能條純一「昭和天皇物語」に見る、なぜ昭和天皇は駄目だった(思うようにできなかった)のか

まず最初に書いておかないといけないのは、能條純一「昭和天皇物語」は事実を基にしたフィクションであって、発言や行動の全てが、一つ残らず本当にあったことと読むのは駄目ってことでしょうね。そういうのが本当だとか創作だとかは、一次資料、日記とか発言録とかを読んだ人がいうことであって、私のように「昭和天皇物語」を読んだだけの者が一つ一つの事実を軽々しく真実だ虚構だというのはやばい。
とはいえ能條純一の作品世界描かれている作中昭和天皇が「なぜ駄目だった(思うようにできなかった)」のかは、言ってもいいでしょう。

ちと話を逸らしますが、NHK 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を見ていたとき痛烈に思ったのが、この時代に〝公〟とか〝私〟とか〝公私混同〟という言葉があったら、北条義時はとても楽だったろうなぁと。特に父親北条時政の行状に、なんですが、現実の1192年近辺で〝公〟とか〝私〟とか〝公私混同〟という言葉、概念があったのかなかったのかは知りません、ですので作中世界でということなんですが、父親北条時政が訴訟沙汰の片方から物品を贈られて
「こんなにもしてくれる奴に報いたいと思うじゃねぇか!」と言って、義時は
「そういうことではないのです!」としか言えず、時政に理解をさせることができない、あぁ大変だなぁと思って見ておりました。

能條純一描くところの「昭和天皇物語」の作中裕仁帝はどんな言葉を知ったら楽だったか?
「王道政治じゃ治まらないじゃないか!」ですね。

話が始まって即乃木将軍と睦仁帝(明治大帝)ですよ。
乃木将軍すぐ退場しますが、次に登場するのが東郷元帥で東宮御学問所の差配を始めます、学者や大臣を講師として呼んで「王道政治」の教育を始めるのですが、
その次に登場した山縣有朋が、作中世界では燻っていた長州藩薩摩藩の確執を持ち出し、それが裕仁殿下の言葉で退けられ藩閥政治意識が終焉したことが描かれる、でも裕仁殿下はあくまで良子女王のためを思っていったんであって、自分が何を言ったか(藩閥政治を終了させたこと)を知らないまま。

次の象徴が、東郷元帥が第一次世界大戦の非人道性を知って「しかしー今の戦争に比べたら、まだ…まだ、まだ、マシだったような気がする。人間の尊厳がーまだ存在していた」と述懐し、時代が変わったとことを嘆いているが、これが裕仁様に伝わっていない。ヨーロッパ視察旅行で戦禍の場は見たけど負傷した兵を見たか、戦った兵士と話をしたか不明。
日本軍の兵士は第一次世界大戦であまり悲惨な戦場は戦っていないような気もするのだけど、それでも兵士の現実は〝そこ〟なんですね。

そして後に皇道派として二・二六事件を起こす尉官たちは兵から「早く死んで恩給がもらえるようにしてくれと親から言われています」と頼まれ続けている。
一方で統制派の中心となる永田鉄山もまた秩父宮雍仁親王に
「山縣元帥が創設された「古い陸軍」を刷新すべく、こうして方々を歩きながら押し売りの講習をしております」と提言しても、雍仁親王にその場で却下される。もちろんそれまでさんざん皇道派が
「憲法を停止して天皇親政の国家に」とさんざん言われていたからその類いかと思った可能性はあるでしょうけど、

裕仁帝が維新の元勲、明治の英雄が退場していって、大正昭和の将軍や首相達にどれだけ理想を言ったって、兵士の日常は頭上に弾丸飛び交い塹壕に隠れて雨にうたれ、敵だけでなく寒さひもじさに耐えないといけない連中が耳を傾けるわけがない。
作中世界で裕仁帝は王道政治に嵌められたため、現実と向き合う術を絶たれた。

で。
二・二六事件の決起将校たちが、その陛下に現実を知ってもらおうと行動を起こすのだけど、知らないんだから通じない、解ってもらえない。
でも、当事者となると、じゃあどうしたらいいかは方法がないんだろうなあ。

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