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仕事の本質の回復

 聖書では「仕事とは神によって与えられたもの」です。

**「主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。」創世記2章15節**


 これが仕事の始まりです。神様は人をエデンの園に住まわせ、そこを耕させ、管理させたのです。人はその仕事を喜び、仕事を通して人生の目的を果たし、充実感をもって生きていたことでしょう。

しかし彼らに変化が起こりました。それはサタンに誘惑され、彼らは神を排除して生きていく決断をしてしまったのです。これが聖書が語る「罪」です。人が神を排除したことによって、全ての秩序が崩れてしまったのです。結果、仕事が変質してしまいました。聖書はこう記しています。


**更に人に言われた、「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、/地はあなたのためにのろわれ、/あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、/あなたは野の草を食べるであろう。あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、/あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。創世記3章17-19節**


 罪の結果、仕事が働いても働いても報われない苦役となり、そこに喜びや人生の目的を見いだせず、苦役をこなしながら人生を終わることになってしまうと聖書は語っています。ここから苦役と化した多種多様の仕事が世界にあふれることになったのです。

 キリスト教の救いは、神と人との関係を回復することによって、仕事を元の秩序に戻し、仕事の本質を回復することも含みます。つまり、食べるためだけにする仕事でなく、仕事を通して目的を果たしていくことも回復するのです。

 上記の「耕す」という言葉は、英語でいうと「Culture(カルチャー)」。文化です。これは意味深長です。仕事とは「耕す」ことなのです。仕事を通して何を耕すのでしょうか。

①自分自身を耕し、能力を開発し、人生の可能性を広げる。
②家族の幸せを耕し喜びの実を結ぶ。
③社会貢献を耕し、神が喜ばれる文化(互いに愛し合い、祝福し合う)の花を咲かせる

 少々堅苦しい文章になっちゃいましたね。平たくいえば…

①あなたは仕事を通して何を実現したいのですか?
②あなたは仕事を通して誰を幸せにしたいのですか?
③あなたは仕事を通して社会にどんな貢献をしたいのですか?

ということですね。

 ですから、どんな職業に就くか以上に、どういう心で仕事に取り組むかが重要になってきます。社会正義に反しない限り、どんな仕事も自己実現の場であり、身近な人々を幸せにするツールであり、社会貢献するツールであり、神の栄光を現す場所だからです。


**参照聖句**
そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい。1テサロニケ4章11節

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