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小説 ちんちん短歌 第12話『何一つ良いことはない』
「お非違様」を名乗るただの高齢者の女性は、いい服を着ていた。巫女だからだろう。だからその服を奪うには、巫女に対して、恐れとおののきがなければ、きっといける。
あんなの、ただの老婆だ。脚を広げて、まんこを太陽にかざしている、高齢者だ。
建は、仏教徒って言うのもあるし、オカルトにはピンときてない方だ。政治をやる時の占いも、あれは方便だろと思っている。
だから、多分、殺せる。
殺して、服を奪える。
いける。やれる。
服があれば、あの女は元気になるんだ。
かえって来ない夫の事をぼんやりぼんやり思いながら村中の男に抱かれることも、俺みたいな、俺みたいな、死んだほうがいい、俺みたいな男に、強姦されなくて済む。
橘長者の一族の出で、教養もあって美に対するセンスもよくて、でも指先に神経が通ってなくて不器用で、手のひらを胸にあててくれた、そんな、きれいな、いい女が、俺みたいな奴に、服が欲しい、と言った。
じゃあ、服を、どんなことをしてでも手に入れないとだめだろうと思った、建。
短歌なんかどうでもいい。前回は、突然、まんこから短歌が出てきて、驚いただけだ。
短歌さえ捨てれば。短歌さえなければ、何も恐れることはない。
武器はないか。
さすがに、素手で人は殺せない。直刀は女の家に置きっぱなしだ。沢の周辺を見たら、小石ばかり。鈍器になりやしない。よく見れば小石はちょくちょく、謎のバランスで積まれている。
こんなもの、足に触れたら、川の水が増えたら、崩れるだろう。流されるだろう。まるで命じゃん。
「まんこを一度も見ないまま死ぬことになる」
老婆が、またはっきりとした口調で建に語り掛けてきた。
40間(72メートル)。この範囲に来ると、何か語り掛けてくるシステムなのか。老婆に問われ、建はふと足を止めてしまった。
「あ……」
老婆の後ろに、鹿がいた。
でかい鹿。前に見たことがある。
あの、武士に襲われたあと、川で身を清めている時に、「人まろ」の歌をつぶやいた、ちんちんみたいな角をした鹿。それが老婆に――お非違様に近づく。お非違様の手は鹿の角を撫でている。
あの鹿はなんだ。神か。鹿を手懐ける老婆は、やはり、巫女なのか。
「……見たことはあります。結婚してるし。さっきもみたし」
声に応えてしまった。殺そうとしたのに。
老婆は……お非違様は、建の方に向く。
脚を開いたまま、蹲踞の姿勢。瞳を真っすぐ、建に向けている。
その問いに促されるように、建は初めて自分が女性のまんこを見た時のことを思い出した。
・・・・・・・・・
旅立つ前、建は結婚した。
「染め部」の造に編入され、染め部の一族の女性と結婚することで、建は「赤染」の一員となる。
その女性は後家だった。
夫を数年前疫病で亡くしていた。子はなかった。
そんな女性を娶る男性はなかなかなかったところ、奴隷という、絶対にいろんな面倒事を断らなさそうな身分の建が編入されるとして、赤染一族はラッキーラッキーとみんな喜んだ。
さらにラッキーなのは、建は燕王公孫の血筋だというところで、それ、赤染の一族のルーツじゃんということでもあって。
染め部には「赤染徳足」という人物が、壬申の乱(飛鳥時代)っぽいころに出現していて功を為していたり、もっとさかのぼると公孫比善那という人物がいち早く百済からヤマトに渡来というか亡命し、帰化して、そこで初めて「赤染」を名乗った(名乗らされた)。
その公孫ナニガシもやはり、燕王の血筋を引いていると称しており、やんややんや漢土風を吹かせていたのだという。
なので、血筋の継続的にも建は赤染の姓がぴったりじゃんという事になり、これ、赤染が漢土とつながりがあるっていうのが、ヤマトの氏族争いで結構いいアピールポイントなのだ。だから、建、ものすごく優しくされて、歓待されて、後家を娶れ、娶んないと生きていけないよね感を出され、建はどうでもいいと思いながら結婚した。
それで、まんこを見ることになった。
「すみません……」
と、女が言う。
「子を残さないとなので。ヘノコさんをいただけますか」
結婚式が終わった夜、建が寝ていたところに、着ていただらんとした裳(も)を両手で開き、建の身体の上にやってきたのだ。
建は、まんこがあるらしい部分を見る。
「すみませんが、ヘノコさんを立てていただけないでしょうか」
ちんちんを立てろと言う。「ヘノコ」は、やや古風なちんちんの言い回しだった。
女は歳をとっていた。当時の感覚でいえば、中年くらいかもしれない。
女は本当に申し訳なさそうに、ずっと裳を開き、がに股で建のちんちんの上で待機していた。
「今日じゃないと駄目でしょうか」
建が敬語で語り掛ける。
女は、すごく申し訳なさそうに、そして、戸の向こうにも聞こえるよう、声を発する。
「しきたりでは、結婚初日の夜に、へのこさんをオソ(まんこ)に入れないといけないんです」
戸の向こうで気配がする。誰かが様子をうかがっている。結婚を仲介した赤染一族の使いの誰かが、二人の様子をうかがっている。
そういうものかーとぼんやりした。セックスした事実が必要なのか。一族を背負った結婚というものは。
別に、ちんちんを立ててもいい、と思った。ちんちんなんて、いつでも立つ。
建は何かをあきらめた。そして、集中した。ちんちんをたてよう。この結婚相手のために、一族のために。生活のために。生きていくために。ちんちん。
・・・・・・・・・・・・・・・・
そもそもセックスできるとは思っていなかった。奴隷だからだ。性欲はあった。美しい女官を見たら、あるいは、花を見たら、ちんちんが立つ。
常日頃、セックスしたいなと思ったし、誰もいない草原に花が咲いていて、その花にちんちんをくっつける遊びをしている最中、射精したことがあった。春と夏と秋、様々な花にちんちんをくっつける。
冬にはやらなかった。咲く花が少ないし、寒かったから。
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射精した後、暗記したはずの歌が何個か失われている感覚はあった。
なんか取り返そうと、いつも以上に短歌暗記(学而)と、学びて後の反復練習(時習之)を頑張ったりして。それが、まあ楽しかった(不亦説乎)んだけど。
ただ、本当にセックスしたら、短歌を詠めなくなるんじゃないかという不安もあった。
短歌奴隷として、大伴家持の隣に侍るということが、最初は別に何の感慨もなかったけど、だんだん、建にとって、やっと……「何かをしている」感というんだろうか。
家持の前で覚えた短歌を披露するたび、少しづつ、次はああしようとか、前回は家持がなんかピンときてなかったっぽいとか、そういうのが気になって、さらにさらに短歌を覚え、それを家持の前で発することに、没頭していく。
その没頭を、たかがセックスごときで、性欲ごときで失うのだけが、すこし、怖かった。
・・・・・・・・・・・・・
「ほんとうに、すみません」
赤染の女は、がに股から、ゆっくりと腰を下ろしていく。別にへのこは……ちんちんは、まだ立っていないのに。
明りはない邸宅。もともと女が住んでいた部屋。建はそこに、配置されるように寝かされている。
夜目が冴えて、それなりには姿かたちが見える。
でも、まんこのあたりは暗い。見えない。どうしてこんなに暗いのか。どうしてこんなに、光がないのか。
女は、まんこを闇に纏わせたまま、ゆっくりとちんちんの近くに着地させる。
そして指で、ちんちんをまんこの場所へと、動かそうと。
指が、水仕事で疲れた、その指の皺がちんちんに触れた瞬間、建は力を入った。ちんちんは、僅かに硬くなる。その硬さを受けて、女はちんちんを、自分の中にいれた。
「ああ」
その時女は、妻は、安心した顔をしたように見えた。
ずっと気を張ってたのかなあと、建は思った。
・・・・・・・・・・
翌々日。家持に呼び出されて家持の邸宅に向かう。
いつも通り、奴隷待機場所でぼんやりと座っていると、ふと、口をついて、歌が出た。
「よのなかはむなしきものとしるときし(余能奈可波牟奈之伎母乃等志流等伎子)」
えっ、て、思った。
「……いよよますますかなしかりけり(伊与余麻須万須加奈之可利家理)」
涙が出ていた。そのまま、最後まで口にしきると、涙の粒が床に落ちるのを感じた。
戸惑った。別にこの歌、いいとは全く思ってなかったからだ。
だから、覚え(学而)はしたが、まったく言の出し方の振りをつけていなかったし、反復練習(時習之)もしなかった。
この歌は大伴家持の父の、大伴旅人の歌だ。
「世の中は空しきものと知る時し」、この上の句の、まあ、前振りはまあいいとして、それを受ける「いよよますます」がかなり、歌としてはだめだ。「いよよ」も「ますます」も、二つ並べて使うような言葉じゃない。せめて片方、そしてせめて「いよよ」か「ますます」を、それ以外の言葉でそれを表現しなければ、歌にならない。
そしてその結末が「悲しかりけり」なんていう、あまりにも前振りの通りの、そのまんまの帰結に、詩歌である必然性が全くないと感じた。
つまらない。駄歌だ。何一つ面白くない。
これでは、短歌奴隷として、舞いようがない。こんな歌は、振り付けや発声を考えようもない。そんな歌はだめだ。
もし、これを発するとしても、ただの短歌の説明か、もしくは「悲しみ」を抽象的な置き換えでになってしまうしだろう。つまり、何でもありになっちゃう。短歌奴隷として、悲しみ表現のバリエーションをただ発してるだけになるのが目に見える。
ただ、悲しい、むなしいを、短歌という57577の音のシステムに当てはめただけ。教養のある貴族が作ったなんて思えない。言葉遊びを覚えたての、文化的に貧しい庶民が口にするようなつまらない歌。
なのに、なんで建、感情が動いてるんだろう。
この歌は、近親者の死の知らせを受けて作られたものだ。別に建は、誰に死なれたわけでもない。ただ昨日、はじめてセックスしただけ。つまらないセックスをしただけだ。人生ではじめてまんこを見ただけだ。そしてそこに、ちんちんを入れられただけだ。
なに一つ、良いことはない。生きていて何一つ、良いことはない。
死も、そうだろうか。
死ではない。あれはたぶん、セックスだった。だけど、死みたいだと、そう思った。そして、セックスにちょっとだけ、何かあるかもしれないと思っていたけれど、何もなかった。
あ、むなしいんだ、って思った時、いよよ、ますます、悲しい、と思ったんだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「まんこはその時、みました」
お非違様とちんちんの角を持った鹿が、こちらを見ている。
お非違様の目、よく見れば、瞳が三重になっている事に気づく。
「……お尋ねしたいのですが」
建は、年長者に礼するような形で、膝を折って、へりくだった。
そこは沢の中だった。川の水が、建の下衣に染み込む。
積まれた石たちが、建の周囲を囲んでいるようだった。
「ちんちんや、まんこを詠う短歌は、この世にないのでしょうか」
口から出たのはのは疑問だった。
知りたい。そんな短歌があれば、知りたい。
自分のこの感情は、私一つのものだけなのだろうか。それとも、もう過去に、誰かが知っていて、歌にもしてるくらい、ありふれて、誰もが手に触れていた、当たり前のものなのか。
つい一時前は、服を欲したキイコのことばかり考えていたが、お非違様に問われ、それに応える過程で思い出した短歌に引きずられるように、すがるように投げかけていた。
余能奈可波牟奈之伎母乃等志流等伎子伊与余麻須万須加奈之可利家理
世の中は空しきものと知る時し いよよますます悲しかりけり
(大伴旅人)
(つづく)
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