通夜
2022.9.18
今日は通夜
3時間しか眠れなかった
*
昼に従姉妹が豊橋に到着予定
娘は昼過ぎ
*
午前中に検死結果のこと(死亡届の右半分)が病院からもらえるので
息子がとりに行ってくれる
自転車で行くことにしていたけれど
すごい雨で隣のおじさんに送迎を依頼
ありがたい・・・
病院で支払いが15000円(検死と出張費)があるのに
息子は忘れていて カードで支払った、と
彼にデビットカードを持たせておいてよかった・・
病院 → 警察
市役所への提出はイズモ殿さんがしてくれるそう。
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私は動くと身体が持たないので
15時まで家で横にならせてもらう
(そうは言っても考えることが多過ぎて、熱が上がって来た・・)
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息子が雨の合間を縫って、牛丼を買ってきてくれた
助かった
*
従姉妹が到着したので
納棺に立ち会って欲しいことと
受付をして欲しいことと
沙汰をして欲しい人のリストを渡す
母の携帯がガラケーで
ロックがかかっていなかったので
めぼしい人の連絡先がわかって本当に助かった
ニックネームが多くて
誰なのか分からないのは困ったけれど、
わかる人にはわかった
息子がモーニングに時々行ってくれてたから
一部のニックネームの人のことを教えてくれた
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娘が到着
着替えて
買ってきたものを置いていってくれた
(就活の時の黒のスーツが着れてホっ)
イズモ殿に移動
早めに到着したお参りの人の応対などしてくれた
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私も移動の準備を、と身支度をするものの
ストッキングが辛くて入らない・・・
娘がAOKIで大学の入学式用のスーツを買った時に
半額だからと私の喪服も買ったけれど
そんなの着れる状態ではなかった
とにかく熱っぽいから
熱を逃すものでないと苦しくて
結局
20歳の時に買ったフランドルのワイドパンツスーツを着ることにした。
本当は黒の紋付の留袖など着てみたかったけれど
それどころじゃなかった・・
首に保冷剤を巻いてないと持たないので
日本手ぬぐいに巻いて
襟元に隠した
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熱が37.2℃
解熱剤を飲んだ
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息子と娘の数珠がないことが発覚!!!
Aちゃんに頼む
100均にあるよ! と言ってくれたので
お願い
100均、なんでもあるな・・・
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Aちゃんにイズモ殿までの送迎をお願いしていたので
15時半に送ってもらう
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東京からお参りに来てくれた
母の同級生の方がいらっしゃって
お話させていただく
86歳に見えない、美しいおばあちゃま
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お母さんから一日3回電話があってね
私は暇だからいいのよ、って聞いてたんだけれど
まさかこんなに急だとはね、と
私が話の終わりの方で
実は私ガンで、母には伏せていました
とお話すると
「全て繋がったわ」と涙を浮かべながら言ってくださった。
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葬儀場に思い出コーナーというのがあって
私はコーヒー豆を置いておくといいかな、くらいに
娘に伝えてあったのだけれど
近所の人に相談して
もっと充実コーナーになっていた
素晴らしい!
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会場には座っていただけないくらいの方々が
母は結構口が悪くてケンカばかりしていたから、迷惑かけた人もいっぱいいただろうと思ったけれど
こうやって台風が近づいてきている中
足を運んで下さる方が多々
ありがたい限り
中には今日の今日、連絡を受けたであろうに
遠方からの方もいらっしゃった
*
通夜が始まる前に
お寺さんと挨拶
私はこういうのがとても苦手で
話の間がとても悪い
娘が上手いので
心の中で任せた
段取りもあるけれど
母が生前に戒名を取得していて
その時のお札と白衣があるはずだから探してみて欲しいとお話が
「五重と言って、青と赤の水引が巻いてあるもの」
????
全く聞きなれない
宇宙語のよう・・・
その捜索は娘と息子に託した
*
戒名は父の字数に合わせなくてもいいと思う
葬儀はおっさまお一人で大丈夫です
など伝える
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おじいちゃんの葬儀の時はお坊さんが5人で
参列者も800人だった
社長さんだったから
それはそれは派手だった
数が多ければいいものではないし
人の徳は関係ない
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昨日の今日で
祭壇が綺麗にセッティングされていた
お花屋さんの仕事のはやさよ
昔、母に誕生日プレゼント
カサブランカがよかった、と言われたことがあって
(元夫のお母さんと母が同じ誕生日で、夫のお母さんにカサブランカを贈ったら嫉妬して)
祭壇にはユリがいっぱいで、そのことを思い出した。
よかったねー!
*
通夜が始まってしまった
参列者のお焼香へのお辞儀は
座ったままで失礼させていただく
解熱剤の影響か、変な汗がいっぱい出て
どうしようもなくトイレが近くて
全身が小刻みに震えて怖いけれど
もう仕方ない、、と諦めた
*
喪主挨拶は
昨晩ずっと考えて
母の人生の象徴は喫茶店であったこと
それは42歳からで仕方なく
夫が事故で亡くなってしまったもんだから
義父に「自立しなさい」と言われてシブシブ始めたこと
振り返ると44年営業
亡くなる一ヶ月前まで続けたこと
一方私は、土日も営業だったから
小学校2年からずっと家で一人ぼっちだったこと
父が亡くなったことが人生の一番最初に来てしまって
声も手の大きさも知らないまま
ずっとお年忌ばかりで
昨年50回忌を終えてしまい
小さい頃から
明日母が事故で死ぬかもしれなくて
そしたら
全責任を負って喪主をやるんだと
何十年も思っていたこと
その日をとうとう今日迎えたのだけれど
実際迎えてみると
身体は動かないし
一人ではできないし
人と協力することを
今日母から教わった、と話した
(喪主は子供たちと連名にした)
*
葬儀屋さんが用意した
原稿を読む手もあったけれど
なんの感情もこもっていない、卒のない文章を読むより
早口で下手だったけれど
自分の言葉で言いたいことを言えたことに満足した
*
喪主挨拶の冒頭で
自分が抗がん剤の治療中であることもお話させていただいたので
実家の借地の大家さんも参列者として聞いていてくれて
(いずれ更地にして返さないといけない)
「本当にゆっくりでいいですからね」とお声がけくださった
*
ひとまず終わった・・
従姉妹が参列できるのは今日だけで
お寿司を渡して見送った
倒れずに
終わった・・・
よかった
*
またもや母を一人イズモ殿に残して帰宅
申し訳ないけれど
これがうちの現実
*
家で子供たちとお寿司を摘んで
おっさまが言ってた「五重」の探索に子供たちが行ってくれた
実家の仏壇周りを捜索
私もロクに触ったことがないエリア
五重って何? を画像検索して
仏壇の引き出しを見てみたら
あった! と
すごい・・・
白衣は無かった、、って 残念
*
もう動けない
明日に備えて寝る
*
明日の喪主挨拶を考えると
結局眠れず
昨日と同じ内容でいいかと思っていたけれど
明け方4時くらいに
別の話が浮かんでまとまってきたので
それを話すことにした
またもや睡眠3時間・・・
ここから先は
50歳を過ぎた私の、見ていることと考えていること
淡々と日記を綴ります。私の日記のトピックが、人生の楽しみやよりよく生きるヒントに繋がれば幸いです。 シングルマザー | 第二の人生 | 乳…
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