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強いて言えばヒューマニズム

 “持続可能な社会”

 そもそも、どうしてそんな事が言われるようになったのか?多くの日本人は理解できていないように思われる。

 盛者必衰が世の常である事が、学術的にも明らかになった。地球もまた、生物多様化と絶滅の雪崩を繰り返してきたのだ。そして、今、私達の生きている時代は、絶滅の雪崩期。

 人間は自然をなめてると思う。人間が自然を支配する事などできない。絶滅の雪崩は止められない。絶滅の雪崩があったからこそ、生物多様化の時代に人間が生まれてきたのだから。

 人間ができる事は、せいぜい絶滅の雪崩に巻き込まれないようにする事ぐらいだろう。動物愛護云々に呆れている。そんな事をするのは、自分から雪崩に向かって行くようなものだから。

 人間は人間を守らなければいけない。ならば、ヒューマニズムはどうだろう?私は一部の麻薬探知犬や盲導犬など人間に有用な動物以外は飼育しない、つまり、家畜(ペットは勿論、動物園、水族館、牛、豚、鶏、養殖魚等、食用まで)を禁じるべきだと思う。家畜も二酸化炭素を吐き出すのだから。

 バカらしい考え、と思われるだろうか。今は、そうかも知れない。長い年月がかかるだろう。

 熊や猿、鹿が人間社会を脅かすようになった。猟師が減ったからだ。日本は自然に恵まれている。一神教を信じる砂漠の民とは違う。ジビエや天然魚を食べればいい。

 他の文化圏に押し付ける事はできない。また、他の文化圏からとやかく言われる筋合いもない。鯨は牛よりタンパク質が多く脂肪が少ない。卵や乳製品が食べられなくなるが仕方ない。

 大胆な発想で強い覚悟を持って行わなければ成し遂げられない。これは、生き残りをかけた戦いなのだ。

 「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。」と、ダーウィンは言った。持続可能社会など現実的ではない。

 結論、未来のためにできることなど何も無い。まず、未来が当たり前にあると思うのを改めるべきだ。


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