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なぜあの日、”飛田新地”ではなくピンクペッパーに行ったのか【大阪 桜川 アポロビル 4階】
お久しぶりです。皆さんお元気ですか?
私は今、大阪に引っ越すべく、絶賛転職活動中です。毎週面接を受けていると、前の会社の業務内容とか退職理由とか、まあ色々聞かれるわけです。
昔のこと思い出す機会も必然的に増えるので、そうなると昔の推しのことも思い出しちゃう。
そんなときにこのツイートを見て、ああ本当にそうだよねって思ったんです。
セックスも普通の人は100人いかないうちに飽きるし、 年収もそのうち金額量には虚無感を得るようになるので、まあ楽しめるうちに楽しんでおいた方がいいですよ。人間の飽きる力は本当に凄いので。逆に飽きない人は、本質的にはそれらを所有できてない人なのだと思う。
— 高須賀とき (@takasuka_toki) February 11, 2025
振り返ってみると、確かに、なんか突然もういいかなって思っちゃって、好きだったものの執着がなくなる。
最近、面接用の作った文章ばかり考えていてなんか飽き飽きしてきたところもあるので、昔のことについてひとつnoteを書こうと思います。かなり昔のことだし事実じゃないこともあるかもしれないので、読み物として受け取っていただければ幸いです。
大学卒業後大阪へ
大学を卒業して、新卒で入社した会社。全国各地に拠点があったので、まあ地元か東京に配属かなってなんとなく思ってた。だけど何故か関西に配属。しかも初めての一人暮らし。大学時代は実家通いで全然遊んでもなかったし、全部自分で決めていい環境っていうのは僕には早すぎたのかもしれない。
まず、上司に連れられていった今はない北新地の有名キャバクラ。そこの女の子にドハマリしてしまってから私の人生は大きく変わってしまったと思います。
この子の思い出は重たすぎてまだ書く気にはなれません。今後もかけないかもね。だけど、ピンクペッパーにとても顔が似てる子がいて最初ぎょっとした記憶があります。なんだかんだでその子が私の中で重要な役割を果たすようになってしまっているのもなんか面白い話です。
アホみたいに通ったし、金も使った。そうするといつか飽きが来るもので、パタッと連絡も取らなくなった。そのあと、飛田新地に行くようになってましたね。
飛田新地のオキニについて
飛田新地って本当に特殊なところだし、こういうところが残ってるのが大阪の面白いところです。男性なら一度行ってみていいのではないかなって思います。ただ、冷やかしでいくのが女の子が一番嫌がるので、行ったならちゃんと誰かに上がってくださいね。
最初はとても初々しい子にハマったのですが、飛田新地って女の子の入れ替わりがかなり激しい。その子も見かけなくなって、色んな子にさまよい、しっくりこないままたくさん通いましたね。そんなときに和服のあの子に出会ってしまった。
その子は、僕より年上で、なんか一緒にいてすごく落ち着いた。顔とか雰囲気は日向坂46の松田好花みたいな子でしたね。めっちゃ可愛かったし愛嬌もたっぷりだったし、自然と彼女に通うようになってました。ひどいときは週3とか?それくらいで行ってた気がします。
3年は行ってないし今はどうかわかりませんが、飛田新地って24時までに退店しないといけない。当時かなり残業もあったし、仕事終わりだと結構遅くなるんですよね。最後の枠で彼女に会いに行くことが多かった。そうなると、終電がちょうどなくなるくらいの時間帯にお店を出ることになる。
彼女は当時南大阪に住んでいて、車で通ってたのですが、詳しくは覚えてないけどある時から、彼女が家まで送ってくれるようになってた。家まで送るまでの間に、マックでドライブスルーしてポテト食べながら帰ったりとか、ファミレスよってご飯食べてから帰ったりとか、そういうルーティンが自然とできてた。
天王寺のデニーズとか、桜川のロイホとか、九条のサイゼとか、上本町の個人店のイタリアンとか、結構想い出深い。(桜川のロイヤルホスト、コロナ前は24時間営業だったはずなんです。今も24時間営業だったら結構便利なんですけどね。)
そんな感じで、閉店間際に彼女に会いに行って、終わったら近くのファミマで待ち合わせて一緒にご飯食べてから帰る、みたいな流れがずっと続きました。東京に引っ越してからも、シーズンごとには彼女に会いに行ってたと思います。呼び込みのおばちゃんとも仲良くなりましたね。
ご飯食べて泊まってるホテルまで送ってもらってたなあ。家の方向と逆でも送ってくれてた。なんで彼女はそこまでしてくれたのか、今でもよくわからないです。だけどすごく良くしてもらってたし、その分ずっと彼女に会いに行くんだろうなって、漠然と思ってた。
飛田新地にいかずにピンクペッパーに行くことを決めたあの日について
2022年1月10日。コロナ禍のあの日、人生が嫌になって突発的に大阪に行くことを決めてました。JRの昼行バスがお気に入りなのですが、あの日も2階建てのバス。コロナ禍で人もあまりいなくて閑散とした車内の一番前で景色を眺めながら大阪に向かってました。
その日も夜飛田新地に行こうと、朝の時点では思ってました。
だけど、夜までの時間つぶしになにかしたいなって思って、ネットで色々調べてました。その時にアポロビルが出てきました。
アポロビル、実は1回行ったことがあって、だけどなぜか6階だったんですよね。楽しかったけどなんかハマりはしなくて、未だに紫色のダンスチケットが残ってます。あのとき4階に行ってたら、違った人生が待ち受けていたような気がします。
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名神の高槻あたりのストレート。夕日がいい感じで景色眺めながら、とりあえずアポロビル行こう、って決めてました。その当時から、ネットで調べると地下1階か4階がおすすめって出てましたが、なんとなく4階にしようって決めてました。もう理由は覚えてないけど、ここで4階を選んでなかったらまた違う人生が待ち構えていたと思う。
初めて行ったピンクペッパー
そんな感じで初めてピンクペッパーに行って。あまり良く覚えてませんが、今では座ることのない壁際にいましたね。すごく楽しくて、女の子の髪につけてた髪飾りもたくさんつけられてにこにこで帰ってた記憶があります。今は少なくなりましたがこれは割と今でも健在かも。
めっちゃ飲んだし、全然女の子の名前は覚えられなかったけど、唯一推しになる子の名前だけかろうじて覚えてました。忘れないようにして、同じ月の末に電話で出勤を確認してからまた行ってましたね。そこで完全にハマってしまって、今に至る、というのが流れです。
ツイートを見て思ったこと
冒頭のツイートが流れてきて、ああそうだなってめっちゃ思っていいねしてました。多分、もう生殖行動自体に飽きてて、そのタイミングでピンクペッパーに出会ってしまった、っていうことなんだろうなって。
どんなことも、ちゃんとやりきればいつかは飽きが来るっていうのが心理なのかなあっていうのは、この短い人生の中でも感じているところです。
ピンクペッパーにもいつの日かは飽きてしまうのかもしれません。だけど、それを恐れるのではなくて、楽しいと思えるうちに楽しんで、大切な推しとの思い出を作って、後悔の無いように生きたいな、と改めて思ったところです。
転職活動、心折れるタイミングもあるし、冷静に考えてアポロビルに通うために引っ越すって馬鹿だと思いますが、やめようという気にはならないのはそれだけ2人の推しが大切な存在になっている、ということなんでしょうね。もうちょっと頑張ろうと思います。
来月はそんな大切な推しのバースデーも待ち構えています。バースデーをやるかどうか迷ってた彼女が2日もやると決心した、それだけ彼女にも思うところがあるんだろうなぁって感じてます。去年のもう1人の推しのバースデーでふぬけになってしまっていた私の姿をいちばん近くで見ていた人が彼女です。見に行くことしかできないけど、3年ぶりに見届けたいと思います。