女。
その女を強姦した建。
もし、今、詠えと言われたら。俺、どんなふうに。
どんな顔で。
この歌を詠えるのだろう。
いや、俺はもう、歌を詠えないんじゃないか。
ふと、仏像を見る。
まるで俺みたいだ。
建は思った。
・・・・・・・・・・
こうして建は、死んでいた。
あの時、お非違様のまんこから短歌を食らって、焼け死んでいたのだろう。
しばらくただ逗留するだけのつもりだったが、何をするでもなく、建は女の家で家事をして暮らす。
「うみゆかば みづくかばね やまゆかば くさむすかばね……」
沢で水を汲みながら、建はこの歌をつぶやく。
川の上流で鹿が死んだらしく、肉の腐った匂いが森の匂いと相まって、いい匂いになっている。
主君の家持は、多分本気で、海でも死ねるし、山でも死ねる。
奴隷の建は、短歌で死ねるだろうか。
短歌で死ぬとはどういうことか。
名前も知らない仏師は、自分の、プライベートの仏を作り残し、社会のために妻を置いて、パブリックな大仏の一部にその力を使い、だけど自分のクリエイションを入り込ませることもなく、多分死んだ。
・・・・・・・・・・・
沢で、お非違様が見ている。
相変わらず、まんこを広げている。
にこにこと笑っている。
お非違様の上着の白が、日の光を反射し、キラキラと輝いている。
そういえば、出がけにセックスをしたとき、キイコが建にこういった。
「服が欲しいんだな、私。」
その時建は、キイコのまんこの中にちんちんをいれていた。
「建くん、わたし、新しい服がほしいなあ」
服は、この時代、家に相当するくらいの超高級品だ。
そもそも、布が超貴重だ。租庸調の「調」とは、「布」を国庫に収めることであり、布は黄金にも代えられないほどの特別なものだ。それを、服にするには、様々な職能や人の繋がり、社会性を必要とする。
「はぐれ女」であるキイコには、服を手に入れられるネットワークがなかった。だから、橘長者の一族をしていた時に着ていた一枚しか服がない。服を洗ったら、洗っている間、裸でいなければならない。
「他の、抱いてくれる男にねだったらどう。俺みたいなやつじゃなくて」
「服はどうにもならないもの」
「……今着ている、一着では、だめなの?」
「着たいものを、着たいわ」
建は、この女のためなら、家事ならできる。水汲みなら。飯を作るのも別にいい。この女とセックスできるならば、あの緩んだ、朱の唇を自分の物にできるならば、なんだってしたいと思う。
でも、この時代、「服」を手に入れる煩雑さ、難しさを想うと、尻ごんでしまった。
尻込みながら、まんこにいれたちんちんを動かす。
キイコの顔を見る。
ふと、「俺の女」とつぶやいた。
すると、
「わたしは誰のものでもないよ」
と、その緩い唇から洩れてきた。
だめだ、と思った。
きれいだ、と思った。
「新しい服が欲しいなあ。……服がほしいなあ。……服がほしいなあ」
ちんちんをいれられながら、キイコは建の耳元でずっとささやいた。
無理だろう。とても、短歌奴隷でただの旅人の建の手に余る。
正攻法で服を手に入れるなら、まずは布を調達しなければ。布を得るための黄金か、穀物か。それを交換するとしても、しかるべき身分が必要になるし。となると、「大伴」の名前を出さざるを得ない。すると、どうしても主君の大伴家持に、一報が入るだろう。
女のために布が欲しい、という事が、短歌奴隷として許されるかというと、これは厄介な事だ。
一着でいいじゃないか。その一着で。今着ている服だって、いい服だし。
なんで、一着だけでは、だめなのか。
歌もそうなのではないかと思った。
一首、あればいいわけではないのか。自分の人生にフィットし、一生歌っていける、ただの一首じゃだめなのか。
どうせ、死ぬのだ。
というか、俺は死んだのだ。死んでいるのだ。ちょっと前、ここで。
死んでもいいと思っていた短歌で、死んだのだ。
建は「海行かば~」の歌の続きを想いだす。
「おおきみの へにこそしなめ かへりみはせじ(大皇乃 敝尓許曽死米 可敝里見波 勢自)」
――あなたの近くでこそ死のう。かえりみは、せず。
「お非違様」に、供えられている、白の上着。
巫女であり、宗教的な儀礼の品であるらしく、この村で超一級のうつくしい布でできている。
おそらく、絹ではなく麻だ。
古来、麻は高級品だった。しっかりとした強い肌触りの素材。
指先に感覚がなくて、手のひらで世界をつかみ取るキイコに、麻の服の触感は、多分きっと、喜んでもらえると思う。
キイコが喜べば、建と、これからもセックスをしてくれるのではないか。
死んで、草むした屍となっている夫のことなど忘れ、きれいな仏のことなど忘れ、俺の物になってくれるのではないか。
頭の中にある千の短歌と引き換えに、俺の旅を終え、つまり、死んで、死んだつもりであの老婆から上着を奪って、あの、麻。麻の布さえあれば、キイコに新しい服を与えられるんじゃないのか。
建はぶつぶつ呟きながら、足を広げ、太陽に向けてまんこを広げている老婆に近づいていく。
先日は、まんこから出た短歌に殺された。
だが、今、頭の中にある千の短歌を捨てて、女とセックスすることだけを考えた、ちんちんそのものとなった建なら、どうか。
ちんちんなら、短歌で殺されることはないのではないか。人間ではなく、ちんちんなら、老婆から上着を奪うことなどに、なんの呵責もなく、ただそれができるんじゃないか。
なにせ、人生で初めて、きれいな女から、服をくれ、と言われたのだ。
建はじりじりと、「お非違様」に向かって歩きだした。
(つづく)