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林姫


林姫 武雄市史
 林姫は多久七代邑主多久茂堯の息女であった。家臣である相浦某の子を身籠った。
 主君と配下の婚礼は認められないような時代のことである。大きな騒ぎとなった。
 茂堯は江戸におり、五人の使者が、送られてきた。     
 結果、姫は宮之浦の地で自害することとなった。
 相手の相浦某も姫の菩提寺で割腹して果てた。
 
 茂堯は江戸から戻ってきた際に、宮之浦で民の間に林姫を見た。笑顔で出迎えてくれる様子に安堵する茂堯であったが、それは姫の幽霊だった。 
 どこかで行き違いがあった。
 茂堯は姫に自害させる気などなかったので、使者にその旨を問うと、五人もまた自害した。

 そのことを皮切りに数十年あまり怪異が続いた。
 代が変わり、十代茂澄になった。茂澄は姫のやすまらない魂に心を痛め、日護上人を呼び寄せ、祈祷を行った。
 その最中、姫の霊が現れ、
「成仏できずに迷っていたが、このまま極楽にいけるなら、自分の遺骸を西ノ原梅ケ渓に納め、祀ってくれ。そうしてくれれば家の繁栄と、安産守護の神となろう」と託した。

 茂澄は一宇を建立し、法華経を墨書した一字一石経を納め、「西の原大明神」を勧請した。
 死後実に七十四年が過ぎた二月二十二日のことであった。
 その後、安産守護の神様として知られる。


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