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羊太夫についてのメモ


 羊頭様という話がここ数日、流れてきていまして。
 その流れの中に、羊は戦後になって的な文言があって、はるか昔の羊太夫のことを思い出したので自分のメモをここに。

 羊太夫は、多胡羊太夫といいまして、奈良時代天武天皇の頃の人とされます。 
 正式な名前は別にあったようですが、朱鳥九年未年の未の月、未の日、未の刻に生まれたため、「羊太夫」と周辺の人物から呼ばれていました。そして 和銅四年(711)に多胡郡、現在の群馬県の一角の郡司になりました。

 羊太夫は毎日のように、家臣の八束小脛と共に都に日参しました。理由は羊太夫は和銅、ニギアカネを見つけており、それを毎日届けていたのですね、当時平城京の時代になりますので、都は奈良になります。
  そう五百キロほどですね。どうしてそのような事ができたのか?
 
 それには家臣の八束小脛の力があったといいます。羊太夫は面白(権田栗毛とも)という名馬を持っていましたが、御しきれるものがおらずにその力を出し切れませんでしたが、小脛が馬を引くと面白は赤兎馬のように千里をかけ、宮古までの往復を可能にしたのです。小脛は神通力を持っていたのです。

 そんな小脛は様々な約束をして羊太夫の部下になっていました。馬を引く以外の仕事を命じない。裸にさせない、身を拘束するようなことをしないなどです。
 その約束を守り家臣としてうまくやっていたのですが、ある日のこと小脛があまりに暑くて上着を抜いたところ、脇の下に翼があり興味を持ち、とってしまったのです。小脛は神通力を失い、羊太夫は都に行くことができなくなりました。
 
 都ではこれを反乱の兆しととらえ、討伐することを決めます。羊太夫は叛意がないことを告げましたが、攻められました。
 様々な策略を持ってあたりましたが数万の大軍に敗れ、自殺して果てるのです。

 ただ、その最後に、金色の蝶と化して逃れたとか。
 これは実のところ羊太夫自身も神通力を持っていたという話のタイプも残っています。

 自分と同じでtera(西)さんも連想されてました。


羊頭様についてはぜんらまるさんのこのツイートを聞いていただくといいかと思います。


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