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通夜

2022.9.18

今日は通夜
3時間しか眠れなかった

昼に従姉妹が豊橋に到着予定
娘は昼過ぎ

午前中に検死結果のこと(死亡届の右半分)が病院からもらえるので
息子がとりに行ってくれる

自転車で行くことにしていたけれど
すごい雨で隣のおじさんに送迎を依頼

ありがたい・・・

病院で支払いが15000円(検死と出張費)があるのに
息子は忘れていて カードで支払った、と
彼にデビットカードを持たせておいてよかった・・

病院 → 警察

市役所への提出はイズモ殿さんがしてくれるそう。

私は動くと身体が持たないので
15時まで家で横にならせてもらう
(そうは言っても考えることが多過ぎて、熱が上がって来た・・)

息子が雨の合間を縫って、牛丼を買ってきてくれた
助かった

従姉妹が到着したので
納棺に立ち会って欲しいことと
受付をして欲しいことと
沙汰をして欲しい人のリストを渡す

母の携帯がガラケーで
ロックがかかっていなかったので
めぼしい人の連絡先がわかって本当に助かった

ニックネームが多くて
誰なのか分からないのは困ったけれど、
わかる人にはわかった

息子がモーニングに時々行ってくれてたから
一部のニックネームの人のことを教えてくれた

娘が到着

着替えて
買ってきたものを置いていってくれた

(就活の時の黒のスーツが着れてホっ)

イズモ殿に移動

早めに到着したお参りの人の応対などしてくれた

私も移動の準備を、と身支度をするものの
ストッキングが辛くて入らない・・・

娘がAOKIで大学の入学式用のスーツを買った時に
半額だからと私の喪服も買ったけれど
そんなの着れる状態ではなかった

とにかく熱っぽいから
熱を逃すものでないと苦しくて
結局
20歳の時に買ったフランドルのワイドパンツスーツを着ることにした。

本当は黒の紋付の留袖など着てみたかったけれど
それどころじゃなかった・・

首に保冷剤を巻いてないと持たないので
日本手ぬぐいに巻いて
襟元に隠した

熱が37.2℃
解熱剤を飲んだ

息子と娘の数珠がないことが発覚!!!
Aちゃんに頼む

100均にあるよ! と言ってくれたので
お願い

100均、なんでもあるな・・・

Aちゃんにイズモ殿までの送迎をお願いしていたので
15時半に送ってもらう

東京からお参りに来てくれた
母の同級生の方がいらっしゃって
お話させていただく

86歳に見えない、美しいおばあちゃま

お母さんから一日3回電話があってね
私は暇だからいいのよ、って聞いてたんだけれど
まさかこんなに急だとはね、と

私が話の終わりの方で
実は私ガンで、母には伏せていました
とお話すると
「全て繋がったわ」と涙を浮かべながら言ってくださった。

葬儀場に思い出コーナーというのがあって
私はコーヒー豆を置いておくといいかな、くらいに
娘に伝えてあったのだけれど
近所の人に相談して
もっと充実コーナーになっていた

素晴らしい!

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会場には座っていただけないくらいの方々が

母は結構口が悪くてケンカばかりしていたから、迷惑かけた人もいっぱいいただろうと思ったけれど
こうやって台風が近づいてきている中
足を運んで下さる方が多々
ありがたい限り

中には今日の今日、連絡を受けたであろうに
遠方からの方もいらっしゃった

通夜が始まる前に
お寺さんと挨拶

私はこういうのがとても苦手で
話の間がとても悪い

娘が上手いので
心の中で任せた

段取りもあるけれど
母が生前に戒名を取得していて
その時のお札と白衣があるはずだから探してみて欲しいとお話が

「五重と言って、青と赤の水引が巻いてあるもの」

????

全く聞きなれない
宇宙語のよう・・・

その捜索は娘と息子に託した

戒名は父の字数に合わせなくてもいいと思う
葬儀はおっさまお一人で大丈夫です

など伝える

おじいちゃんの葬儀の時はお坊さんが5人で
参列者も800人だった
社長さんだったから
それはそれは派手だった

数が多ければいいものではないし
人の徳は関係ない

昨日の今日で
祭壇が綺麗にセッティングされていた

お花屋さんの仕事のはやさよ

昔、母に誕生日プレゼント
カサブランカがよかった、と言われたことがあって
(元夫のお母さんと母が同じ誕生日で、夫のお母さんにカサブランカを贈ったら嫉妬して)
祭壇にはユリがいっぱいで、そのことを思い出した。

 よかったねー!

通夜が始まってしまった
参列者のお焼香へのお辞儀は
座ったままで失礼させていただく

解熱剤の影響か、変な汗がいっぱい出て
どうしようもなくトイレが近くて
全身が小刻みに震えて怖いけれど
もう仕方ない、、と諦めた

喪主挨拶は
昨晩ずっと考えて

母の人生の象徴は喫茶店であったこと
それは42歳からで仕方なく
夫が事故で亡くなってしまったもんだから
義父に「自立しなさい」と言われてシブシブ始めたこと

振り返ると44年営業

亡くなる一ヶ月前まで続けたこと

一方私は、土日も営業だったから
小学校2年からずっと家で一人ぼっちだったこと

父が亡くなったことが人生の一番最初に来てしまって
声も手の大きさも知らないまま
ずっとお年忌ばかりで
昨年50回忌を終えてしまい

小さい頃から
明日母が事故で死ぬかもしれなくて
そしたら
全責任を負って喪主をやるんだと
何十年も思っていたこと

その日をとうとう今日迎えたのだけれど

実際迎えてみると
身体は動かないし
一人ではできないし

人と協力することを
今日母から教わった、と話した

(喪主は子供たちと連名にした)

葬儀屋さんが用意した
原稿を読む手もあったけれど
なんの感情もこもっていない、卒のない文章を読むより

早口で下手だったけれど
自分の言葉で言いたいことを言えたことに満足した

喪主挨拶の冒頭で
自分が抗がん剤の治療中であることもお話させていただいたので

実家の借地の大家さんも参列者として聞いていてくれて
(いずれ更地にして返さないといけない)
「本当にゆっくりでいいですからね」とお声がけくださった

ひとまず終わった・・

従姉妹が参列できるのは今日だけで
お寿司を渡して見送った

倒れずに
終わった・・・

よかった

またもや母を一人イズモ殿に残して帰宅
申し訳ないけれど
これがうちの現実

家で子供たちとお寿司を摘んで
おっさまが言ってた「五重」の探索に子供たちが行ってくれた

実家の仏壇周りを捜索

私もロクに触ったことがないエリア

五重って何? を画像検索して
仏壇の引き出しを見てみたら
あった!  と

すごい・・・

白衣は無かった、、って 残念

もう動けない

明日に備えて寝る

明日の喪主挨拶を考えると
結局眠れず

昨日と同じ内容でいいかと思っていたけれど
明け方4時くらいに
別の話が浮かんでまとまってきたので
それを話すことにした

またもや睡眠3時間・・・


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淡々と日記を綴ります。2022.5月に胸にしこりが見つかり、乳がんの疑いが発生しました。その時にチカラになったのは、「私も経験者だよ」という身近な人の言葉と普段と変わらず淡々と接してくれる人の姿勢でした。怖いことより、日常やチャレンジしたいと思っていることをお話ししていきたいです。ずっと日記は書いてきましたが、ガンというトピックが入ってきたことでより鮮明に人生を描いて行けたらと思うようになったので、そこを書いて行けたらと思っています。

淡々と日記を綴ります。私の日記のトピックが、人生の楽しみやよりよく生きるヒントに繋がれば幸いです。 シングルマザー | 第二の人生 | 乳…

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