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竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(48)

〈前回のあらすじ〉
 一人でホテルの部屋に戻ったかおりは、捌け口のない性欲とまことを可哀想だと思っていた傲慢に翻弄され、夜が明けるまで自慰行為に耽った。何度到達しても、決して心も身体も満たされなかった。いよいよ眠気に負けて、かおりは裸のまま眠りについた。黒尾は諒が先に一人でホテルを出たことに憤慨し、諒を追うと言った。かおりもそれに賛同し、二人は再び清水を目指す旅に出た。 

48・金属バットで殴り殺したんだから

 緩やかなワインディングロードが続く山間部の高速道路を、黒尾は法定速度に近い緩やかなスピードで走っていた。やがて、目覚めたかおりが助手席で大きく伸びをし、フロントグラスからくっきりと見える富士山に歓声を上げた。

「磐梯山も大きいと思っていたけど、やっぱり富士山ってすごいですね。さすが日本一」
「オレも、久しぶりに見たけど、いつ見ても壮大だな」

 珍しく黒尾が話を茶化すことなく、感慨深くそう言った。

「黒尾さんは……」

 かおりがおもむろに呟いた矢先に、ワンボックスカーはトンネルに入ったので、かおりの声が反響音にかき消されてしまった。

「え?なに?」
「黒尾さんは、結婚してないんですか?」

 改めてかおりが大きな声で言うと、黒尾がニヤリと笑って、サラリと答えた。

「俺は未婚だよ。結婚歴もないから、離婚歴もない。愛人もいないし、隠し子もいない。そもそも、結婚しているのに、行く先々で一夜限りの相手とセックスするのは、マズいだろ」
「それもそうですね」

 そう言って、かおりはクスッと笑った。

「しかし、結婚願望がないかといえば、そうでもない」
「そうなんですか?てっきり悠々自適な独身生活を謳歌したいのかと思ってました」
「まあな、そう見られても仕方ない。誰かに縛られる生き方が嫌で、個人事業主になったわけだし」
「おうちの仕事を継いだわけではないんですね」
「オレの実家は、建設業だよ」

 黒尾がそういったところで、ワンボックスカーはトンネルを抜けた。だから、その後の黒尾の言葉がやけに明瞭に聞こえた。

「その跡継ぎになるのが嫌で、家を飛び出してきたんだ」

 山間部の高速道路はいくつものトンネルを抜ける。快晴の空が見えたかと思えば、またコンクリートのトンネルに入り、オレンジ色の光に包まれる。やがて次のトンネルに入ると、再び反響音に包まれ、照明の灯りが等間隔に黒尾の横顔を流れていった。

「こう見えても、親からの期待は大きくてね。父親は『圭介』という自分の名から一字とって、オレに『圭一郎』という名をつけた。当然、次に男の子が産まれれば、同じように自分の名を引用したに違いない。ただ、残念ながら男はオレ一人で打ち止めになってしまったから、余計に親はオレを寵愛したんだ」

 黒尾の身の上話を聞きながら、かおりは自分が諒の父親や兄のことをほとんど知らないことに、改めて打ちのめされた。だからこそ、この旅で少しでもただしのことを知りたいと熱望した。

「親は地元の名士でね、地元の県議会議員の後援会長なんかもやってた。建設業の傍らにコンビニエンスストアやガスステーションの経営も手広くやっていたよ。もともと先代から受け継いだ土地を多く持っていたから、そうなるのも自然な成り行きだったんだがな」
「じゃあ、一人っ子の黒尾さんが家を飛び出しちゃったら、おうちの仕事はどうなっちゃうんですか?」
「誰が一人っ子だって言ったよ。オレのあとに男の子が産まれなかっただけで、三つ離れた姉がいるし、下には七つ離れた妹がいる。家業は姉ちゃんが婿をとって、義理の兄が継いでるよ。妹に至っては、それこそ悠々自適な留学生活さ」
「ご両親は、お婿さんに家業を継がせることで納得したんですね?」
「納得も何も、口を挟めるはずがないよ。オレが家を出るときに、金属バットで殴り殺したんだから」
「えーっ!?」

 平然とそう言った黒尾に、かおりは驚愕した。その大きな声に驚いた黒尾が危うくハンドル操作を誤り、トンネルの壁に衝突するところだった。

「ばーか、そんなに簡単に人の言葉を信じるな。生憎、両親は地元でピンピンしてるよ。その当時血気盛んだったオレが、ビジネスにしても子供へのしつけにしても親父の傲慢なやり方が気に入らなくて、いっそ殴り殺そうかと思ったのは、確かだがな」

 そう言って、黒尾が快活に笑ったのが悔しくて、かおりは小さな拳で黒尾の左肩を叩いた。
 
 ワンボックスカーは山間部の最後のトンネルを抜け、再び富士山を仰ぐ壮大な景色に溶け込んだ。

 次の大きなサービスエリアでワンボックスカーを止め、二人は昼食を取ることにした。

 肉まんやカレーパン、足柄牛のつくね弁当など、目に映る美味そうなものを片っ端から買って食べた。サービスエリアには足湯もあり、長距離移動で鬱血した二人の足を癒やしてくれた。

 トイレと買い物を済ませ、先に運転席に乗り込んでいたかおりは、フロントグラスの向こうから大きな買い物袋を抱えて歩いてくる黒尾を見つけた。

「何をそんなに買い込んでるんですか?」

 奔放な息子を叱るように、かおりが後部座席のキャプテンシートにどさりと座った黒尾を戒めた。

「いやぁ、あのカレーパン、ヤバかったな。なんか後ろ髪を引かれて、つい、またあのパン屋に戻っちゃった」

 買い物袋を覗くと、カレーパンだけでなくポテトチップスや煎餅、チョコレートやキャンディーなど、豪勢に買い込んでいた。かおりは呆れて、何も言えなかった。

 黒尾のワンボックスカーのナビゲーションシステムを見ていたら、福島から随分と走ってきたことを改めて痛感した。そして目的地の清水がもう手の届くところにあることを、かおりは知った。

 後部座席の黒尾の指示に従い、かおりは同じ画面でホテルや旅館を検索した。ほどなく、前夜と同じような黒尾の直感で、その日の宿が決まった。

「さぁて、オレたちの宿は決まったが、あいつはどうするんだろうな」
「諒くんですか?」
 
 シートベルトを装着しながら、バックミラー越しにかおりが言った。

「あぁ。この寒空だ、野宿というわけにはいかないぜ。それに律儀に旅行券までこっちに預けちまったんだし」

 口ぶりは諒をあざけっているようにも聞こえたが、その言葉の裏で、黒尾は世間知らずの諒を心配していた。

 ナビゲーションシステムに残った旅館の情報を眺めながら、かおりはその旅館のすぐ近くに直が通っていた大学があることを読み取った。おそらく黒尾は、一人で行動を始めた諒が遅かれ早かれその周辺に現れることを予測していたのだろう。そして、黒尾とかおりが追いかけてきてくれることを諒が心のどこかで期待していることも、きっと黒尾は読み取っていたのだと、かおりは思った。

 そのような黒尾の深い懐と思いやりに比べて、昨夜の自分はどうだっただろう。かおりはハンドルに両手を置いて、静かに自問自答していた。

 恋人の約束はまだ果たしていなかったものの、心は誰よりも繋がっていると思っていた諒に対して、言葉のあやだとはいえ「可哀相」などと言ってしまった。もちろん微塵の悪気もない。だが、自分の父親と諒を同じ定規で測っていたような気がして、後悔の念は決して消えなかった。

 それに比べ、黒尾の思いやりの深さには、頭が下がる思いがした。この人は、諒のことを本当の弟のように思っているのだと、かおりには感じられた。

「さて、最後のひとっ走りと行きますか。船長、頼みますぜ」

 そういえば、黒尾は諒が旅から離脱したときに、「オレの船」と言っていたっけ。この人は、陸の上にいてもきっと水平線しか見えない大海原を旅しているような壮大な生き方をしているのだと、かおりは胸にときめきを感じた。

「はい。では、行きましょう」

 唇を真一文字に引き締めて、かおりはシフトレバーをドライブモードに入れた。そして白いワンボックスカーは、ゆっくりと走り出した。

「ヨーソロー!」

 早速、煎餅の袋を開けて、ポリポリとつまみ出した黒尾が、威勢よく雄叫びを上げた。

 竹五郎さんとマナティー〜FUKUSHIMA TRILOGY Ⅰ(49)につづく…。

〈あらすじ〉
 父親を心中で、兄の直(ただし)を自殺で立て続けに失った諒(まこと)は、塞ぎ込んだ母親を見守りながら、希望もなく、しかし絶望もない日々に、ただ身を委ねていた。ある日、父親の墓前で謎の女に出会ったことやその女から水族館に関する本が送られてきたことで、諒の心が少しずつ揺らぎ出した。やがて、水族館で働き始めた諒は飼育係の竹五郎さんや気立てのいい女性事務員、突如現れた直の友人と関わるうちに、兄が残した遺産を辿る旅に出る。生きづらさに翻弄される人々が、遠くの星の輝きを手繰るように、手放した希望や救いを取り戻そうとする物語。福島第一原子力発電所事故を記憶に留めるために筆者が書いた渾身の「原発三部作」の第一部。第二部は『出口は光、入口は夜』、第三部は『CLUB ONIX SEVEN STEPS』。

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