コロナ前、わたしはなにをやってたんだろう 2020.5.10
コロナの自粛社会になってから、けっこう苦しかったりしません?みなさん。
明るく振る舞ってても、苦しかったり。
経済的にという意味ではなくて。
これまでの自分の生き方を、振り返らざるを得ないから、否が応でも向き合わなくてはいけないから。
もちろん、経済的な影響もあります。
持続化給付金ってやつに当てはまるのか、帳簿を見てみました。
1月、2月、3月、去年より売上伸びてました。けっこう私も頑張ってたのね。
4月、下がってる。5月、当てはまるかも。私がやっているような織物は、生活必需品というわけではないから、今のように生活するだけで大変な世の中では、みんな買えないよね。仕方ない。
でも、苦しい原因はそういうことではなくて。
今、子どもと過ごす時間がいつもより長くて。展示会もなくなり、仕事の締切にも追われてなくて。
私これまで、何やってたんだろ?って。
この疑問、一番怖いヤツです。
4歳の娘に、縫い物教えました。教えたら楽しそうにやってました。
8歳の息子にも一緒に教えました。初めて教えました。上手にできました。8歳の息子に、なんでこれまで教えなかったんだろう・・・
私これまで、いろんなこと子どもに教えたいと思いつつ、時間がなくてできない、仕事が忙しくてできない。と思って時が過ぎていきました。
うちはサトウキビ農家です。
夫が一人でやっているので、なるべく手伝いたいと思ってます。でも、織物の仕事が忙しいから。やることがたくさんあるから。畑に行くのは時々でした。
半日は畑、半日は織物の仕事、こんな暮らしが理想だなと思いつつ、時間に追われてなかなか畑に行けない日々。育つ雑草。
今年は展示会を京都以外にも数か所でツアーのようにやる予定でした。自分にハッパをかけるために、去年10月の展示会が終わるとすぐ今年の展示会の日程を決めて、それから内容は考えるような状態。
時には、先にゴールを決めて、それからやり方や内容を考えるなんてことも、ありだと思いますが、あまりにもそれが続くと精神的な負担になるんだと思う。
その間にも沖縄県の事業の2月のギフトショー、成果報告会などもあり、落ち着いて展示会について考えられるようになったのは、3月になってから。
もう2ヶ月前やん。
その頃にはコロナがジワジワ来ていて、展示会が開催できるか不安もあったけれど、それ以上に、ちゃんと展示会ができるほどの中身が準備できるのか、不安があった。
自分で設定した目標に、自分が追い詰められてるの図。
「思えばそれの繰り返しだったのかも。」って気付きました。
これって、怖いよね。
ここしばらく、ずっとそんなことをグルグル考えていましたが、言葉にできずに(せずに)いました。
思い返せば、私は宮古島のミサイル基地反対運動を初めてから、三上監督のドキュメンタリー映画に取り上げられたりした影響から、いろんなところから、講演で呼ばれたり、原稿依頼が来たりするようになった。その後議員にもなったので(10か月だけだけど)、そういうのが続いた。
その時は、お笑いの一発芸人みたいに、これも今だけだろうな、と思っていた。落選した時は、これで私をわざわざ呼ぶ人もいなくなるだろう、と思っていた。
その後ひっそりと本来やりたかった織物の仕事に戻ったつもりだったけど、宮古島の文化や手仕事と、基地問題を暮らしの視点から話してほしいと言ってくれる人がいたりして、それはとても嬉しかった。
もう自分は必要とされてないだろうし、これまでの期待に答えることもできないと思っていたので、今の本来の私のままでも、話を聞いてくれる人がいるんだーと、自分を許してもらったような気持ちになったんだと思う。
これで呼んでもらうのは最後だろうな、と思ったらまた次も決まったり、そんな繰り返しで、私は何か自分の存在を保っていたのかもしれない。
気付いたら今年は、展示会&お話会が、できる自信もないのに数件決まっていた。
今、全て延期になって、なんだかホッとした。こんな言い方は、とても失礼かもしれないけど。どの展示会も、とても素敵な場所で、素敵な人達とやる予定だった。だからとても楽しみだけど、不安だった。詰め込みすぎて。
今、先のゴールを気にせずに、
畑に行ける。
子どもと縫い物できる。
商品じゃないもの作れる。(ポジャギに挑戦したり)
商品でも、時間かけたもの作れる。織りたいもの織れる。
今羅列したこと、よく見てみてると、コロナじゃなくても、普段からやれたことじゃない?追い詰められていなければ。
今、自分の気持ちを正直にのぞいてみると、「ずっとこのままがいい」って思ってる自分がいる。
目標とかじゃなくて、あちこち飛び回るとかじゃなくて、ずっとここにいて、今やりたいことをやる。先のために何かするじゃなくて、今やりたいことをやる。
あー、なんて時間がのびのび感じるんだろう。
手帳が真っ白って、なんて開放感あるんだろう。
たぶん、また展示会とかやりたくなると思います。展示会やりたくないとか、お話会やりたくないってわけじゃありません。
作品がたくさんたまって、たくさんの人に見てほしいな〜!ってなったらやればいいし、その時は以外とすぐやってくるかもしれないし、数年後かもしれない。
「機が熟したら、やる」ってことですよね。(話したいことは、たぶんいつでもたくさんあるかも)
でも、展示会やるために作る!っていうのは違うんだって思いました。
なんか順番逆だったのね、私。
この気付きは、自分で認識するのが怖すぎて、しばらく蓋をしてました。たぶん、自分の恐怖心から出ている行動だったから、自分の恐怖心に向き合うことは怖いことです。
でも、ノビノビと広がる時間の中にいたら、毎日認識せざるを得ませんでした。
特に畑にいると、感じたかな。
今まで何やってたんだろう?って気付きに向き合うのは、苦しいけれど、言葉にしたら、少し軽くなれた気がする。
たぶんみんなそれぞれ、これまでの生活を変えることを余儀なくされて、「これまで何やってたんだろう?」って思う場面があるんじゃないかなと思う。そこで自分を責めたり、反省したり、落ち込んだりもあると思う。
これだけ世の中が過剰生産で、環境破壊してて、過剰労働で・・・ってことは、地球をいじめてたのはもちろん、それをやってたのは他でもない人間なんだから、私たち自身をもいじめていた、無理をしていたってことで。
だから、いろんなことがストップして、その止まらないレールから降りられて、どこかでホッとしている人がいっぱいいるのかもしれない。
自分はそんなレールに乗ってるつもりはなくて、自由に生きてるつもりでいても、この社会の一員である限り、社会の影響を受けないわけはない。
ストップした後、じゃあどう動き出すのか。またそのレールに乗るわけはなくて、どんな風にわたしは動くのか、踊るのか、ひとりひとりの模索の旅が始まる。
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