日本の左派系政党が衰退する理由(下)
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似て非なる「社会主義」と「社会民主主義」
「社会主義」と言った場合、それはマルクス主義から始まる思想をベースに、暴力革命を目指すものである事が多く、「共産主義」ともほぼ同じ意味合いで使われたりもする。
各国の共産党が建てた国家が「共産主義国」ではなく「社会主義国」を名乗る辺りにも、両者の質的な近さ、包含関係が現れている。
だが、「社会主義的主張を行うが、共産主義には賛同しない」と言う勢力がいる。
それが「社会民主主義」勢力だ。
共産主義者は共産主義の実現に、暴力革命を必然としている。
「共産主義に至る為には、暴力革命が”あっても良い”」
ではなく、
「共産主義に至る為には、暴力主義が”無ければならない”」
と言っているのだ。
社会民主主義者は、この暴力革命を否定し、共産主義的な各種イデオロギーにも否定的だ。
社会主義で語られる多くの政治的目標には賛同するが、それは「民主主義、自由主義の中で、議会を通じてなされるべきだ」と考える。
非常に穏当な主張であるし、社会主義や共産主義への懸念を強く持つ人でも、社会民主主義者となら議論が出来そうに思えるのではないだろうか?
実は、民主主義国家の中で誕生した社会党は、基本的に社会民主主義をベースにしている。
そして、共産主義革命を否定し、共産党的イデオロギーの多くを否定する為、昔から共産圏とは距離を取っていた。
各国社会党の国際的な連携組織として、社会主義インターナショナルが存在する。
この社会主義インターナショナルは共産圏内で発生する非民主的な武力行使を批判するのが当たり前だった。
社会主義インターナショナル加盟政党でありながら、継続的に共産圏へのシンパシーを抱いていたのが日本社会党だ。
社会主義インターナショナルの中でも異質の存在と言える。
日本人への解説だとどうしても「日本社会党などの社会主義政党が集まった国際組織」となる為、その性質を誤解しやすくなってしまうが、決して「日本社会党的政党の国際組織」ではない。
政治評論家の屋山太郎氏(昔はよく、ビートたけしのTVタックルに出演していた)が社会主義インターナショナルに関して語ったエピソードとして以下のようなものがある。
1966年、社会主義インターナショナルを取材していた屋山氏は、休憩中に記者室を訪れた社会主義インターナショナル会長から「日本社会党は社会主義インターナショナルに参加する資格が無い事を伝えてくれ」と言われた。
理由を問うと、革命を目指す共産党は社会主義インターナショナルの敵であり、その敵と常時組んでいる政党には参加資格が無いからだと説明されたと言う。
このエピソードは当時の日本社会党の立ち位置を良く表している。
ソ連や中国、東欧諸国には頻繁に友好訪問を繰り返しながら、アメリカとは非常に大きく距離を取り続けた。1957年から1975年の18年もの間、日本社会党はアメリカに議員団派遣を行わなかったほどだ。
世界標準の社会党が民主主義・自由主義の守護者であらんとしている最中、日本社会党はずっと反米であり続け、一歩進んで共産圏に寄り添おうと必死だった。
※社会主義インターナショナル全般も外国政府への力による介入に否定的と言う意味で反米的なところはある。それでも、日本社会党の反米レベルはそれより数段違う。
一応、付け加えておくが、日本社会党に社会民主主義的スタンスを志向する勢力がいなかった訳では無い。
だが、社会主義的思想でまとまっている風でいて、その実、政治スタンスの違いからに日本社会党内で内部闘争が収まる事は無かった。
元々、日本社会党は社会主義系3党の寄り合い所帯からスタートしていて、政治理念を細部まで詰めて無理やり一本化しようとすれば直ぐに瓦解しそうな脆さを持っていた。
実際、反共産主義的立場を取った勢力は後に離党し、民社党となっている。
民社党に参加した議員たちは、社会党内で一番「社会民主主義」を推進していた勢力だ。
初期は社会民主主義を強く推す勢力が優勢だったが、民社党を作る議員たちの離党によって、党内における「社会民主主義」と「マルクス主義」との綱引きは膠着状態に陥る。
このような経緯で、民主主義的国家の社会主義政党との相性が良いはずの「社会民主主義」を、日本社会党は前面に強く打ち出し、国民にアピールする事が難しい状態にあったのだ。
社会主義国の非民主的行為に対する日本社会党の欺瞞的体質
チェコスロバキアと言う国があった。今はチェコとスロバキアに分かれてる。プラハはチェコスロバキア(現在はチェコ)の首都だった。
東欧の中にあって、チェコスロバキアは国民に各種自由権を拡大する方向に舵を切った。社会主義国家は国民の完全統制を当然視する体制の為、ソ連はこれにいら立つ。そうして起こったのが「プラハの春」だ。
自由化改革を実力で妨害する為に、ソ連が中心となり東欧軍事同盟参加国から軍隊を集め、チェコに侵攻し、軍事力によってチェコスロバキアの政治方針を無理やり転向させたのだ。
社会主義インターナショナルは当然激しい非難を行った。日本社会党もこれに倣った。ただし、日本社会党の左派勢力(より共産圏に近い立場)の理論研究集団である社会主義協会はソ連への理解をわざわざ示した。
社会党内左派は左派内でも更に党派争いを行い、対立軸として親ソ連、親中国を活用した。「アイツらが親ソ連で行くなら、俺たちは親中国だ」と言う具合だ。
このような連中を内部に置いている日本社会党が、東側諸国の非民主的行い、人権蹂躙に対し、毅然とした態度で強烈に非難する事など到底出来る訳が無かったのだ。
もっと言えば、日本社会党は北朝鮮にすら一貫して友好的な態度を見せ続けていたのだ。
拉致問題と日本社会党
日本で拉致問題が認識され出した初期の頃と言うと、日本政府はアジア諸国に対して第二次大戦の反省を理由に常に低姿勢を取る事を野党・マスコミから求められていた。
友好親善を求めるだけならまだ分かるが、明らかに相手国の反応に問題があって外交が上手く行かない場合であっても、日本のマスコミは日本政府だけを叩くのが常だった。
この結果として、左派政党だけでなく自民党内にも一党独裁で軍事色の強い北朝鮮との関係ですら、無条件で友好親善を図り、二国間関係を傷付けるような振る舞いは一切認めない勢力がいた。
行方不明になった家族が北朝鮮に誘拐されたのかも知れないと知った人達は、各政党に対し働き掛けを行ったが色よい返事をしてくれる所は一つも無かった。
日本社会党に対しては、北朝鮮にいる家族から国際郵便で届いた手紙(これは第三国で投函されたもの。状況的に当人ではなく、当人に依頼され北朝鮮当局にバレないよう投函してくれたのだと推測される)を見せて協力を仰いだが、ここでも断られる。断るだけではなく、この時提示された手紙をコピーし、それを北朝鮮に照会して「こういう話があるのだけれど」と問い合わせたと言う。
当時は北朝鮮側が拉致問題など全く認めてなかった時代だ。詳しい情報も無いままこのような問い合わせを行えばどうなるか?日本に帰る事も家族と連絡を取る事も許されない環境に長年おいておかれた日本人が、密かに家族へ接触しようとした事が伝わったのだ。これが露見すれば国際社会、特に民主主義国家との関係を極めて悪化させてしまうのが明白だ。
北朝鮮にとって一番簡単な対処法は、全てを握りつぶす事だ。「そのような者は北朝鮮にいた事が無い」で押し通す。これがコスト面でもリスク管理の面でも一番楽だ。そして、幾ら北朝鮮領内で探そうとしたところで絶対に見つからない状態にしてしまえば良い。それは結局何を意味するか?
彼らは人民の人権よりも、首領様の国際的体面こそが何より大事な国なのだ。つまり……そういう短絡的な”解決策”を取る可能性が非常に高いと言う話だ。
私はこの時家族に手紙を送った日本人がまだ生きている前提で、日本への早期帰還を求める家族会の皆さんの活動を支持する立場だ。
心から生きていて欲しいと願っている。
ただ、私がそう願う事とは別に、日本社会党の行った行為は深い考えも無く当該日本人の生命を脅かす行為であり、助けを求めた家族たちへの裏切り以外の何物でもない。
彼が生きていた場合でも、日本社会党の取った対応の問題点が消える事は絶対に無い。そういう指摘を行っている。
ただ、拉致問題発生から時間が相当経った事で、この事実を正しく記憶している人もかなり少なくなってしまっているだろう。
そもそも、拉致問題が表に出るまでに政治家との間でどのような事があったのか?はマスコミで大きく深掘りされる機会は多くなかった。
大きく扱えば、親北朝鮮の立場を鮮明にして来た左派政党と、自民党内で親米と親ソ連・中国・北朝鮮のバランスを取ろうとする勢力の大きな失点を国民に知らしめる事になってしまう。
ちなみに、自民党内の上記バランス派はハト派と称される。対する明確な親米重視派はタカ派だ。
タカ派は自主防衛の重要性を説き、その為にも憲法改正を求める勢力でもあり、一方でハト派は左派政党やマスコミへの同調を見せ、憲法改正を先送りし、自主防衛議論においてもタカ派的主張を「まぁまぁ」と抑制する役回りに終始していた。
こう言った事情から、日本のマスコミはタカ派批判、ハト派好意的評価のスタンスを当然のものとして来た。
何となくで話を聞いてると、より平和を大事にしたがってるような素振りに見える勢力こそが、守るべき国民に対し一番冷淡な顔を見せている。
「自国民の生命・財産を如何に守るか?」と言う問題に「非武装中立にしていれば、他国もそんな酷い事はしないはず」とナメた事を抜かす国会議員を「平和主義」的だとマスコミが持て囃した結果、実際に日本国内にいながら拉致され、人権を守ってもらえなかった人達が拉致被害者だ。
拉致問題にきちんと向き合ったなら、空疎であるばかりで現実の治安にも問題を引き起こす「平和主義」などを信奉出来る訳が無い。
自称「平和主義者」たちに、国民を守る能力など無いのが現実なのだ。
ソ連、中国、北朝鮮。
何方も非民主的で国民弾圧を厭わない政治体制だった国々に対し、極端なまでに阿(おもね)る姿勢を見せる集団が、日本社会党の政治理論を構築する一勢力として存在していた。
民主国家の政党として、何を重視すべきかが分からないだけでなく、現実世界で何が起こっているのかすら見えていない。
いや、「見たくないものは見ようとしない、知りたくないものは知ろうとしない」を貫き通した結果と言う方が、日本社会党の実態に近いかも知れない。
日本の左派政党の特徴
まず、「現実」が見えていない。
一貫して空疎な「平和主義」
左派政党は基本的に「平和主義」を強く、大きく掲げる。
だが、現実の見えない「平和主義」に、世界を実際に平和へ導く力など無い。
彼らの唱える「平和主義」とは
「とにかく日本が悪う御座いました、許してつかあさい」
と全世界に向けて土下座する所から始まる。
日本周辺の軍事大国、国力に比べて異常なまでに軍事力を増強する国々を真正面から捉える事をせず、
「日本さえ何もしなければ、世界の平和は保たれる」
と信じている。
非論理の極みだ。
今の若い人だと余りイメージが無いかも知れない。
だが、1980年代、1990年代ですら、日本の総理大臣、外務大臣が近隣のアジア諸国を訪問するとなれば、必ず
「どのような謝罪の言葉を伝えるつもりか?」
が問われた。
戦後30年、40年経った頃に、第二次大戦を振り返って謝罪の言葉から相手に伝えるべきだと野党、マスコミは毎度大騒ぎしていたのだ。
別に第二次大戦で日本軍が戦地とした国々に対し、「謝る筋合いなど無い」と開き直れなんて言う気は無い。
戦火に巻き込まれる以外でも間接的に多種多様な損害を被った人は多いだろう。そのような方々に対し、慰撫する為の言葉は外交的にも当然意味がある。
だが、既に二国間関係を回復してから相当な年月の経った相手国の立場を考えても、日本からの謝罪を貰いたくて首脳外交を行おうとしてる訳じゃないのは明らかだ(一部、特殊な事例は除く)。
相手国側だって世代が代わり、戦時の記憶の無い世代が社会の中心となるくらいに時間が経っている。
もっと言えば、第二次大戦後に植民地からの独立の為や別の理由で戦争を経験してる国だってある訳で、とにかく日本の視点を優先し、第二次大戦時の反省ばかりを語りたがる姿勢を前面に出すのは、自分本位で相手の気持ちを蔑(ないがし)ろにしているのと実は変わらない。
「傲慢さの発露としての謝罪」と言う、謝罪の本来的な意味を失わせる行為になってしまうのだ。
そして実際、マレーシアの首相を務めたマハティール氏は、日本からの謝罪外交に関して問われた際に、植民地支配を行った事のあるヨーロッパ諸国を挙げ、過去の事を問題とするならマレーシアはイギリス、オランダ、ポルトガルと話が出来なくなるとの表現で、過去に囚われる不毛さを語っている。
実際問題、「日本が他国に謝罪する事」を「平和主義」的な行為として見ている人達は、「他国の国民がそれをどう受け止めるか?」など深くは考えていない。
自分達が主導し「日本国として誠心誠意誤らせることが出来たならば、それは必ず好意的に受け止められるはずだ」と確信するのは、彼らの傲慢さの為せる業だ。
彼らは自分達の脳内にある「平和を実現する方法」を絶対的な価値あるものと信奉し、日本政府がそれを実践する事だけを要求してるのだ。
相手国ではなく、自分達の為にこのような行為を求めている。
だから、当然のように、繰り返される謝罪に対し、相手国がどう受け止めるか?の問いを持ち得なくなる。
「自分達の考える平和の在り方」を相手国にゴリ押ししている自分に気付けない。
そして、当然のことながら、このような態度で始まる謝罪攻勢で生まれる平和などありはしない。
実際、彼らの「日本はとにかく謝罪しなければ」との思いに対し、その謝罪を利用したい人達だけが接近し、協力関係を持つようになっている。
別に信じるだけなら何を信じようがその人の自由だ。
そして、それがイデオロギー、政治思想と言うものだ。
客観的で論理的な正しさを証明できないものでも、それを信じる事自体は他者から禁止されない。
誰かに対する差別表現や誹謗中傷を含んでいたり、その内容が社会的に容認されない問題を孕んでいるような場合を除けば、それを広め、信奉者を増やそうとする事も禁止させる事は出来ない。
ただ、実際問題、現実の平和構築に何ら役に立たない平和主義を唱える人に対して、それが如何にくだらない主張なのかを言葉を尽くして批判する権利もある。
そして、私はその権利を行使したいだけなのだ。
彼らはこう言った自らの批判勢力をありのまま捉える事も非常に苦手だ。
「平和を望む私たちの活動を妨害するんだから、平和を望まない人に違いない」
こういう形式の誤認を起こす。
非常に論理性に対して弱いのだ。
論理性に強かったら、そもそも平和実現と何らの関係も無いような主張に拘泥する訳が無いので、当たり前と言えば当たり前の事かも知れない。
「資本主義」への嫌悪
マルクス主義に傾倒している人が相当割合いる為、「貧富の格差」を絶対的に許せない。
そして、そこを突きぬけて「資本主義」そのものを嫌悪する議員が少なくない。
直接的に経済活動を破壊しよう、などとはならないが、この傾向を持つ人達が安易に信じてしまう言説が幾つかある。
世界は持続的な経済発展の限界を迎えつつある
日本はもう経済発展出来ない
日本円が安くなっているのは日本経済破綻の予兆
増税しなければ政府債務が膨らんでハイパーインフレになる
全て虚言だ。
資本主義への疑義を先入観として持った上で、妥当性のまるでない経済論評を見聞きして、分かった気になった議員たちがこれらのしょうもない主張を信じ込み、拡散するのだ。
日本に限らず、何処の国でも経済的に余り恵まれてない層が国内の左派的経済主張を行う人達に扇動され、自国の経済発展を現実に難しくなる主張に流される事はままある話だ。
「資本主義の限界」的な話、「経済格差を根本的に無くす」的な過激主張は自由主義経済への嫌悪と統制経済の優位性を信じている、もしくはその系譜にあった言説に影響されている可能性が高い。
政策ではない「反自民」と言う御旗で自縄自縛
左派政党が実現可能性から遊離して、政治的イデオロギーを振り回すようになると、結果として自民党が得をするようになる。
何故か?
それは自民党が現実政党だからだ。
社会党が実現可能性なんか考慮せず、好き勝手主義主張を並べている時、自民党はどうすれば政策実現可能となるかを進めていた。
既に左派的イデオロギーに染まっている人は自民党が何をやろうが評価しないで固まるだろうが、それ以外の国民には政策実現がなされる程に国会が仕事をしたと認識する。
実は、国会における成立法案の多くは与野党の政策協議を経て成立している。全政党賛成の全会一致で成立する法案も少なくない。
だが、これだと左派系野党は存在感を示せない。
そこで、左派系政党は成立を絶対に認めない徹底抗戦の法律案を決めて、そこで与野党対立の構図を大きくアピールする。
実際問題、イデオロギー的に許せない法案は常にあるものだから、それが成立に向けて一歩も進ませない事、廃案になる事を目標として、非生産的行為に明け暮れる事になる。
国会で何を話し合い、どのように日程を組むのか?は与野党の折衝によって決められる。それが各党の国会対策委員の役割だ。
その中でも、与党自民党と最大野党・日本社会党の国会対策委員長同士の会談こそが、重要な意味を持っている。
懸案となっている法案審議をどうするのか、予算案成立が何時頃になるのか、そういう細かな目標は国会対策委員長会談によってほぼ決まっている。
そして、自民党側は予め野党側に花を持たせるよう、譲歩するのが定例だ。
野党が絶対的に成立を認めない法案でも、自民党がどうしても必要だと考えるならば、反対を押し切って自民党単独賛成でも成立を決める。
この成立日を予め決めた上で、そこに至る数日を野党の見せ場として提供するのだ。
「法案批判、自民党批判、何でもどうぞ。
但し、○○日には法案を通します」
そういう国対会談の結果を受けて、野党側のアピール合戦が始まる。
国民からの反発が大きな法案だと、次の国会まで持ち越しにするなど、機が熟するまで「吊るす」事も多くある。
※吊るす:継続審理とする事。何もしないと提出されたが成立まで至らなかった法案は廃案となってしまい、また成立を期すなら法案提出から始め、議論を最初から積み上げなければならない。そういう事を避ける為、議論の状況も含め次に開かれる国会へ持って行く為に「継続審理」の手続きを行う。
国対の手打ちを経た上で、国民へ向けたパフォーマンスだけやったり、政治的立場を同じくする熱烈な支持層(多くは労働組合、市民運動団体)を動員し、またマスコミがこういった反対決起集会を報道する事で、
「詳しい事は良く分からないけれど、自民党が通そうとしている法案は良くないのね」
とふわっとした印象を持つ層が一定数出来上がる。
一方で、こういう情報を逐一追う事の出来ないほど、日々の仕事に追われている層には、パフォーマンスだけの口先政党にしか映らない。
「大きな枠組みで自らの政治的イデオロギーをそのまま語り、それへの同調者をどのように増やしていくか?」
の長期ビジョンが見えず、個別政策で抵抗するばかりでは
「”自民党”の反対勢力」
との印象が中心になるのは必然だと言える。
「反自民」は政策では無いのだ。
だが、「反自民」を除いて野党同士で政策協議しようにも、基本的に野党同士も折り合いが悪い。
政治思想、それを実現する為の法改正や成立を目指す法律案など、この部分で擦り合わせが出来るのならば、最初から一つの政党になってる。
結局、「反自民」以外の共通項を見出せないが為、野党は「反対の為の反対」を見せるだけの「反自民勢力」の座で満足するより無かったのだ。
更に、野党が「反自民」中心で国会対策を考えている間、自民党が多くの分野で実現可能な政策なら何でも実現させようと行動を起こす事で、「自民党は一人だけ、より現実路線を突き進む」事になった。
つまり、あらゆる政治分野において何でも屋化したのだ。
そうして、左派的政策でも実現可能の政策ならば自民党が実現してくれると言う事で、政治的には左派的でもより現実的な立場を取る人材が国政へ転身しようとする際、自民党がその受け皿となり得るのだ。
ここまで行くと、野党の存在意義は本当にイデオロギー的な「とにもかくにも反自民」しか残らなくなっていく。
事ここに至って、左派系政党が衰退するのは歴史的必然となる。
「どうして日本社会党が最大政党になれなかったのか?」
の回答は、およそ以下のようにまとめられる。
最大野党に安住していた
「反自民」以外の存在意義を国民に持ってもらえなかった
そして最大の理由が
本気で与党になる気概など端から持っていなかった
自民党の何でも屋的存在感が続く現在も、野党各党は自らの生きる道をニッチな方向で模索している。
野党が新たな国民政党を志向するには、自民党の立脚する基盤がデカ過ぎるのだ。
だから、自民党を受け入れてる多くの国民に、自民党のネガキャンを仕掛けてその層を崩そうと必死になる反自民勢力が目立つようになる。
だが、それらによって確かに自民党支持者を減らす事が出来るかも知れないが、野党側がそれに代わる国民政党としての魅力を打ち出せなければ、減った自民党支持者は政治的無関心層になるだけで、野党側にとって好ましい政治状況を作れない。
にも拘らず、反自民勢力は今日も自民叩きを止められない。
既に彼らにとって「反自民」は新たなイデオロギーになってしまっているからだ。
そうして、政策ではない「反自民」を振りかざし、大きくアピールするほどに、政治へのシラケムードは強くなり、反自民勢力は日々衰退して行く。
左派系政党が衰退していくのは、水が低きに流れるが如く、至極当然の事なのだ。
<了>