ありがとうと介護

ありがとうは「有り難い」と書く。そうあることが難しいという意味です。今、感じている幸せや出会い、人の親切はめったにあることではない。とんでもなくラッキーで感謝すべきことだから噛み締めて味わおうってことです。

辛い過去も憎いアイツも、素敵な出会いや経験、努力、失敗。あのときのリグレット。網の目のような無数の祖先から受け継いだ遺伝子。奇跡の巡り合わせで同じ時代に同じ国に生まれて出会えた人々。

「ありがとう」

「生産関係」によって、目の前にあるトースト一枚でさえ、農家、輸送、仕入れ、パン工場、労働者、物流、販売、購入、調理…。無数の人が関わって、我々の口に入る。

「ありがとう」

支え、支えられて生きている。毎日、感謝と反省。無常。つねならず。悲しみも苦しみもいつまでも続かない。学びに変えよう。喜びも幸せもいつまでも続かない。心に刻もう。分け合おう。

「ありがとう」

やることなすこと原因と結果。だったら悪い結果になるって分かっていることはしないっていう選択肢を選ぼう。スルー力も磨こう。いいことは率先してやろう。

「ありがとう」

介護の仕事って、人が人を相手にするから感情が湧く。いい感情も嫌な感情も。どんな確率でこの利用者さんと巡り会ったんだろう。

利用者さんに"してあげた"や、チームメイトに”教えてやった”から一段落高みに登って、あげっぱなしの愛情に変わったとき。あるいは高い志しで仕事をしていると「信用」っている貯金口座が溜まっていく。これは「サンキュー!」って軽いものではなくて、「有り難う」だから。

ケアプランや介護サービス計画書には、「有り難う」を込めよう。”歩行訓練します”、”安全に食事介助します”、”バイタルサインチェックして健康管理します”。これもいいけど、”お仏壇のお供えもののお下がりを食べられる”とか、”一家ですき焼きを囲んで食べられる”こんなケアプランも悪くなくない?だから、歩く。健康でいる。美味しく食べられるように口腔ケアする。嚥下体操する。っている手段が意味を帯びてくるんだ。

こういった目標を会話によって引き出せたとき、あるいは目標に向かって伴走してとき、見返りなくあげっぱなしの愛情になったとき、「ありがとう」が生まれる。

いったい誰だよ、三大介護は入浴、食事、排泄だとか、介護は3Kだと言ったのは。生活の営みの中に幸せが隠れてたり、困難さの向こうに達成感とかあるんじゃない?

介護の仕事はいい仕事だせ。

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