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怒られるうちが花

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 「怒られるうちが花」という言葉がありますね。良い意味でも悪い意味でも、人から怒られるということは、人が関心を持ってくれているということです。誰も関心を向けてくれなくなると、怒られることさえありません。

 人から注意されたり、細かいことを指導されたり、批判じみたことを言われた時は、むきになってやり返していると、誰も注意をしてくれなくなります。注意することがあっても、心の中で思っているだけになります。また陰で悪口をいうことになります。本文の通りです。

 人は自分のことが分からないものです。人が自分のことを知るための最も良い方法が、関係のある身近な人の反応や言葉や態度です。関わりのある相手が鏡となって自分が映し出されるのです。映し出される姿が相手の反応や言葉や態度なのです。

 ですから関わりのある相手が何も反応してくれなかったら、人は自分が分からなくなり、独り善がりになって、周りから浮いた存在になってしまいます。

 ですから進言してくれた人の気持ちはどうであれ、進言してくれることに感謝する必要があります。感謝で受け取ることによって、その進言が自分のものとなって、自分の成長に役立っていくからです。

 日本人の好きな諺に「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というのがあります。「頭を垂れる」というのは、批判されたとしても感情的に反論せずに、批判を感謝して受け止め、その中で自分の成長に役立つ言葉は受け入れ、役立たない言葉はそのままスルーしてしまうということでしょう。

 人からあれこれ批判されたとしても、その批判は単にその人の考えであり、その人が語った情報にしかすぎません。つまり人の批判は、私たちがそれを受け入れてしまわない限り、私たちを傷つけることは決してありません。その批判を受け入れるかどうかの判断は、私たちの自由です。自分自身に役立つかどうかを基準にして判断すればいいのです。

***参照聖句***
イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が来ることは避けられない。しかし、それをきたらせる者は、わざわいである。…」ルカ17章1節

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