見出し画像

嘘つきと言った日

2024/12/24

この日は生活訓練のレクリエーションで、はらぺこあおむしの折り紙をする予定だった。この日にするって決めていたし、スタッフさんも物品の準備もしていてくれた。ところが、いざきてみると、担当スタッフは面談で不在にしており、わたしよりももっと発言力の強いメンバーさんが「クリスマスの絵を描こう」と声をかけてそれがはじまってしまった。

混乱していた。今日ははらぺこあおむしをつくる日じゃなかったのか。そう声をあげたくてもスタッフさんがいない。どうして。周知しておいてくれなかったことにも、こんなに期待して朝から頑張ってしまったじぶんにも腹が立ってしまった。まわりに流されるまま絵を描いたが、なんの気力もない、きらいな絵にしあがってしまってまた自己嫌悪。

いつのまにか解離をおこしてしまっていたらしく、ぼんやりしていると、担当の心理士さんがそれに気づいて「いまから面談しましょうか」と声をかけてきた。ただ従順になる他なかった。なにより、これ以上、くだらない絵をかきつづけるのはクリエイターとして度し難いことだった。

面談は「ごめんなさい。解離しそうにみえるけどそれくらいつらいんだよね」とはじまった。「解離しないようにします」と震える声でかえした。「たぶんすごい嫌だったとおもう。むかついたり、がっかりしたりとか。むかついていいんですよ。約束と違うじゃんか!って怒っていいんですよ」

途中で「むかついてない」と咄嗟に返したのはこどもじみていたとおもう。でもね、だめなの。悪い感情をむけるのはよくない。あなたは悪くない。わたしが悪いと思うようにできている。

「じゃあわたしに悪い感情をむけるんじゃなくて、この机の上に、悪いと思っている感情を言葉にしておいてみて」といわれた。上手だなあとおもった。すこしでも言いやすくさせてくれてるんだね。

「もともと決まってたことだったのに反故にされた。ちゃんとやろうといってたはずなのに。それだけ・・・大丈夫です」なんの意味もない大丈夫を語尾に添えた。結局認識の齟齬なのだ。わたしが勝手に期待してしまったのがそもそもよくなかった。「ごめんなさい」と言われると「大丈夫です」としか言えない。ずるい言葉だ。なによりも。

「仕事なので仕方ないと思う」とぼんやりと返すと「そういってもらえるとありがたいけど、わたしたちとしては申し訳ないという気持ち」といわれた。やはりずるい。謝られたらそれ以上責めることができない。じぶんが可愛いから悪者になれない。

わたしがどれだけ傷ついていても、苦しい思いをしても、頑張って準備して、朝起きてここまできたことが無駄になったとしても、それでもごめんと言われてしまえば、それでしまいだ。それでなお責め立てることは悪でしかないから。

就活に対して燃え上がっていた熱はどこかへ消えてしまった。最近辛いことが起こりすぎたからだ。悲しいことが多すぎたからだ。唯一「猫を飼うんだ」という希望だけがわたしをこの世に結びつけている気がする。少し前のわたしだったらこれだけのショックがあったらODに走っていたとおもう。死にたくなるのに不足ないほどの悲しみだ。

面談中ですらふわふわして、こころここにあらずといった感じで、面談がだいすきなはずなのに、早く終わって欲しくてしかたなかった。謝罪を向けられることも、それを許すこともつかれてしまう。

次第に身体が縦揺れしはじめていることを指摘された。わたしのストレス兆候だ。「絵を描いたり、歌をうたったりしてもいい。わたしは墨染さんにストレスを与えてしまった一因だから、そういうときにこそ一緒にできることを考えたい」どこまでも優しいから、どこまでも許さなくてはいけなくなる。それが支援だとわかっていても。

突然いろんなものが暴発した。

いやな想いしてない。だから許してください。怒らないで!」気づけば心理士に許しを懇願していた。怒っていたのはわたしだったはずなのに、相手のものとして置き換わってしまった。いままでこういった場面でじぶんが折れつづけてきたことや、理不尽に怒りを向けられて傷ついてきたこころの傷が防御反応として突如表面化してしまった。

「わたしは墨染さんと一緒にいたいし、わかりあえるといいなとおもってる。いまわたしが怒っているようにみえる?なにを許して欲しい?」

そのときじぶんがなにを口走ったのか定かじゃない。声も脳髄も震えていた。「怒ると叩かれるから怖い」のようなことをいったとおもう。だけど、そのあとの心理士の反応は予想外のものだった。

「いま、墨染さん、チャンスですよ!いま墨染さんが不安定になる一番弱くてつらいところをちゃんと共有できてる。そういうふうに怖がってるってわかった。怖がらなくて大丈夫。わたしたちは怖がってる墨染さんを叩いたりしない。いままでそうやって傷ついてきたんだね。ここはそんな場所じゃないから安心してね。安全だから大丈夫。そういう墨染さんとも一緒にいたい。それは自然なことだよ。そういう墨染さんと会えてよかった。あなたは過去じゃなくて、いまに傷ついてる。きょうは残念ながら、お互いに残念な日になってしまったけれど、これからも一緒にいて欲しいし、おもったことを素直にいってほしい。だから一緒にいよう。ひとりで抱えようとすると波が大きくなってしまう。一緒に抱えられてよかった。ひとりで持ち帰ることにならなくてよかった。わたしたち、こういういい加減なところがあるひとたちなの。完璧じゃない。いやな思いさせることはあるとおもう。また予定外なことをさせてしまうかも。そのときは、怒ってくれていい」

「それは怖い。怒るのは怖い」というと「墨染さんは、わたしたちに怒ることが必要なんだとおもう。怖いということもわかってるから無理にとはいわないけれど、それでも、そういう目にあったときに怒るのは自然なことなんだよ」

そんなやりとりの最中ぽつりと「うそつき」という言葉がわたしから溢れでた。いうつもりのなかった言葉だった。相手を責めるような言い方になってしまったが「言ってくれてありがとう」と答えられ困惑してしまった。なじられることこそあれ、感謝されるようないわれのあることではない。「怖い」という感情が渦巻いている。謝らなきゃいけないというおもいが強くて、咄嗟にごめんなさいと言った。

「わかってほしいのは、墨染さんはなにも悪くない。まだここに馴染みはじめたばかりで、ここがこうやってすこしいい加減に、その場の空気でまわっていることを知らなかっただけ。新しいメンバーさんにこういうことは細かく伝えておかなきゃいけなかった。スタッフの落ち度です。ごめん。でもこの出来事もお互いを理解するための材料にして欲しい。傷ついたこころのやり場をじぶんを責めてどうにかしようとしているのかもしれないけど、ひとりで抱えると波が大きくなってしまうから、上手に怒れるようになるといいな。墨染さんに足りないスキルは他人に対して怒ることなのかも。これまで歪んだ怒りのコミュニケーションを向けられてきたから、いまがあるんだとおもうけど、怖い思いをしながらでも”うそつき”といえてよかった」

面談の最中に「わたしが悪いことしたから」というと「どうしてそんな認知になっちゃうんだろうね」と興味深そうだった。心理士として純粋な問いだとおもう。相手のこころの動きに対してまっすぐな疑問や興味を持てるし、決めつけもすくない。相手を受け止める言葉の種類も豊富に持ち合わせている。ちゃんと謝ってくれる。こんな心理士になりたいなとおもう。だけど、わたしのような状態ではまだ遠すぎる。それを痛感させられた面談だ。

みんなで折り紙を折るだけ。それをこんなにも楽しみにしてしまっていた。浅はかで愚かだなとおもうのに、それだけこの施設で過ごす時間がすきになってしまっていたからこそ、BPDの両価的な傷つき方をしてしまったんだとおもう。

それなりにBPDの調整はがんばっていたつもりだけど、稀にその特性がでたときはじぶんに辟易する。こころの一部を切り捨てられるなら真っ先にBPDを切り捨てたいとおもう。そのくらい嫌いなわたしが現れた1日だった。面談中、解離はしかけていたけど、泣かなかったし、その場にいつづけることはできたから、それだけは褒めてあげたい。

解離をしかけていたから恐らくバウンダリーも揺らぎやすいものになっていたんだとおもう。だからあんなふうに怒りと赦しがごちゃごちゃになってしまったんだ。相手のものだったはずがわたしのものになり、わたしのものが相手のもののようにかんじられる。あまりにもまだ未熟すぎる。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集