『僕は秋子に借りがある』 森博嗣

森博嗣の自薦短編集『僕は秋子に借りがある』の一編を読んだ記録として。

今回は短編の2つ目に収録されている「小鳥の恩返し」

 この物語は個人病院に勤める父親が殺され、その跡を継ぐことになった清文という男性医師が主人公である。
清文は父の跡を継ぐことになったタイミングで、もともとその病院に勤めていた綾子という女性看護師と結婚する。この結婚については清文は、

短期間に急変した「生活の断層」に生じた僅かな隙間を埋めようとする防衛行為であった、と自己診断していた。

 その結婚から数ヶ月経ったある日、綾子が小鳥を飼っているのに清文は気づいた。いつにまに買ってきたのかと清文は思ったが、買ったのではなく彼の父が殺された現場に残されていた、逃げた犯人の持ち物であった小鳥を保護したのだと綾子は言う。そのうち、清文も小鳥の面倒をみるようになって可愛がるようになっていた。
 そんな折、夫婦二人での外出からの帰宅途中、見窄らしい風貌の女に声をかけられた。その女は幼い子供を連れており、どうしても清文と話がしたいと近づいてきた。清文は訝しく思ったが、彼女の見窄らしい格好とは反対に礼儀正しく、理知的な喋り方に警戒を解いた。話を聞いてみると、その女は自分の夫が、清文の父を殺して現場から逃げ出した行方不明中の男かもしれないという話をしてきた。そして今清文たちが世話をしている小鳥は、その男が殺人事件当日に、酔っ払って自らの子供から取り上げた小鳥だという。
清文は返そうとしたが、今の生活では十分に面倒を見れないという理由でそのまま預かって世話をすることになったが、その母子にはいつでも見にきていいよと提案したのだった。
 その数年後、清文は小鳥を買い続けていたがある日突然小鳥が逃げだしてしまった。それからさらに数年が経ったある日、若い見習いの看護師である美帆という女性が病院で働くようになった。清文は彼女を初めて見たとき、白い肌に、唇だけほんのり赤い姿にあの小鳥みたいだなと突飛な発想が浮かんだ。美帆はいつも楽しそうに仕事をして、よく気がつきテキパキとこなす愛らしい人物だった。そんな彼女はある日突拍子のないことを言い始めたのである。

「私、ついこのまえまで、鳥だったんですよ」
「え? 何だって?」
「小鳥です」白い歯を見せて美帆は微笑む。真っ直ぐに清文を見つめていた。
「小鳥……って?」
「先生にお世話していただきました」

「ええ。私が実は鳥だってこと、誰にもおっしゃらないで下さいね」

この数年後、清文の妻、綾子は病で床に伏せっていた。
病室で珍しく弱音を吐く綾子に、彼は思わず小鳥の秘密を漏らしてしまった。
間もなくして綾子が亡くなると、美帆が深刻な顔をして清文のもとへ辞職の意を伝えにきた。

そこで美帆の口から全ての真相が語られることとなる。
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 この短編集は、とても不思議な読後感に浸れる作品だと思う。
殺人事件が起きるストーリーでありながら、どこか清涼さを感じる不思議なミステリーである。登場人物のなかに憎悪や嫉妬という人間のどろどろした感情が見える場面があまりない。どこか淡々としていて、さらっとしているが、読後にゾクっとするような不思議な感覚に陥る。それがまた奇妙で、クセになるような作品である。
 どこかの作品レビューでみた、「顔に冷たいガラスを押さえつけられた」ような感覚という表現にとても共感した。透明ですっと消えてしまうような世界の中に、ひんやりとした冷たさを感じるような。

 森博嗣の世界観、感性がやはり好きだと再確認する作品でした。
 

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