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小説 ちんちん短歌・第九話『エンタメ短歌、のちセックス』
それで、今、セックスをしている。
建のちんちんは、吊り橋を渡った先の集落の中で、一人暮らしをしている女の中にあった。
ちんちんが女の中に入り、この世から消え、また引き抜き、女の中から産まれ、そうかと思えば、また建が中に入れるので、消える。それをしばらく、ただ繰り返していた。
なぜセックスをしているのかと言えば、短歌を詠んだからだ。
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山の中の集落には、一〇〇世帯ほどが暮らしていた。
建はその中で、村長っぽい人に仁義――「浮浪者ですがお世話になります一晩泊めてください挨拶」を切る。またあの時の武士のような人間に出会って、襲われるのではないかという事が頭をかすめたが、そこに恐れていてはこの先、旅はできない。無心で仁義切りをしたが、「大伴」というビッグネームがあんまり有効ではない部落だったので、仁義を返してはくれず、やんわりと穏便に追い返された。
村長的にはこの場で建を殺してもよかったが、建はマレビトだ。この時代、ふらりとやってくる越境者や旅人は、神と同じく、ぞんざいにすると縁者から意外なしっぺ返しを食らうし、だからと言って丁重にしても、それはそれで面倒くさい。さっさとどこかへ行ってくれたらいいな、という感じ。
建は、この村で、宙ぶらりんになった。排斥されるわけでもなく、迎え入れられるわけでもない。何者でもあれない。
こういう時は仕方ないので、ストリートで短歌を詠んだ。
「いめのあひは くるしかりけり」
(夢之相者 苦有家里)
「夢の逢ひ」という、いきなりサビから入るこの短歌は、やっぱり主君の大伴家持の歌だ。「夢の逢ひ」なんて言葉は、この世界にはない。家持の造語だ。
建はこの言とともに、最初から両腕と体を大きく広げ、「夢」という場を表す。そして、大きく体を前後左右に揺らし、「苦しみ」を、言葉と共に出す。
「おどろきて かきさぐれども」
(覚而 掻探友)
「覚どろきて」で、もう、大きく、強く、悲しく、ワーッと。
今、建の中にある衝動や不安、言葉以前の、このままではいられなさを、ただ出す。ただ出す。
声量。普段は抑制している建の声を、ここぞとばかり制御を開放して、大きく、ただ大きく、出す。
集落に、建の声がこだまする。
そして、「かき探れども」。この世界の中、溺れるように、両手両足を、もうシンプルに、言葉の意味通りに、狂ったように掻き探る。
普段だったら、「ただの言葉の立体化に過ぎないような舞い方は、短歌の舞い方になってない」と短歌奴隷の先輩から注意を受けるようなあれだけど、建はここで大胆に舞のタブーを破る。
大きく、派手に、力強く。「いめのあひ」という、特殊な言葉で引きつけた人の耳を、興味関心を、必死に、がむしゃらに、死んでも離さないように、両手でかき集める。
このとき建は、巨大化している。
歌により、あめつちを動かし、自らの身体を二倍にも三倍にも一〇倍にも見せている。
歌を詠い舞うと、人間は何倍にも巨大に見える。それは、例えば1200年後の未来、巨大な会場での音楽フェスを見ても明らかだ。豆粒のようにしか見えない演奏者や歌い手が歌を奏でると、その実景が気にならないくらい、発信者が大きく巨大に見える。
その誇張の大きい舞い姿――、それが、次の瞬間、
「てにもふれねば」
(手二毛不所触者)
まるで夢から醒めたように、スン、と。
等身大に戻った建の手を、建は見つめる。
前段の舞でみせた巨大化を、突然、一切の出力を切ることで、ただ一人の公孫建に戻り、その手を見つめる。
この緩急で、建はこの歌を現した。
時間にしてわずか二〇秒にも満たないパフォーマンス。
これを、建は、集落のはずれの路上で、気が充ちると繰り返した。
最初に反応したのは、部落の子供たちだった。男女を問わず、建の大きな声と大きな動きに魅了され、遠巻きからそれを覗き見だした。
やがて、子供たちから噂を聞いた部落の婦女たちが、家事の隙間にやって来て、建を見る。
建はその女たちに向け、同じくパフォーマンスを繰り返す。
見に来る部落の女たちは次第に多くなり、二〇名くらいのギャラリーが集まってきた。
建はその女たちに向けて、何回も短歌を舞い、詠い、ファンサもした。
その中に、一人、進み出る女性があった。
シビラだつもの(エプロン)に、僅かに染め物の形跡の残っている。都に居たことがある女なのかもしれない。
「いきてあらば みまくもしらず
なにしかも
しなむよいもと」
(生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 )
女は建の舞に対し、緩やかに、ただ横に揺れながら、返歌を返してきた。
そして、
「いめにみえつる」
(夢所見鶴)
「夢に見えつる」という結句で、建にスッと手を伸ばす女。
建はその顔を見つめる。
井戸の、いっさい水の揺れない冷たさのように、きれいだった。
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その女の家に泊まらせてもらい、建はセックスをしている。
この時代、旅人は、芸を持たないと生きていけない。路銀など持っていても、奪われるだけだ。
女は夫を庸(租庸調の庸。労役)で都にとられ、一時的に一人暮らしをしているという。建はそれを聞くと、ろくに性的同意もとらず、相手を寝台に押し倒し、ちんちんを出した。
女は、「野菜の塩抜き、してるのに……」と抵抗していたが、建は無視してその口を吸う。
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「いめのあい」(夢の逢い)という、家持の造語から始まるこの歌を建が初めて聞いたとき、思わず笑ってしまった。
教えてくれた先輩短歌奴隷も、やっぱりニヤニヤしていた。
「ヤバいよな、この歌」
「ヤバいっすよね……。なんですかこの歌」
二人はニヤニヤが止まらない。これ、あの黒々と太った家持が、好きな女の子のために真剣に作った歌だと思うと、もう本当……若気の至り感というかなんというか。
「だってねぇ……好きな女に、夢の中で会うことを、わざわざ言葉にしますか? なんすか、『夢の逢ひ』って、こんなワード聞いたことないですよ」
建は完全にこの歌をバカにしている。
あまりにも甘すぎる恋愛歌で、まともな短歌じゃないなと思った。いくら個人の感情を57577のリズムに乗せるとそれっぽくかっこよくなるったって、こんな恥ずかしい内容あるかって話で、
『夢の中でー、貴方に出会ったけど苦しくてー、起きて目の前を掻き探ったけど……手には、何も触れなかったのー』
という……詩の中の動作の、大げさで、こっばずかしいこと。
「掻き探った」なんて、現実にやってないだろ。みたいな、いかにもオーバーで見せる感、エモやってる感、もう聞いてらんない。
先輩奴隷ももう笑いを隠さないで、掻きむしる仕草をすると、建も笑う。
ださい。
かっこわるい。
造語までひねり出しちゃう、若気感。
これ、ヤマトが短歌ブームだから作っちゃったんだろうなと思う。こんな、わかりやすすぎるエンタメ短歌。
でも57577にすると文学っぽく詩歌っぽくなるって、短歌って形式は本当やばいと思う。
「でもこれ、人気なんだよ。ミカド付きの女官の前で詠むとウケたり。夢ネタって、あるあるで分かりやすいからさ」
へーっと建は思う。
くだらねえ。
短歌って、ウケれば勝ちかよ。
あとから聞くと、当時、漢土(中国)の小説で、『夢で出会って恋をした』(『遊仙窟』・張文成)というのがあり、家持はそのエピソードをパクって歌にしたと聞く。
もう、本当、何から何までひでえなあ、この短歌。
家持、主君だけど、本当こういう軽率でつまんない感じ、心からキツいよなあ、と建は思った。
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そんな、心の底から下に見ていたエンタメ短歌のおかげて建は今、一晩のねぐらを得、セックスを得、命を得、旅を繋いでいる。壊れないですんでいる。
女、抱かないと壊れる、と思っている。
武士に襲われたあと、自分の中にある恐れとか怖さとか、ぜんぜん消えない。
女抱いて、セックスして、女殴って、抱きしめて、全部出さないと、呪いが体から出て行かないって思ってる。
「私はさっき、三人殺してきた。だから三人抱かないと、だめなんです」
武士に耳元でつぶやかれた言葉が消えない。
以降ずっと、建はどこかで女抱くことばかり考えていて。
それで、女を抱くこと目当てで歌を詠い、そして、それができた。
短歌を詠うと、セックスはできる。短歌ってすごいなと思った。
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「おひいさまには仁義は切られましたか」と女は言う。
建は首を振ると、女はうつぶせのまま、「じゃあ、あなたの命はここまでですね」と応える。
「おひいさま?」
建は村長には挨拶はしたが、それ以上の存在がこの村にいるのだろうか。
「私がおひいさまに、あの大伴の縁者に手籠めにされましたと訴えれば、あなたの命はここまでです」
「おひいさまって誰」
建は息をのむ。
「女です。おばあさま。この村全員のおばあさま」
長老婆ということか。
「でも、このセックスは、同意の上ですと、おひいさまに私が言えば、あなたはきっと生きられますね」
女は体を起こして建を見る。
「えっと……」
「A面B面ってあるじゃないですか。」
なんやそれ、と建はぼんやりする。
「……A面は、政治だとか、村の収穫がどうとか、面子であるとか、クニだムラと、男たちの好きな奴。それは、確かに村長の領分です」
そのまま女は水甕に向かい、口に水を含む。
「B面は、おひいさまをはじめとした、私たちの領域。子を産むとか、体のこと、心の置き所、あめ、つちのこと」
あー。
「で、あなたの命は、わたしのものなんだなあって、今。A面だけ通しても、B面をないがしろにするあなたの命は、このままでいられると思って?」
女は水を口に多く含みすぎ、唇から水が漏れる。
「……俺、死にたくないですよ」
建は寝台からおり、女の背中に声をかける。
この女、なんで俺を怖がってないんだろう。
なんで俺が、いまここで、力づくで襲い掛かって、殺されるかもって思ってくれないんだろう。
建が先に武士にちんちんをむき出しで襲われたときは、本当に怖かったし、せつなかった。つらかった。苦しかった。本当に嫌だった。
それがこの女にないのが不思議だ。
あのときの武士みたいに、もっと汚く、強く、殺すつもりで抱こうとすれば、女はあの時のおれみたいに怖がってくれるだろうか。
なんでだろう。なんで俺、強姦してる側なのに全然相手の方が上って感じなんだろう。
「おひいさまとか言う人になんか言う前に、俺があんたを殺すかもって、思わない?」
「ぜんぜん」
「なんで」
「だって、私、きれいだから」
こちらに体をむけず、首だけ傾けて建を見る女。その目が黒くて、黒曜石みたいだと思う。
「水が足りないなあ。……水、汲んできてくださる?」
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山間の村では、水汲みが重労働だ。基本的に女性の仕事ではあったが、この村では男性もやらざるを得ない。
建は桶を担ぎ、沢の水を汲みに行く。井戸は、村長以外は使ってはいけないしきたりだ。
生きてあらば見まくも知らず 何しかも死なむよ妹と 夢に見えつる
沢へ山下りをしながら、先ほどの女の返歌を思い出す。
これも、建も知っていた。
主君の大伴家持の正妻の、坂上姫の短歌だ。
他人の口から短歌を聞くのは久しぶりだった。舞とは言えない舞いに、詠うとはとてもいえない声の出し方。最後に差し出された白い手。
短歌としては、とても芸とは言えないあの詠い方に、建はずっと心をかき乱されている。
「生きていれば、また出会えたかもしれない。
なのになぜ、
死のうよ、って、言ってくれるの。
夢で見たあなた」
家持のエンタメ短歌とは対照的に、きわめて難解な歌。意味は通る。だが、意味が解らない。何を詠っていたかのA面は通るけれど、B面が追いつかない。
あの女は、建の詠んだ短歌が家持のものと知っていた。そしてその返歌に、わざわざ正妻の短歌で返してきた。
女がきわめて教養があり、情報にも強いということがうかがえる。
死のう、と、夢の中で貴方に言われたんだよ、と、坂上姫。
生きていれば、また出会えた、という事は、つまり別れがあったという事か。離れていたという事か。
女の詠い方には、「なにしかも」(何如毛)に、僅かに力点が入っていた。
わざわざ、初句の調子をわずかに変えて。あれは、どういうテキスト解釈だったんだ。
何で、夢の中で言われたとされる言葉が、「死なむよ妹」なのか。
死にたいのか。
死のうって、言われたいのか。
死のうって、男に言わせたかったのか。
白い手。黒曜石のような目。水面のような素肌。セックスの最中、ずっと緩んでいた口元の朱。
俺は、この水汲みが終わったあと、殺されるのか?
沢に桶を浸す。
ふと顔を見上げると、小さな社があった。房の付いた縄が幾重にも張り巡らされている。
その横に、ちんまりと座っている老婆。
あれが、おひいさまなのだろうな、と、建は思った。
(つづく)
夢之相者 苦有家里 覚而 掻探友 手二毛不所触者訓読
夢の逢ひは苦しかりけり覚どろきてかき探れども手にも触れねば
(大伴家持)
生而有者 見巻毛不知 何如毛 将死与妹常 夢所見鶴訓読
生きてあらば見まくも知らず何しかも死なむよ妹と夢に見えつる
(坂上大嬢)
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