国立新美術館「イヴ・サンローラン展」
残暑厳しい秋のある日、国立新美術館で開催中の「イヴ・サンローラン展」へ行ってきました。
今、当たり前のように女性たちが働きやすく、実用的でエレガントなファッションが着られるようになった背景にはイヴ・サンローランのモード革命があったからこそだと、展覧会で彼が社会に与えた絶大な影響の大きさを初めて知り、自分の無知さに肩をすくめたい気持ちになりました。
彼がいかにして40年間、モードの帝王になりえたのか、その秘密を紐解いていきたいと思います。
才能の誕生
1936年、イヴ・サンローランはフランス領アルジェリアの保険会社で働くフランス人両親の比較的裕福な家庭に生まれました。10代のころ、パリの17区に引っ越し。
1953年、17歳の時、ファッションデザイナー養成校、パリ・クチュール組合学校に入学します。
IWS主催のデザインコンクール、ドレス部門でカクテルドレスを発表、最優秀賞を獲得しました。ちなみにその時、縫製を担当したのが、のちにジバンシィを設立したユーベル・ド・ジバンシィ、毛皮部門の優勝者はのちにシャネルのデザイナーとなったカール・ラガーフェルドでした。コンクールの審査員だったVOGUEのディレクター、ミッシェル・デブリュノフ氏の紹介でクリスチャン・ディオールと出会います。当時のクリスチャン・ディオールは独創的で想像力に富んだデザインを見て「彼は特別な才能です。私は彼に認められたい」と言わしめたほど。
18歳の時、クリスチャン・ディオールの店舗に入店、デシナトゥール(下絵描き)を担当するところからキャリアをスタートさせました。
1957年、大きな転機が訪れます。クリスチャン・ディオール氏が急逝し、彼の遺志でイヴ・サンローランが後継者となりました。まだ若干21歳。
1958年、世界的メゾンを任された大きなプレッシャーにさいなまれながらも新作を発表。膝が隠れるぐらいの丈で台形型のシルエット「トラペーズライン」と呼ばれるスタイルを成功させました。当時のフランスは新聞で「イヴサンローランはフランスを救った。偉大なるディオールの伝統は続く」と高く評価しています。
1958年、最後のオート・クチュリエと呼ばれたイヴ・サンローランはニーマン・マーカス賞を受賞しました。
1960年、アルジェリア独立戦争に徴兵され心身の不調をきたしたイヴ・サンローランは入営中にディオールを退社します。
初のオートクチュールコレクション
1962年、フランス、パリのスポンティーニに自身のブランド「イヴ・サンローラン」を設立しました。
エレガントでシックなデザインのオートクチュールは当初、成功を収めましたが、やがて経営危機が訪れます。腕利きの広報、ピエール・ベルジェの助けもありプレタ・ポルテ中心の戦略で危機を脱しました。その後、ピエール・ベルジェとは公私ともに50年以上パートナーであり続け、世界的ハイブランドへの躍進が始まるのです。
アーティストへのオマージュ
1965年、アートとファッションを融合した「モンドリアン・コレクション」。今でこそアートとファッションの融合は当たり前に行われていますが、当時は画期的な試みでした。オランダの抽象画家、ピエト・モンドリアンの作品のように、レッド、ブルー、イエローのパズルを組み合わせたようなワンピースはファッションの潮流を大きく変えた一枚となります。
イヴ・サンローランのスタイル アイコニックな作品
1966年、オーダーメイドの高級服を扱うオートクチュールが主流だった中、パリのサン=ジェルマン・デ・プレ地区、トゥルノン通りにプレタポルテのブランド「イヴサンローラン リブゴーシュ」をオープン。ブルジョア社会のラグジュアリーで特権階級世界に縛られたファッションから解放する流れを作り、働く女性たちから圧倒的な支持を得、魅惑的で自立した女性の表現を一貫して貫きました。
そのころ、時代は第二波フェミニズム運動の最盛期に突入し、イヴサンローランも当時の時代精神に対するオマージュ的なコレクションを発表します。
同年、女性のための男性服「Le Smoking」を発表。当時、人前で男性服を着るのには抵抗があり物議を醸した時代。ナン・ケンプラーがタキシードスーツを着てNYの「ル・コーテ・バスク」に入店を拒まれる、というそんな時代でした。イヴ・サンローランは「女性にも男性にも基本的なワードローブを持ってほしかった」と女性が葉巻を吸ったときに灰を滑り落ちやすくするため、タキシードの襟にはサテン生地を採用。ファッションは自己顕示主義ではなく男女平等を訴え「彼は比類なき自信と無頓着なまでの華やかさ、下品ではない性的魅力をもたらした」と評され、ランウエイにはノーブラのきわどいファッションが登場し”性の自由”という新しい時代のムードが溢れました。
1990年代に入るとそれまでも多様性を賛美していましたがランウエイではナオミキャンベルをはじめとする有色人種を積極的にモデルとして採用しました。
舞台芸術
舞台芸術に魅了されたイヴ・サンローランは劇場、バレエ、映画の為にも多く衣装を製作しています。ルイス・ブニュエル監督のフランス映画「昼顔」ではカトリーヌ・ドヌーヴのための白襟、白カフスのワンピースを手がけ、個人的にはこのデザインがとても好きでした。
2002年、パリ・オートクチュールコレクションで引退。
2008年、がんのため71歳で逝去。
イヴ・サンローランの名言
「ファッションは時代遅れになるが、スタイルは永遠になる」
あくまで推測ですが、女性解放運動が盛んだった1960~70年代にかけてもしかしたらデモに参加して大声で叫ぶつもりはないけれど、やはり自分たちを取り巻く現状を何とかしたい、と潜在的に思っていた女性たちの心をとらえたのではないでしょうか。既成権威から押しつけられるティピカルな価値観に疑問をぶつけたいけれど大々的に真正面から戦うほど勇気がない、でもその意思を示したファッションを身につけることなら私にもできる、と。
私たちが今でこそ当たり前にパンツをはいている状況は、イブ・サンローランをはじめとするファッションの革命児たちが既成概念にとらわれず男女の平等を表現してきたこと、女性解放運動の時代の流れにうまく乗ったこと、それが女性たちに支持されたことが背景にある、と知り、この展覧会を見た意義を改めてかみしめたのでした。
イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル
2023年9月20日(水) ~ 2023年12月11日(月)
毎週火曜日休館
開館時間
10:00~18:00
※毎週金・土曜日は20:00まで
※入場は閉館の30分前まで
会場
国立新美術館 企画展示室1E
〒106-8558東京都港区六本木7-22-2
▼本場パリでもっとイブ・サンローランについて知りたい!という方は
Musée Yves Saint Laurent(イヴ・サンローラン美術館)
5 avenue Marceau 75116 Paris
▼イヴ・サンローランの人生を描いたフランス映画もあります
https://youtu.be/9ZjmcGBErK8?si=0tCOqVz8gJiSbNKE